第6話 海でナンパに違いない
試験最終日を迎え、試験と課題提出に追われる日々が一旦終了した頃、斉賀は持留に連絡を取ることにした。昼ご飯を食べるために向かった食堂の道すがら、夏休みを迎える学生たちは皆晴れやかで、なんとなく大学全体がうきうきしているようだった。
食堂で山口と前田を含む、同じ学科の友人五人とテーブルを囲む。斉賀は一足先に食べ終わり、スマートフォンをポケットから取り出して、空のメッセージウィンドウを眺めていた。持留に送る文章を考える。
夏休み、どこに行きたいか決めたかどうか、そうシンプルに聞けばいいのだろうか。それともどんな調子か確認したほうがいいのか。試験勉強でひどく疲れているかもしれない。会っていなかった約二週間、持留はどう過ごしていたのだろうと思いを馳せる。
牛丼を食べ終えた前田が、同じようにスマートフォンをいじりながら話しかけてくる。
「斉賀、夏休みは旅行とか行くのか」
「あー、まあ。まだ決まってないけど、行くかも。前田はどっか行くのか」
「いや、特に予定ない。実家帰ろうかなってくらい」
「そうか」
「だからさー、よかったら今いるやつらでどっか行かね? 」
持留に送るメッセージを打ち込みつつ、上の空で話を聞いていたが、流石にスマートフォンから顔を上げた。
「どっかってどこだよ」
「俺は長崎行きたいんだよな~。軍艦島見に行きたい」
行きたい、と他の奴らも言う。周りの四人全員がこちらを見ていた。皆楽しそうにしている。誘ってもらえたことが素直に嬉しかった。
「おお、予定が合ったらぜひ……。俺、車出してもいいけど、ガソリン代はもらう」
「車出してくれんの! ありがた〜。もちろん、ガソリン代は斉賀以外のメンバーで割り勘にしよう。あとホテルの予約は任せてくれ」
「ちなみにいつ行くんだ? 」
横の席に座っている山口が言う。カレンダーを開いた画面のスマートフォンを机上に置いており、少し目に入っただけでもびっしりとスケジュールが打ち込まれている。山口らしい。
皆が自分の空いている日にちを口々に言った。斉賀は持留との約束を優先させたく、なんとなく八月は難しい、ということにした。九月の第二週の水木が最も有力候補となったが、山口はこの日、彼女とのデートが入っているらしい。みくちゃんと無事に付き合うことができて、その話題が出る度に今が一番楽しい、と話している姿をよく見た。
前田が非難する声をあげる。
「お前、忙しすぎ。他の日も基本お前がまず無理じゃん。その予定なんとかなんないのか」
「いや、彼女がはりきっちゃって、水族館のチケット既に取ってたんだよ。厳しい……」
「いや、チケット取るの早くね? 」
「そういうとこが可愛いんだろ」
惚気けつつ、山口は頭を抱えた、と思ったら斉賀に絡んでくる。
「ていうか、斉賀! 八月丸々無理ってなんだよ。俺は八月のが空いてるのに」
「友だちと約束があって」
「誰とだよ」
「裕……、持留と」
「え、どこ行くんだよ」
「裕って、あのお菓子の奴か」
前田に聞かれて頷く。持留がお礼、と言ってお菓子を持って来た時のことだ。思い出して、ふと疲れが癒えた。
「そう、あのお菓子の子」
「なあ、どこ行くんだよ」
めげずに山口が聞いてくる。
「海行く。まだ予定立ててないけど、多分八月になると思うから」
「海!? 」
「ていうか、その旅行、俺抜きで四人で行ってもらっても構わない。そしたら八月で予定合わせて、レンタカー借りるなりで行けるだろ」
不満が出てしまうぐらいなら、と突き放すように言ったが、なぜか山口は笑顔だった。他の連中は不安そうに成り行きを見守っている。
山口が元気に言い放った。
「男二人で海って、お前らナンパしにいくつもりだろ! 」
「は? 」
「俺も行きたい! 軍艦島は俺抜きで行ってもらう、でいいよ。だから海連れてってくれ」
皆に、それでよろしくと山口が声をかけて、じゃあとりあえずその日は空けておこうということで斉賀以外の意見が一致した。
「斉賀も長崎旅行参加でいいんだよな」
「いや、それは別にいいんだが……」
「じゃあ、よさげなホテル見つけてみんなに送るわ」
「楽しみだなー。俺、長崎のちゃんぽん食べたい」
約束が決まり、全員既に食事は終えていたから、帰る用意を整えて食堂のトレーを持つ。斉賀もそうしたかった。昨日は遅くまで試験勉強をしたので、あまり眠れていない。早く家に帰って床につきたかったのだ。ただ、山口の言動が不安で、そうはいかなかった。先に帰るぞ、という前田の声かけに手を挙げて返事をした。山口がスマートフォン片手に話し出す。
「車で行くんだろ? ガソリン代出すから俺とみくも一緒に乗せてくんないか。ナンパの邪魔はしないからさ」
「いや、ナンパするつもりない」
「斉賀はそうかもだけど、もちはどうかな」
「いや、そんな気ないだろ、裕も」
「どうかな〜。とにかく俺も海行きたいんだよな。絶対楽しませるから連れてってくれよ、お願い」
ただでさえ睡眠不足で頭が重いのに、デジャヴュで頭痛まで起きる。こいつ、必死にお願いすればなんとかなると思ってやがる。
「待てよ。俺たちと行くんじゃなくて彼女と二人で行ったほうが絶対楽しいと思う」
「いーや、海は大人数で行ったほうが楽しい」
「彼女も男三人と一緒に行くの嫌がるだろ」
「じゃあ女の子一人呼ぶか、お前の車五人乗れるよな」
まずい流れになっている。具体的に海で何をするか、なんていうのは考えていなかったが、持留とのんびり過ごしたかったのだ。
「いや、裕が嫌がるかもしれない」
「今、確認取ってるよ」
「は」
スマートフォンを操作しているのは分かっていたが、想像の斜め上を行く。
「既読ついた」
「え」
「いいよ〜って来た」
メッセージを交わしている画面を見せつけられる。
『斉賀と海に行くって聞いた! さてはナンパしにいくつもりだろ。俺と彼女も海行きたくて、ナンパの邪魔しないから一緒行ってもいいですか』
そんな文面が見えて、本当に腹が立った。
「お前。ムカつく奴だな」
ただ、たしかに持留は、斉賀がいいならいいよ〜と送っている。サムズアップしている猫のスタンプ付き。とりあえず自分のスマートフォンから持留にメッセージを送る。途中まで打ち込んでいた、体調を気にする文章は全て消した。
『山口が変なこと送って悪い。うっかり話してしまって、面倒なことになった』
『大丈夫だよ、人数多い方が楽しいんじゃないかな』
少し間が空いて、『ナンパするの』という言葉が追加で画面に浮かんだ。即座に『しない』と返す。『よかった』と返事が来て、山口に送られていたのと同じ猫が現れる。変な誤解をされなくてよかったと一安心した。
「野々垣も誘ってみた! 行きたいってさ」
「は? 」
安心が吹き飛ぶ。
「あれ、野々垣知ってるだろ。文学部の野々垣愛莉沙。こないだ斉賀の話したんだけど」
「いや……は? なんで勝手に」
「斉賀の言う通り、彼女が女子一人になるの可哀想だなと思って。野々垣は明るいし、一緒にいったら絶対楽しい」
頭が痛い。目頭をつまんで俯く斉賀の肩を山口は叩いた。
「二人だけで海行っても時間もて余すって。せっかくだし当日は楽しもうぜ。俺、晴男だから絶対晴れるし! で、何日に行く? 」
お前らがついてくるなら、行かないと言いたかったが、持留が了承している以上、その選択肢はなかった。
「裕の都合のいい日がいい。聞いてみる」
いつがいいか、と送ると候補日が送られてくる。その中の一日を選んで山口に伝えた。
「俺はOK。ちょっと他二人にも聞いてみる」
なんでお前忙しいのにその日はいいんだよ、とそれにすら腹が立った。
「みくは空いてる、って言ってる。野々垣は……おお、バイト入ってるけどなんとかするってさ」
なんとかならないといいな、と切に思う。自分のことを好いているかもしれない彼女と、どんな風に接すればよいのか。想定から大きく外れた海水浴に、斉賀は呆然としてしまった。
「海参加メンバーでチャットグループ作っとくな〜」
呑気な山口の声が遠くに聞こえる。とりあえず一旦、持留に会いたかった。会いたくてたまらなかった。メッセージを送る。
『もし、試験終わってたら会えないか』
『大丈夫、今大学にいる? 』
『中庭の方の食堂にいる。もうお昼食べたのか』
『食べたー。どうしようか、カフェで待ち合わせにする? 』
山口から離れたかったから、その提案に乗った。大学内にあるカフェに向かうことにする。
「じゃあ先行くわ」
山口に声をかけて、立ち上がる。ついてこられないよう足早に去ったが、じゃあなーというゆるい返事だけは背中に受けた。
◆
カフェに着くと、持留の背中が見えた。歩みより、後ろから声をかけると彼が振り向く。その顔に少し疲れが見えた。
「永一郎、久しぶり」
「おー」
対面にある椅子を引き、腰掛けた。持留はカフェで購入したらしいソフトクリームを持っていて、そのアイス部分をちょっとずつかじりつつ、首を傾げた。
「なんか、永一郎やつれた? 」
「いやー疲れた。レポート累計六万字は書いたな……」
「やっぱ理系って大変なんだ」
「でも、裕もちょっと疲れてそうだ」
「まあね、でも明日から夏休みだよ! 」
テンションが高くて、楽しそうだった。斉賀は海水浴のことを考えてしまって、あまり同調できなかった。
「海の件、うっかり山口に話して……、ほんとにごめんな」
持留は苦笑いを浮かべた。溶けたアイスがコーンに垂れて、零れそうになっているのが気になった。テーブルに備え付けの紙ナプキンを一枚取って、コーンを包むようにして持たせる。きょとんとしつつ、持留は素直に従った。
「あ、零れそうだったのか。ありがとね。山口のこと気にしないでいいよ。海でどう過ごしたらいいのか、僕よく知らないし。山口は詳しそうだし」
「……野々垣さんも来るらしい、って聞いたか」
「え、そうなの。それは聞いてなかった」
「やっぱ言ってないのかよあいつ」
持留は黙って、アイスを食べた。何か考え事をしているようにも、溶け続けるアイスとただただ必死に格闘しているようにも見える。
海に行って、持留とゆっくり夕日を見たかった。泳がなくていいから、綺麗な景色のなかで彼と過ごしたかった。しかし、きっとそれとは正反対の海水浴になるだろう。下手したら山口はそこら辺の他人を連れてきてバーベキューでもしだす。それでEDMとかかけだす。思わず深いため息をついた。
コーンの上に乗っていた分のアイスを食べ終えて、持留は呟く。
「でも、やっぱり海は楽しみだな。永一郎の車も楽しみだし」
本当にそう思っているのか分からない無表情だったから、心配になる。
「嫌ならやめていい、言い出しづらいなら俺が全力で断る。別の日に二人で行こう」
彼は表情を変えずに首を振った。いっそ不安そうにも見えてしまう。
「みんなで行こうよ。せっかくだし」
「ほんとに大丈夫なのか」
「大丈夫だよ」
にっ、と笑ってみせる持留に、斉賀もつられて笑ったが、笑顔を保つことはできなかった。コーンをサクサクと食べ進める音を聞いていた。思ってもいなかった夏休みの始まりだった。
◆◆◆
雨になってしまえと一週間前から天気予報を見続けたが、ずっと晴れの予報だった。
当日になるまではまだ分からないなどと思っていたが、海水浴に行くその日、朝起きてカーテンを開けると当然、見事に快晴だった。斉賀は観念した。夏休みに入り、昼夜逆転気味だった生活リズムの影響もあり寝付きが悪く、あまり深く眠れなかったようで頭が重かった。
光が射し込む窓に背を向けつつ、スマートフォンの画面をつけた。チャットグループにメッセージが届いている。
寝坊を心配されていた野々垣が、ちゃんと起きたよという旨のメッセージをあげており、それに対して山口と持留が返事を返している。持留が送った拍手をしている猫のスタンプを見て、それを送る時の彼を想像した。すると少しだけ気持ちが和んだ。
あと一時間もしたら家を出なければ。時刻を確認しつつ洗面所へ向かう。雨になれ、と言いながら、反して昨日床屋に行った。見慣れない自分が鏡に映ると、少なからずはしゃいでることを感じて、恥ずかしくなった。持留との初めての小旅行だと思ったら、髪を整えたくなったのだ。気にしないようにして、顔を洗って身支度を済ませた。
食パンをオーブンレンジに入れて、焼き上がるまでの間に荷物の確認をした。水着、バスタオル、ビーチサンダルなど。バスタオルは持留の分もと考え、一応二枚入れた。焼き上がったトーストに、バターを塗りつけて食べる。いつものルーティンなのに、なんだか落ち着かず何度も時間を確認した。
祖母が遺してくれたこの家は、一人暮らしには大きくて戸締まりが少し大変だった。それでももう一年半近く暮らしているから、随分慣れた。予定通りの時間に、玄関の鍵をしめて家を出る。玄関先に停めてある白のセダンは昨日洗車をしたおかげで、日光を反射して輝いている。車に乗り込むと、熱気がこもっており思わず暑いと独り言ちた。冷房を強くかける。
これから大学に向かって、そこで待っているであろう持留とその他三人を拾う。楽しみなんだか、そうじゃないのか、斉賀は考えすぎてよく分からなくなっていた。ただ、なんとなく緊張しているのは確かで、大きく深呼吸をしてから陽の光に炙られたハンドルを握り、アクセルを踏み込んだ。
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