第2話

雨に濡れた愛美を自宅へ招き入れた。

「このタオル使っていいから…」

棚からバスタオルを一枚取り出し、広げてから愛美の肩へとかける。

「そのままだと風邪引くから着替える?洋服貸すよ。」

少し間が空いたあと、愛美は静かに頷いた。ワンルームのこの部屋に仕切りなど無く、着替えるために洗面所へ案内した。

「濡れた服はそこに置いといて。ここにドライヤーあるから髪の毛も乾かしな。」

愛美は、また静かに頷く。

洗面所の扉を閉めて、部屋の真ん中に置かれたテーブルの上を片付ける。一人暮らしのこの部屋に人を入れる予定が無かったため、テーブルの上には、レポート作成の資料や趣味で描いている絵などが散らばっていた。適当な棚にそれらを押し込み、愛美が戻るのを待っていた。

しばらくしてドライヤーを使う音が聞こえ、鳴り終わると洗面所から愛美が出てきた。大きい服に包まれた愛美はまるで小動物のようで、いつもより小さく見えた。

「おかえり、お茶入れるから座ってて。」

私は、椅子から立ち上がり、電気ケトルの電源を入れる。キッチンの戸棚からマグカップとお茶のパックを二つずつ出した。愛美の口に合うかは分からないが、うちにはこれしか無いので我慢してもらおう。お茶の準備をしている間も沈黙は続き、窓の外から聞こえる雨音と電気ケトルのはたらく音だけがこの部屋に響いていた。


「はい、口に合うかわからないけど…」

お茶の入ったマグカップを愛美の前へ差し出す。

「ありがとう。」

愛美はマグカップを両手で持ち、お茶を少しずつ口へ運んでいた。

「翔吾くんってよく一緒にいる彼?」

私は、愛美から状況を聞くために口を開いた。

「夏休みに友達に呼ばれた飲み会で出会ったの。付き合おうという話にはなってないけど、出会った日からほぼ毎日一緒にいたし、夏休み明けも彼の家に入り浸っていたから付き合っているものと思ってて…」

愛美は俯きながらも、話をしてくれた。

「三日前くらいから突然連絡が来なくなっておかしいなと思っていたんだけど、今日使われていない講義室から翔吾くんに似た声が聞こえて入ってみたら服の乱れた翔吾くんと私の友達がいて、色々話を聞くと私たち付き合ってなかったらしくて…」

次第に声を震わせ、涙声へと変わっていた。

「愛美の友達は、愛美が翔吾くんと付き合っていると思っていたのを知らなかったの?」

こんな質問は、酷だろうか。一息つく間もなく、マグカップに手をかけたままお茶を飲めずにいた。

「その友達には色々相談してたから、知っていたはずだよ。私と目が合った時、焦った様子だったから確信犯かなって…」

つまり翔吾くんとその友達は、愛美を影で嘲笑っていたという事になるのだろうか。愛美からこの手の話を聞くことになるとは、意外だった。桜並木の下で出会った彼女の印象は、芯のある強い女性で、だらしない男に翻弄されるような人では無いと思っていた。

「大変だったね。その二人とはどうするの?」

「どうするもなにも…翔吾くんとは付き合ってなかったし、友達とは友達じゃなかったみたいだからこれで終わりだよ。さっきはショックで泣き崩れたけど、葵の顔みたら泣いてるのも馬鹿らしくなった。」

まるであの頃のように笑う彼女は、相変わらず綺麗で愛らしい。私たちの友情は、もう戻ることなど無いのに期待してしまう。

「どんな顔だよ。」

「泣いてる私を見た時は、死ぬほど心配そうな顔をしてたのに、今はどうでも良さそうな顔をしてる。」

表情が硬いだけなんだけどなという言葉は、あえて口に出さなかった。愛美の話を聞いていた時の本心の一割くらいは、なんだそんなことかと思っている自分がいたので否定出来なかった。

「ははは…どうかな。」

手にかけていたマグカップをようやく口に運ぶことが出来た。喉が渇いていたのか普段よりもお茶が美味しく感じた。ふと視線を愛美の方へやると、真っ直ぐな瞳をこちらに向けていた。

「葵、私たちまた友達に戻れないかな?」

驚いて目を見開く。

期待して待ち望んでいた言葉のはずが、心の奥底でざわざわとした感情が揺れ動いていた。

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桜が咲いたら 諸星るい @chaa__po

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