第3話 内向型の彼

 山口とみくちゃんはあの合コン以降、いい感じらしい。わざわざ報告しにきたのだ。

 破顔した面を隠そうともせず、共に履修している講義前の休み時間、山口は斉賀のところまでやってきて、前の座席に座った。斉賀が眉根を寄せて、露骨に嫌そうな顔をしたのも気づいていない。

 毎日連絡を取っていて、今度二人で遊びに行く約束をした。今が一番楽しい時期だ。まじでみく可愛い。

 要約すると、そういったことをアホほど大きな声で話していた。

「あ、そう、よかったな。俺が参加したかいがあった」

「いやー、まじで本当にそう。ありがとな。感謝感謝。また頼む」

「もう絶対に頼むな」

 顔が緩みっぱなしの彼を見ていると、恋愛に溺れるというのは幸福なことだ、と感じる。性根が単純で素直でないと、ここまでの緩みは見せられないだろうが。

「つーか毎日連絡取るってすごいな。何話すんだよ」

 気になり、問いかけた。緩んだ顔がふと真顔になり、山口は考え込む。

「いや、何話すってほどでもないけど、普通に講義だるいとかそんな感じ。覚えてもない」

「なんだそれ……、鳥なのか? 」

 想像以上に参考にならない解答に呆れ果ててしまう。がしかし、山口の交友関係が広いのは事実だ。きっとこれくらいの軽さで接したほうが世間には受け入れられるのだ。ただ、自分には出来そうになかった。

 ため息をつくと、肩を強めに叩かれた。普通に痛くて舌打ちが出そうになる。

「なんだよ、元気ないじゃん。俺が羨ましいのか」

「まあ、ある意味」

「斉賀も彼女作ろうぜ。こないだの合コンどの子がタイプだったわけ」

「よく分からなかった」

 今度は山口がため息をついた。まだ付き合えていないからお前も彼女いないだろ、と思いつつ、それより聞きたいことがあり、無視して話を振る。

「友だちになりたい人がいたらどうやって仲良くなる」

「友だち? 普通に話しかければよくね。あー、なるほど、お前はある程度仲良くなって人となりを知ってから、恋愛したい派なのか」

 ふむふむとわざとらしく口で言って、山口は下卑た笑みを浮かべた。相手は男だ、という訂正は面倒くさくてしなかった。

「普通に話しかけるって、迷惑だったらと思ったら勇気でなくないか」

「いや、こないだの心理学で席立って歩ける勇気あるならなんでも出来るだろ」

 斉賀は顔をしかめて我慢せずに舌打ちをする。それを見た山口は愉快そうに笑った。

「あれ、斉賀っぽくなかったなー」

 あの出来事から既に三日目だが、未だ風化せず工学部中心に揶揄われ続けていた。人の噂も七十五日。後少し耐えれば皆忘れると考え、不機嫌に受け流していた。

 あの時のような考えなしの行動に、勇気は要らないのだ。悩めば悩むだけ、持留に連絡をすることができなかった。用事もないのに、メッセージを送っていいのか。いや、それは迷惑だと過去の経験から決めつける。知り合いに世間話を送られて、何を返していいのか分からなかったことを思い出したのだ。

 意気地なしな自分に嫌気が差していた。早く来週火曜になればいいのに、と思いながらペンギンのアイコンを眺めた。



 念願の火曜日が来る。心理学の時間、辺りを見回しながら教室へ入った。目を凝らして彼を探すが、人が多い上、遠くの顔はボヤけて見つけることができない。

 いつも通り、同じ学科のメンバーが集まっている辺りに行き、席に着いた。教授の近くに行くのは気まずく、できる限り教壇から遠い席を選んだ。山口の後ろの席だ。友人の前田が後から来たので、通路側から窓側へと席を詰めた。

 さて、どうしようか。火曜になればまた話せる、なんて考えは甘かったのかもしれない。荷物を抱えたまま途方に暮れた。

 その矢先に肘を突かれる。隣の前田だ。

「斉賀、お前に用あるみたいだけど」

 見やると、その奥の通路に持留が立っていた。諦めかけていたところに現れたのですぐに反応できない。

「もちじゃん。そういやこの講義取ってたなあ」

 前の席の山口が先に声をかけた。持留はそちらに視線をやって愛想よく応えた。

「うん、楽単だし」

「だよな〜。てか何、斉賀と仲いいの。飲みの時は知り合いっぽくなかったよな」

「こないだ一緒にご飯食べた。そんで、その時僕が家の鍵落として、斉賀が一緒に探してくれて」

「え、めっちゃいい奴じゃんお前」

「ほんと、いい奴。これ、お礼に持ってきたんだ」

 前田の前を通って斉賀にビニール袋が差し出された。中にはコーヒーだの栄養ドリンクだの、細かい菓子だのが詰め込まれていた。

「斉賀、ありがとね。何が好きか分からなかったけど、イメージで買った。しょっぱいお菓子とか」

 素直に受け取り、持留を見上げると目尻を下げた柔和な笑顔を浮かべていた。斉賀はかすかな違和感を覚え、会話に集中できない。

「……なんか悪いな。しょっぱい方が好きだから嬉しい」

「ほんと? よかった」

 山口が物色しようとビニール袋に手を伸ばしてくるので、触られないよう抱え込んだ。それを見て持留と前田が共に笑い声をあげる。

「斉賀がよかったら分けてあげて。じゃあ席戻るな」

 また、と言って手をあげるのを名前を呼んで制した。

「ん? どした」

 持留はこちらを振り向いた。今しかない、という焦りに背中を押されて、言った。

「今日もまた一緒にお昼食べないか、先約なかったら」

 途端、気後れしたように持留の表情がなくなった。しかし一瞬のことで、すぐに頷く。

「そうしよ。なんならお礼に奢るよ」

「いや、それはいい。むしろ俺が奢る」

 さっきの反応が嘘のように笑顔を浮かべて、首を振った。

「奢られるのは絶対やだ。またあとでね」

 持留が去り、少しして講義が始まる。

 斉賀は気づく。僅かな違和感の正体は、呼び名だった。なぜ今日は名字で呼ぶのだろうと不思議だったが、あえて理由を問うほど、拘ることでもないだろう。それよりも一瞬の無表情のほうが気がかりで、お昼になる頃には忘れてしまっていた。



 大学には二箇所、食事処がある。前回と違う食堂に向かい、セルフサービスで注文を終えた。空いている席を見つけ、そちらを指差して持留と目を合わせた。頷きあい、腰掛ける。今回はテーブル席で、向かい合う形で座った。

 食事を取りながら話をする。

「今日、誘ったらまずかったか」

 無表情が忘れられず、開口一番聞いてしまった。持留はチキンバジルソテーを箸で割る手を止めて、小首を傾げた。

「いや、全然。今日もこないだと一緒でもちろん二限終わりだし。なんならバイトもないし。暇だから」

「そうか、迷惑だったらごめんな」

「ネガティブだ。どうしたの」

「誘った時の裕が困った感じに見えて」

 虚をつかれたような顔をした後、彼は少し黙って一口大にしたチキンを食べた。斉賀も親子丼をつつく。

 また少しして、覚悟を決めたようにこちらを一度見据えて、しかし、すぐに視線を外して、ようやっと持留は語りだした。すごく言いづらそうに。

「ほんと、暗すぎて話すのも恥ずかしいくらいなんだけど……」

「うん」

「どう思われてるのか気になって、あんま人と関わるの得意じゃないんだよね」

「……ん? 」

「嫌なことしてないかとか、嫌われないか、とかが心配になってちょっとしんどいと言うか。一人でいる方が楽で……。それで結構単独行動が多いから、誘ってくれて嬉しかったんだけど、一瞬戸惑った。それだけ、だから斉賀が悪いとかじゃないから気にしないで」

 話が止まったと思っても終わらず、息継ぎしながら、言葉を続けていく。想像していなかった話で、正直に言うと少し反応に困った。そのため、斉賀は聞くに徹して相槌を打った。

「一人で喋りすぎた、暗くてごめんね」

 ぽつ、と最後に囁いた。俯いているから表情は見えないが、耳の先が赤い。落ち着かなげに、髪に触れる指先。懸命さが伝わる様を見ると、懐かしさに似た切ないような感情が心に満ちて、斉賀は胸が苦しくなった。とにかく、彼のことを、その苦しそうな気持ちを、なんとかしてあげたかった。励ますための言葉を探す。こちらの様子を窺うように持留は上目遣いで斉賀を見た。そんな彼の瞳をまっすぐ見据えたが、あちらは自信なさげにふいとそらした。

 言葉を選びきらないうちに、斉賀は話し出す。

「裕もネガティブだな……。そういうの、俺も分かる」

「分かる、の? 」

「俺も友だち少ないし、上手く人のこと誘えないし、まともに連絡を取ることすらできない。このまま社会人になっていいのかと常々思ってる。正直、山口が眩しい」

「それはめっちゃ分かる」

「な、本人の前では絶対言わないが。……で、友だちなんて要らないと思ってたんだよ。でも、裕と話してると楽しかったし、仲良くなりたくなった。自分を変えられそうな気がした」

 で、なんだ。自分の中を探るが上手く言葉を選べなかった。しかし、前向きな思いが胸で溢れかえっており、持留と話すと自分は明るくなれるのかもしれないと、ふと気づく。

 続く言葉が出ないまま、長く黙ってしまう。持留は箸を止めたまま、待ってくれている。

「すまん、まとまらないが、とにかくもし良かったらこれからも一緒に昼飯を食べたい。気持ちが乗るときだけでも。俺は簡単に裕を嫌いにならない、と思う」

 持留とようやくまっすぐ目があった。お互いに見つめ合うと、視線と視線が結びつくような感覚があった。静かで、光を映す眼。海を初めて見た、幼い頃の記憶が頭の端に蘇った。で、やっぱり持留が先に目を逸らす。

「うん、僕も一緒に食べたい。来週もよろしくお願いします」

 言葉に沿って頭を下げて、顔をあげた。幾分和らいだ表情になっていた。斉賀も釣られてほっとする。

「冷めちゃうから早く食べなきゃ」

 独り言のように言って、持留はチキンバジルソテーを食べ始めた。斉賀も箸を進める。

 親子丼の淡い黄色とバジルの柔らかな緑。持留が食事を進めるのを、どこか安らいだ気持ちで眺めた。



◆◆◆



 毎週火曜日は必ず一緒に昼食を取る。

 その日は、玄関でスニーカーを履いて、つま先を地面に打ち付ける仕草でさえ軽やかだった。歩くリズムも、いつもよりも弾んでいるようだった。話すのはよしなしごとばかりだが、顔を見ていると落ち着いた。

 好きな食べ物や所属しているサークルの話に留まらず、色々なことを話した。

 例えば、持留の生まれ育った場所の話をした。あまり好きではなかったけれど、離れると地元の海沿いを父とドライブした時の空の濃さがたまらなく恋しい、と彼が語った時の満ち足りた表情は、その地へ憧憬を持つのに十分だった。

 例えば、なぜこの学部を選んだのかと聞かれた。斉賀は幼い頃から大きな物が好きだった。まだ背丈が大人の太ももくらいまでしかなかった頃に見た、造船場にあった、見上げても足りないほどの大きなクレーンや、本州と九州をつなぐ橋のことを話した。大きな物を作れることが一番すごい、と子供心に思ったのだった。その時の興味から今ここにいる。あとはまあ就職がよさそうというのも理由のひとつではあるが。

 彼の表情は翳っている日もあったし、随分朗らかな日もあった。必ず食事は共に取って、彼の翳りも明るさもどちらのこともよく見つめた。朗らかな日は持留の幸せそうな様のおかげで、斉賀も嬉しかった。

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