昔日:書皮を名乗る人の話

「なぁ。どうせ引き籠るなら、一緒にゲームをやらないか」


 そう提案してきたのは、いくつかのプロジェクトを共同で進めた事のある、自称有能な知人でした。

 その時私はほとんど心を壊していて、何をしていても「命を絶つ」選択肢が、すぐ手の届くところにある状態で……殴って止めてくれた上に退職を含めた手続きを進めてくれた親友に連れられるまま、都心からかなり離れた一戸建てへと引っ越したところでした。

 彼女が来たのは、その親友が諸々の手続きで出かけている間だったので、私が対応した訳ですが。引き籠り、とは。


「……引き籠るつもりは、一応、ないのですが……」

「だが仕事は止めて、求職活動すらしないんだろう? 一般的には引きこもりのニートというのが適切だ」

「返す言葉もありませんね」

「ま、君の親友は有能だ。恐らく、会社を潰してでも君が得る筈だったものをむしり取って来るだろう。遅く来た長期休暇だと思えばいいさ」

「ははは」


 乾いた笑いが出たものの、私を殴った時とその後の彼の剣幕を考えると、否定は出来ず。もしや諸々の手続きとは……と思ったところで、考えるのを止めました。彼ならやりかねないし、今の私に彼を止める権利も、力もない。


「私の会社としても、君を含めた数人の有能な人物を食いつぶすクズ会社はつぶれてもらった方が助かるしね」

「……ははは」


 そして、それは目の前の知人も同様だったらしく。実に好戦的で黒い笑みを浮かべるのに対して、私は乾いた笑いを零すしかありません。まぁ、我が社……いえ、前の職場は、その、色々と叩けば出てくる埃がある、というのは、事実ですし。


「しかし、それにしても……ゲーム、とは?」


 これ以上この話題が続くと、どうあっても愉快な話にはならない。そう悟って、軌道修正の方向で話を逸らします。


「あぁ。VR技術については既に知っていると思う。そのゲームの新作タイトルなんだが、実に面白そうな気配がするんだ」


 そもそもこちらが本題だったので、知人はそのまま携帯端末を取り出し、こちらに押しやってきました。受け取ってみると、これは……ふむ。ゲームの情報がまとめられたサイト、でしょうか。


「そう。ベータテスターの有志によるまとめサイトさ。とりあえず目を通してみてから、君の意見が聞きたい」


 ふむ。

 この知人の「気配」は不思議と当たります。恐らくは様々な情報を集めて頭に収める事による、高度な推測なのでしょうが。顕在意識では結論しか認識できない為、勘とも言われていますね。

 まぁそれでも、意見を求められたのなら返しましょう。という事で、ざっと目を通した訳ですが。


「……全体として、見辛いですね。情報もソースや試行回数が不足です。ここから資料を作れと言われたら、私でもお断りします」

「うーん、君は本当に有能だが仕事の癖が抜けてないな。これはゲームだと言っただろう? 楽しそうとか面白そうとかは?」

「添付してある画像も見ましたが、特には」

「なるほど、これは重症だ」


 一言でまとめると、非常に拙い、となるでしょうか。余程選択肢が無い場合でもなければ、参考資料には選ばないでしょう。

 端末を返しながらそう答えると、知人は呆れたような息を吐いていました。おや。重症とは。親友にも言われましたが。


「ま、君の重症具合は君の親友も交えて何とかするとして、君の意見は分かった。その上で注釈をつけるなら、私が知る限り、このサイトがもっともまともで分かりやすい」

「…………これが?」

「これが、だ」


 思わず首を傾げてしまいますが、知人は頷きました。いやいや、まさか。あれはただ情報を集めて並べただけで、まとめたとは到底言えないでしょう。そしてその並べ方も見やすい訳ではない。

 ……というのが正直なところなのですが、重々しく頷いた知人が嘘を言っているという訳でもなさそうです。という事は、情報を取り扱う能力が低い人ばかりが有志となった、という事でしょうか……?


「そこで、だ。このサイトを見て私は思った。これは、私がやった方が早いのでは? と」

「まぁ……貴女が手を出すのであれば、それが一番確実でしょうね」

「そうだろう。何せ私はとても有能だからな」

「そうですね」


 自称有能。それが彼女自ら名乗る肩書ですが……。

 私を含め、彼女を知る人間は、こう呼びます。


「だが、流石に1人ではどうにもなりそうにない。もちろんゲームを始めてからもこれはと思った相手には声を掛けるし、人材を探すだけでなく育てもする。だがそれにしたって、最初から有能な人物がいるに越した事は無い」

「まぁ、それは、確かに」

「だからあの提案になる訳だ。私と一緒に、ゲームをやらないか」


 他称天才。

 あるいは……電脳世界の魔女、と。


「……それは、貴女の補佐として、情報を集め、まとめるという事で宜しいですか?」

「大筋はそうなる。相手となるゲームの広がりによっては、データを集めるところからやらなければならないかもしれない」

「それはまた」


 恐らくは、随分と大変なプロジェクトになるでしょう。しかし知人は、愉快そうな笑みを浮かべています。まぁ、彼女についてはいつもの事なのですが。


「だが、それも仕方ない。何せ、前人未到の「新天地」だ。開拓の最前線で情報を集めてまとめて分類して整頓する。そしてそこから推測して仮定して組み立てれば、こちらの世界に無い物だって作れる。実に困難極まるじゃないか」

「ゲーム、なのですよね?」

「ゲームだとも」


 困難極まる、などと言いながら、その顔から笑みが引くことはありません。むしろ、どんどん深まっていく。今にも声を上げて笑い出しそうなほどに。

 ゲーム。人の手によってつくられた仮想世界。そこには厳然とした上限があり、制限があり。だからこそ、以前誰かに話題を振られた時、彼女は「つまらない」と答えていた覚えがあるのですが。


「そうさ。ゲームだ。現実じゃない。だが――今回は、ものが違う」

「と、言いますと」

「これがそのゲームの公式ホームページだ。企業の所を見るといい」


 再び携帯端末がこちらに押しやられます。ふむ。ゲームタイトルは『フリーオール・アドバンチュア・オンライン』。キャッチフレーズは、最高最大の「自由」をあなたの手に。

 これを発売、運営する企業は……。


「………………は?」

「良い反応だ。私も久々に目と耳を疑ったよ」

「……それは、どちらの?」

「どっちもさ」


 知人の言う目と耳とは、肉体的なものと、自作である情報端末のものとがあります。その両方を疑ったというのは……いえ、まぁ、気持ちは分かりますが。今の私も、まさに自分の目と、目の前のホームページを彼女のドッキリ用自作ページかと疑ったぐらいですから。

 何せそこにあったのは、古くから広告を取り扱う事で決して揺れずあり続け、VR技術というものにも最初から関わっていた、前の職場でも「決して敵に回してはいけない」と厳命されていた企業だったからです。

 子会社を作っているならまだ分かりますが、まさかそのまま参戦してきているとは思っていませんでした。……いえ。ですが、これは、確かに。


「なるほど、納得しました」

「ほっほーう? 何がかな?」

「貴女が興味を引かれ、手を必要としている、という事に、です。ここが用意したのであれば、絶対に、単なる仮想世界ではない」

「言い切るね。ま、私も同じ意見だ」


 知人の顔に、愉快そうな笑みが戻ります。なるほど。

 ……親友からも「とにかくお前は休め! いいから休め! むしろ休む以外の事は何もするな!!」と言われていますし。ゲームは娯楽ですから、休んでいる内に入るでしょう。

 それに正直なところ、仕事の事しか思い出せませんから。他に何も思い浮かばないので、休むとはどうすればいいのか、困っていたところです。


「分かりました。そのお話、お受けしましょう」

「ありがたい。助かるよ。ソフトとハードは手に入り次第ここへ郵送しよう。あぁ、彼の分も必要だな。そちらも用意しなければ」


 ぱっ、と笑顔になり、知人は立ち上がりました。この素早い行動もいつもの事です。そのまま玄関に向かうので、見送ります。

 そして玄関で振り返り、知人はこう言いました。


「実に困難極まるだろうし、ままならない事もあるだろう。――だが、だからこそ心躍るというものだ。君も、このゲームを楽しんでくれ」


 それに対し、努力します、と返す間もなく、玄関扉から出て行ってしまいました。相変わらずですね。困難が心躍る、とは。

 しかし、仮想世界ならば……そっと自らの顔に触れます。体格もよく、大体は威圧感と恐怖を与えてしまうらしい自分の姿。それも恐らく変えられる。ので、あれば。


「……動物とのふれあい、等も可能なのでしょうか」


 猫カフェや猛禽カフェに行っても、騒がれ逃げられ怯えられ。ふれあい牧場や動物園、果ては水族館までもが同じ結果となり。子供は泣くならまだ肝が据わっている方で、気絶してしまう事多数。

 もはや「幸せそうな可愛いもの」というのは画面越しにしか見られないものと、いつか諦めていましたが。思ってもいなかった方法で叶う、という事も……あるのかも、知れないのでしょうか。

 まぁ、いずれにせよ。そのゲームが始まってからの話ですね。

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