第9話 きらきらの彼
その後、海の家で昼ご飯をとった。洒落たテラス席は若い女性が多く、そんな中で斉賀は若干気遅れしながら焼きそばを食べた。横には野々垣が座り、イカ焼きを頬張りつつ、楽しそうに話す。
「水着でご飯食べるの不思議な感じするね」
「本当ですね。焼きそばうまー」
テーブルを挟んで正面に河田と山口が座る。
四人掛けの席に一つ椅子を追加して、持留はその誕生日席の位置に腰掛けていた。彼もイカ焼きを食べている。五人の中で斉賀も持留もあまり喋らず、聞き役に徹した。
食事を終えた後、また海で遊んですいか割りをした。棒きれはそこら辺に転がる流木から選んで調達した。野々垣が一発で仕留めて、すごいことなのに、当の本人はなんだか可愛くない、と嘆いていた。
包丁はなかったから、何度か叩いて大雑把に割ったものを四人で分ける。冷えていて美味しかった。
食べている途中、山口が持留にちょっかいを出していた。
「もち、種飲んでね? 」
「上手く吐き出せなくて……」
「お腹ですいか育つぞ」
「いや、流石に信じないよ」
眉根を寄せて睨む表情が山口の肩越しに見えた。それでも声の調子には親しみがあって、本気で怒ってはいないことがうかがえる。
「そうだよな〜。あ、でもあんま飲むとまじで虫垂炎になるよ」
「え、そうなの。結構飲み込んだかも。どうしよう」
「ごめん、嘘」
騙された持留はきょとんと首を傾げた。聞いているだけでも斉賀はわりと腹が立っていたが、当の本人はしょうもないと笑っていた。
すいかを食べ終えた頃、時刻は既に四時を回っていた。山口と河田は散歩に行ってくるといって、仲良く砂浜を歩いていった。その背中を見送っていると、斉賀たちから離れたところで手を繋いだのが分かった。
「ラブラブだな〜」
野々垣が感想を漏らした。
「本当だね、河田さんに話しかける時の山口の声が優しすぎて笑いそうになるんだけど」
微笑ましい、と言いたげに笑いを含んだ声だった。斉賀と野々垣も同意する。
「ベタ惚れって感じだよな。何回も惚気聞かされてるからどんなもんかと思ってたけど、ほんと好きなんだな」
「みくちゃんも相当好きみたいだし、温度差なくていいよねぇ」
「羨ましくなるよね」
「それなー。幸せそう」
のんびりと続く会話の中で、野々垣が小さく欠伸をした。桟敷席は倦怠感で満ちていた。中学生の頃、プールが終わったあとの座学の授業を思い出させるような。
「私、お昼寝したいな」
斉賀は同意する。
「分かる。眠い」
「海入ると疲れるよね、持留くんは元気? 」
「いや、まあまあ疲れてるかな」
「じゃー皆で寝ちゃお、お昼寝絶対気持ちいい」
ゴザの上にバスタオルを敷いて、その上に横になることにした。二枚あるタオルの内、まだ使っていない方を持留に差し出した。もう一方は先程、彼と一緒に濡れた体で座ったが、暑さのおかげか乾いているようだった。野々垣との間に椅子を挟んだ位置に寝転ぶ。コンクリートの天井。床は柔らかいとは言い難いが、波の音が心地よくて気持ちよく眠れそうだった。
持留はなかなか横にならない。肘をついて上体を起こし、持留のいる側に振り向くと、麦わら帽子とバスタオルを抱えて、体育座りのままだった。斉賀は自分と壁の間のスペースをそっと手で叩いて、眠る場所を示す。三人で眠るなら間隔を取っても十分な広さだった。しかし、持留は来ない。
「僕、眠れなそうだから座っとく。二人は気にせず眠ってね」
無理強いするのも違うと思い、頷いて見せた。「気持ちいい。めっちゃ眠れそう」
「そうだな」
「なんか保育園思い出すなー。保育園のお泊り保育」
そう言った野々垣の方を見ると、彼女もこちらを見ていた。床の先で目が合う。
「お泊り保育の記憶ない。こんなだったのか」
「なんか男女関係なく布団に転がる感じがさ。お昼寝の時間とかも同じ感じだったけど」
「昼寝の時間あったな」
「あれいいよね。大学にもあったらいいのに」
「たしかに。図書館とか眠ってても何も言われなそうだけど」
持留の声が上から降ってくる。
「あー図書館ね。いいかも。あ、そうだ。健康支援センターのマッサージ機使ったことある? 」
「ない」
「俺もない」
「あれ、めっちゃいい。こないだあそこでめっちゃ寝た」
「あそこ、センターの先生すぐ近くに座っててそんな眠れなさそうだけど」
「いや、そんなもの気にならないくらいいい」
「まじ? 気になるな」
ふふ、と波に紛れるような笑い声を聞きながら、目を瞑った。
持留のことを考える。今日はどうにも上手く関われなくて、二人きりで話したあとも、なんとなくすれ違っているような感覚がずっとある。
持留のこと、野々垣のこと、両方考えるとどう振る舞えばいいのか分からなくなって、結果的にあまり喋れなくなった。
そして、考えても考えても恋愛関係の質問の仕方が分からない。
どんな声で聞けばいいのか。どう切り出せばいいのか。想定してみても、やっぱり変な印象を与えてしまう気がして、駄目だった。
恋愛というものはその人のことを理解する上で欠かせない要素なのかもしれないと思う。好きな食べ物は知っているのに、持留のことを何も知らないような気になった。
持留の恋人の有無を気にする自分を俯瞰して、俺は人に興味を持ったことがなかったのだ、と内省する。
そうして、質問する自分をシミュレーションしているうちに、眠りについていた。
◆
笑い声と砂の上を駆ける音を聞いて目が覚めた。まどろみの中で目を擦る。あ、起きたという声が聞こえる。持留だ。何時だろう、腕時計を見ようとするが、今日はつけていない。ただ、幾分日が傾いていて日没が近いのは分かった。
「おはよう、お茶いる? 」
クーラーボックスから出してきたらしいお茶を差し出される。喉が渇いていた。お礼を言って受け取り、口をつける。見ると持留は洋服に着替えていた。他の三人はここにいない。上体を起こして彼の横に胡座をかき、寝ぼけた頭で聞く。
「俺、何時間寝てた」
「えっと二時間くらいかな」
「寝過ぎだな……。他の三人はどこいったんだ」
「あそこで遊んでる」
指差す先を見ると、山口がカメラマンになって女子二人の写真を撮っていた。
「楽しそうだな。裕はいかないのか」
「うーん、いいや」
「そうか。一人で退屈だっただろ、悪かった」
持留はふふ、と笑った。
「さっきまで皆いたんだ、だから大丈夫だったよ。永一郎、寝るの早すぎて面白かった」
「海に寝に来たみたいになったな……」
腕を上にあげて、思い切り伸びをする。頭がすっきりしていて、ネガティブな気分は和らいでいた。持留の様子を確かめると、海ばかりじっと見ていて、今日は本当に目が合わないなと思った。
「裕、海ずっと見てるな」
「え? ああ、そうかも。綺麗だし、あんま来れないから」
言う通り、海に夕日が映っていて鮮やかだったが、まだ日没には遠いようで、本番ではないという感じがした。
斉賀は荷物を持って立ち上がり、影になっている後頭部に話しかけた。麦わら帽子は外していて、荷物の上に置かれていた。
「着替えてくる」
「うん、いってらっしゃい」
通路を通って更衣室に入ると、他に誰もいなかった。奥まったところにあるシャワー室に入り、簡単に体を流した。潮水のベタつきはなんとか落ちたが、早く家の風呂に入ってボディソープで体を洗いたかった。
水気を拭いてから、洋服に着替えた。湿ったタオルと水着をビニール袋に包み、鞄に仕舞い更衣室を出ようとした。ふと、入口についている鏡に目が留まり、日焼けしていることに気づいた。ズボンの隙間から腰のあたりを覗くと、水着を着ていた辺りは肌が白く、境目がくっきりしている。
桟敷席に戻ると、野々垣が戻ってきていて、座ったままの持留と話している。
「あ、斉賀くん着替えてる」
野々垣がこちらに目をやって、声を上げた。持留も斉賀を振り返る。
「早かったね、おかえり」
そう言う持留と目が合う。先程までこちらを少しも見なかったから、戸惑いを感じつつ、斉賀はその横に座った。夕日が眩しくて、海に面してついていた簾はこの時間のためなのかと、屋根に乗せたそれを見上げた。
野々垣が皆で写真を撮ろうと提案して、海をバックに三人で砂浜に立つ。眠る前、丁寧にビーチサンダルについた砂を落とした。それが無駄にならないように、そっと歩いた。野々垣がスマートフォンの内側のカメラを腕を伸ばして構えて、斉賀が真ん中、その横に持留が立つ。あんなに距離を取られていたのに、今はすぐ真横に――カメラの画角に三人で収まるためには近づくのが当然と言えば当然だが――立っている。画面に映る持留は目を細めて笑っていて、それを見ていると
「斉賀くん、レンズ右」
と、野々垣に言われた。慌ててレンズと目を合わせる。夕日をバックにしているから、どうしても人物が影になってしまう。何度か撮り直して、ようやく野々垣がOKを出した。
「撮ってくれてありがとう」
持留が言うのを聞いて、一拍遅れで斉賀も礼を告げた。野々垣は桟敷席の椅子に座って一息ついていた。
「ちょっと歩こうよ」
そう言って彼がさくさくと砂浜を歩いていくのでついて行く。潮が引いて、海辺までが遠くなっていた。砂が水を含んで色が変わっているあたりで彼が止まるので、追い越して二、三歩前に出て振り返る。彼は眩しそうに手で庇を作って、白い歯を零した。笑顔が夕日に染まって赤かった。
「ほんとに夕日綺麗だ。こんなとこ知ってるなんて斉賀すごいね」
「ああ、いや、こんなに綺麗だとは俺も知らなかった」
「そうなの? これ狙ってこの海選んだのかと思った」
なんで急にいつも通りになるんだと困惑しながら、斉賀はどうしようもなく嬉しくて、悩みや疑問を手放して笑みを返した。いつも通りの笑顔なのに、夕日のせいなのか眩しい。
◆
日が落ちて、皆洋服に着替えて、しばらくしてから花火を始めた。山口が海の家の者にかけあってバケツを借りてきた。桟敷席についていた裸電球の下に、花火を広げた。
花火に付属していたろうそくを砂に立てて火をつけた。野々垣と河田がしゃがんで、花火の先端をろうそくに近づけるのを見守る。二つ同時に火が噴き出して、わーっと嬉しそうな声を上げて砂浜に散り散りに広がる。派手な色に辺りが薄っすら染まっていた。
「すごいすごい! 」
野々垣が小刻みに跳ねるような動作でこちらに来て花火を見せた。
「野々垣さんの花火、派手だな」
河田のものよりも多く火花が散っていた。火薬が爆ぜる音に負けじと野々垣が声を張り上げた
「なんか先端が丸いやつ選んだ! 」
「へー、俺もそれにしようかな」
花火の束を見にいって、野々垣が言ったものを探す。薄い紙が先端についたものが多い中、確かに先が丸いものがある。包みにはスパークラーと書かれていた。
「あ、消えちゃった」
持留の声が聞こえて、そちらに向くとろうそくの火が消えたらしく残念そうにしていた。山口は火をつけることができたようで、花火を振り回しながら河田のところへ行く。
斉賀はろうそくを挟んで持留の正面にしゃがみ、取ってきた花火の持ち手を砂浜に刺して手を空けた。そして、ポケットからライターを取り出して、ろうそくに近づける。風が出てきて、なかなか点火しない。しびれを切らして、持留の花火の先端に直接ライターを近づけた。もう片方の手を、火を守るように風よけにした。
「えっ、火傷大丈夫」
「大丈夫だ」
先の薄い紙と火だけに意識を注いだ。ついた、と思った瞬間手を離す。火花が散る。
ほら、大丈夫だっただろと言いたくて持留の顔を見た。
花火が照らして、高揚しているみたいに彼の頬は染まっていた。瞳が火花を映してきらきら輝いている。
斉賀は息を呑み、その様に見惚れた。
花火に夢中になっていた持留は、不意に斉賀の視線に気づいて、恥ずかしそうに小さく笑った。
「火をつけてくれてありがとう」
言葉も返せず、ただ彼を見つめた。彼の視線はまた爆ぜる火花へと戻る。
彼の目の中のきらきらが消えて、花火が終わったのだと分かった。あまり見つめていてはおかしい。手元の花火に目を移し、ライターで火をつけた。斉賀は自分の中の驚きを噛みしめる。
俺の友だちはこんなにもきれいな人だったんだ。
知ってはいたけれど、分かってはいなかった。
美しい景色を見たときよりも一回りも二回りも深く感慨にふけった。
持留が、新しい花火を手に取り斉賀の花火の先に近づけて、火をもらおうとする。パチパチ散った火花はなかなか燃え移らない。見ていたいという気持ちに勝てなくて、そっと彼に視線をやる。
「火、つかないなあ」
そんなことを言って、のんびりと首を傾げて微笑む。
小気味の良い音を立てて、新たな火花が吹いた。きれいだと、また思った。
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