第2話 極彩色の教室
――するとそこには、極彩色の世界が広がっていた。
壁にはペーパークラフトの花が咲き乱れ、天井からは色とりどりの旗がぶら下がっている。黒板には一文字すつ色を変えた丸みのある文字で「スーパーボールすくい」と書かれ、ボールをイメージしたらしい大小の丸がはじけ飛ぶ。そしてビニールプールの中では、主役の様々な色のスーパーボールたちが艶やかに輝きを放っていた。
驚いた。いったい誰が、いつの間に、こんなに気合の入った装飾を施したのか。1-D史上最大のミステリーだ。
しかしその答えはわりとすぐに判明した。
夢のような光景に目を奪われたまま教室の中へ進むと何かやわらかい感触のものを足が踏みつけ、「ふぎゃっ」という悲鳴が上がった。
悲鳴の主は、学校指定の赤いジャージで教室の床に行き倒れていた女子生徒だった。
「えっ、市村!? ごめん、気づかなかった」
「ううん、大丈夫……」
「なんだ
「びっくりしたのはこっちだ! 一瞬、死体かと思った」
「あはは、ごめんね。寝落ちしちゃったみたいで」
「教室真っ暗にして寝るなよ、心臓に悪い」
「電気消したのは見回りに来た先生じゃないかな。床に寝そべってたから、あたしがいるって気づかなかったんだね」
笑いながら頭をかく市村。その周りには装飾品類が入っていたと思しきビニール袋や空き箱や、食べかけのメロンパンなどが散乱している。
「これ全部、お前がやったの?」
俺は改めて教室を見回す。
「全部じゃないよ。机を運び出すのはみんなにやってもらったでしょ。そのあと、途中までは大内さんと石原さんもいた」
大内は1-Dの学級委員で、石原は文化祭実行委員だ。
「つまり、たった3人で……」
「プールを膨らませて、受付のセッティングして完了ってことになったんだけど、それじゃ寂しすぎるでしょ。だからいろいろデコろうと思って持ってきたんだけど……二人ともほかにやることがあって忙しそうだったから、あとはあたしが引き受けたの」
実質、ほとんど一人でやったということじゃないか。
「なかなかいい感じになってきたでしょ?」
「うん、すごいな……」
市村は教室の時計を見上げる。
「えーと、6時15分か。よし、もうひと踏ん張り!」
「えっ、まだやるの?」
「うん。アトラクションがスーパーボールすくいだけだと、がらんとして寂しいんだよね。だから風船で空間を埋めようと思って。あー、でもまずは腹ごしらえ」
そう言って、歯型のついたメロンパンにかじりついた。
そういや腹が減ったなと思ったが、この時間では購買部も開いていない。こんな状況で市村を一人にして立ち去るのも気が
「坂井くんは部活か委員会の仕事で残ってるの?」
「まあそんなところ。もう終わったけど」
「そっか。お疲れ様」
市村の言い方はさらりとしていて嫌味がなかった。
なんだ、引き留められるかと思ったのに。
「でも、さすがに悪いよ。今からでも手伝おうか?」
「気にしないで。あたしがやりたくてやってるの」
「どうしてそこまで……」
みんなさっさと帰ったってのに、どんなモチベーションで頑張っているんだ? そう思ったが、はっきりと口には出せなかった。
「あたしのこと、変なやつだと思ったでしょ」
ぎくりとして玉子サンドを飲み込んだら喉が詰まりかけた。「そんなことねえよ」と見え透いた嘘で取り繕うと、「別にいいよ」と苦笑する。
「坂井くん、今年の文化祭のテーマ、覚えてる?」
「え? ああ、『
「そう。テーマに沿って、ポスターとか、校門のところのアーチとか、あっちこっちの飾りつけもすごくカラフルに作ってるでしょ。うちの出し物もスーパーボールすくいだから、まあカラフルではあるんだけど、ちょっとお手軽すぎて申し訳ないからさあ」
そういえば、土壇場になってスーパーボールすくいをやろうと提案したのは市村ではなかったか。まさかそんなことを考えていたとは。
「だけどそんなの、たかが文化祭のスローガンだろ。それもけっこうありきたりの。別に市村が気負うことないのに」
「でもそのスローガンを書いて応募したの、あたしなんだよね」
「えっ、そうなのか?」
「生徒なら誰でも応募できるんだよ。で、文化祭実行委員会がいくつかの候補に絞って、最終的には全校生徒のアンケート結果で決定するの。坂井くんも好きなの選んで丸をつけたでしょ?」
「そうだった、かな」
正直よく覚えていない。
「……悪かったな、ありきたりとか言っちゃって」
「ううん、その通りだから。それにあたし匿名で応募しちゃったからなあ。記名しとけば、もう少しD組の人も興味持ってくれたかもしれないのにね」
たしかに。どうしてわざわざ匿名にしたんだ?
……と考えて、あることに思い至った。
「『彩』って、市村の下の名前からとった文字か!」
「そういうこと。だからさすがに名乗るのは恥ずかしくて。でもどうしてもチャレンジしてみたかったんだよね。でね、もしも自分のテーマが採用されたら、今年の文化祭は絶対に妥協しないで頑張ろうって決めてたんだ」
市村は照れ臭そうに笑った。
こいつ、やるなあ。
普段はおとなしくてそんなに目立つほうじゃないのに。
俺は素直に感心した。
「市村って、意外とすごいやつだったんだな」
「すごくないよ」
彼女は目を伏せた。
「自分の色を出して輝くって、あたしみたいな人間には簡単なことじゃないよ。いつも周りの空気読んで、目立ちすぎないように気を使って。そうやって周りの色に合わせて調和してたつもりが、実は染められちゃってるんだってことに気づいたころには、もう自分が何色だったかわからなくなってるの」
深いなあと適当な相づちを打って流すこともできたが、なんとなくそれは
そんなことを考えていると、市村は沈黙を困惑と受け取ったのか、「なんてね!」とごまかすように言った。
「あたしは委員会も部活も入ってないから、こんなときぐらい熱意をもって取り組んでみるのもいいんじゃないかなって思ったの。ただの気まぐれだよ」
紛れるなよ。
せっかく垣間見えた市村の本来の色を、俺は見失いたくなかった。
「手伝うよ」
「……えっ?」
「玉子サンドもらったし、そのぶん働く」
「でも、もう遅いし」
「それはそっちも同じだろう? 二人でやったほうが早い。風船を膨らませればいいんだな」
「う、うん。ありがとう」
市村は小さな声でつぶやいてから、花が揺れるようにふわっと微笑んだ。
たぶんどこかで、こういう時間を求めていたんだと思う。みんながだるいとか面倒くさいとか言ってる中で「もっと青春しようぜ!」と言い出すことはできなかったけど。
8時を過ぎ、9時近くになって見回りに来た教師に追い出されるまで、俺たちは作業を続けた。
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