別面:思い出したエルル

 ガクン、と、頭が落ちる感覚で目が覚めた。


「っ!?」


 すぐに姿勢を立て直す。条件反射で周囲を確認すれば――そこは、自分の部屋だった。家にあるものより確実に長い時間を過ごしてきた、第7番隊の隊寮の方だ。

 手元には戦術書があり、どうやらこれを読んでいる途中で意識が飛んだらしい。同時に、直前の事を思い出す。そうだ。尽きる様子の無いモンスターの大群を毎日相手にしている中で、休息命令が下ったんだ。

 もう眠気を完全に無視できるようになって何年も経つ。既に眠り方すら忘れているのに休めと言われて、それでも丁度剣も折れてしまったから修理に出さざるを得ず、仕方なくこうしてすっかり暗記している本を眺めていた訳だが……。


「……いや、なんだ、これ」


 しかし、さっきから妙だ。自分の部屋はいい。直前の事を思い出したのもいい。だが、それに対しての感情が「2つ」ある。

 部屋に対しては、見慣れたと久しぶり。直前の事に対しては、苛立ちと納得。まるで自分の思考が2つあるように……あるいは、自分が2人になってしまったかのようだ。

 まさか。そんな事がある訳が無い。ほんの一瞬とはいえ、何年かぶりに眠ったから寝ぼけているだけだ。


「っぐ、あ!?」


 と、思った瞬間。頭の中に「知らない記憶」が展開された。ほぼ常に何がしかの事件や異常が起こり、対処せざるを得ないという非常に内容の濃い記憶。それも1年2年ではない。

 急に知識を流し込まれるような感覚だ。しかも同時に、思い出したくもない今までの記憶も蘇って来た。……いや、これも、どっちだ。思い出しているのは、過去とこの知らない記憶、どっちだ。

 これは、まずい。頭が割れそうな痛みの中、直感的に思う。だが止め方もこらえ方も分からない。しかし今の所、知らない記憶の方を異物だと強く思えばなんとか――――



 その記憶の中で。

 自分の左の手の甲に、銀色の少女が、唇を触れさせた。



 瞬間。確実に、思考に空白が出来た。

 そして2つに分かれていた思考の内、片方だけが即座に立ち直る。感覚が入れ替わる。知らない記憶を「引継ぎ」、過去の事を「思い出す」方が強まり、思考の主軸となる。まぁ入れ替わったと言っても、どちらも俺だ。それは間違いない。

 だが。


「…………っあー、くそ」


 本来なら、「夢」という不確定で朧げな記憶としてしか残らない筈の期間。卵から孵ったばかりの、普通の子供よりもずっと幼く弱い、しかし色々と規格外でドがつくほどマイペースな皇女による例外で得た体験は。

 自分の過去を「改めて思い出した」事で、はっきり自覚できる程に


「あの降って湧いた系お嬢。無茶ぶりはいつもの事だが、今回は本当に危なかったぞ……」


 俺を、変えていた。

 正直なところ、記憶がはっきりした今では自分でも別人だろと思う。これはしばらく言動に気を付けないと、少なくとも部隊の奴らは動揺で使い物にならない。緊急事態に厄介事が増えた。

 そして、緊急事態、で、思い出す。そうだ。そうだった。


「……少なくとも俺が合流する前提、か。しかし流石に単独行動するのは無理だから、部隊ごと動かすしかないな。まぁ独自行動はいつもの事だから最初の出動は良いとして、あとの言い訳をどうするか……」


 さっきまでとは違う意味で頭が痛くなってきたが、まぁ、やるしかない。何せあの降って湧いた系お嬢、俺がそれを実行する事を砂粒ほども疑っていない。深々と息を吐いて、持っていた本を閉じる。

 ……その手首に、本を開いた時には無かった、大きさと見た目に反してやけに強力な魔力を感じる紐があった。視界に入るとそれをつけられた時の事が条件反射で浮かび、はっきり思い出す前に、ばちん! と習慣的に空けていた右手で自分の頬を叩く。


「とりあえず、剣の受け取りだな。行く時に緊急出動の準備をしとけと言っておいて、戻ったら出来てる奴だけ連れていけば合流は問題ない筈だ」


 意識して試行に空白を作り、その時の記憶を封じ込め、部屋を出てそのまま隊寮の出口へと向かう。休息命令は1人の例外もなく発令された筈だ。だから真夜中の今、周囲にほとんど動きは無い。

 それでも俺が動いたら、副隊長はそれを察して様子ぐらいは見に来るだろう。その時に伝えれば部隊全体に伝わる。

 ……問題は、内面とは言え自分で分かる程、俺自身が変わったって事だが。何せ「夢」だ。体感的にはほんの一瞬。休息命令を受けて折れた剣を預け、部屋に引っ込んでからでも、精々数時間だろう。


「(あいつがこんな変化に気付かない訳が無い。さて、どう説明するか)」


 あとは。

 この、お嬢曰くのお守りを見ただけで、つけられた時の記憶が出てくるって事は。恐らく、お嬢を見ても同じ状態になるだろうって事で。

 …………顔を合わせて、普通に会話する自信がないって事だ。

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