へびつかい あのう姫!

るかじま・いらみ

第1話 娃瑙姫(あのうひめ)

 長い黒髪を滝のように背中に流して、一人の女性が御簾の向こうに座していた。

 装いは蘇芳の単衣(ひとえ)に、赤の表着(うはぎ)の樺桜(かばざくら)。

 闇夜にぼおっと、灯火のように浮かんで見える。


「ねえ、まだ来ないのかな」


 すでに夜も深く、皓々と光る月が天にかかっていた。


「ねえってばあ」


 御簾を上げて顔を出すと、周囲の人間たちがぎょっとした。そもそも身分ある貴族の女性はそう簡単に人前に顔を出したりはしない。特に、男性の前には。

 彼女はそんなこと気にもしていない。

 小さい頃から近くに住むこどもたちと一緒に山野を駆け巡り、男も女も、身分も何も一切関係なく遊んでいた。

 さすがに今ではおおっぴらに野遊びをすることはなくなったが、性別や身分に頓着しない考えは、十四才になった今でも変わらない。

 ちなみに今この場にいるのはほとんどが男だった。皆、腰には太刀を履き、弓を構えている。何者かの襲撃に備えているのは明白だった。

 そのなかで女はわずか二人しかいない。そのうちの一人が、先程御簾から何の躊躇いも無く身を乗り出した娘だった。


 名を『あのう姫(娃瑙姫)』。


 それが親からもらった正式な名前である。もっとも、その名で呼ぶものは少ない。

 父親の姓と宮中での役職を合わせた、

『桜少納言(さくらしょうなごん)』とも、

 また単に父親の名前から、

『桜井夏野女(さくらいなつのの・むすめ)』とも呼ばれる。

 しかし、それらよりも世に広まっていた一種の通り名が、この姫君にはあった。


「お月さま、きれいね」


 全く緊張感のない声に、居合わせた一同はかえって安堵する。

 それもそのはずで、実はこの娃瑙姫こそが今夜の主役、切り札であったのだ。

 眼下に控えていた侍女だけが一人溜息を吐いた。


 満月になるたび、宮中に魔物が現れるようになっていた。

 様々な生き物の体を継ぎ接ぎしたかのようなこの怪物は、宮中の庭先や恐れ多くも内裏(だいり)の建物内を駆けずり回り、宮仕えの女性たちを誑かすのである。

 そこで掃討作戦が立てられたわけだが、頼みの綱の陰陽師は依頼を断り、その代わりにと弟子の娃瑙姫を紹介したという次第だ。

 この姫、貴族の娘でありながら妖術を扱う、市井にまで知られた変人であった。


「早く来ないと、眠ってしまいそう」


 ふああ~あ、と姫君は大あくびをした。侍女が顔をしかめる。


「おやめください、姫さま。人前でそんな、はしたない」

「だってー、全然何も起きないじゃない。ほら、この子たちもなんだか退屈そう」


 侍女の顔はますます強ばった。主が『この子たち』と呼ぶものが気味悪いのだ。

 姫の手元には一抱えもある翠色のとかげがいた。それをまるでぬいぐるみのようにかき抱いている。

 とかげは、まだいい。もっと恐いものが姫の身を何重にも取り巻いている。

 薄い桃色をした、長い長い蛇。

 あまりにも長いせいでかえって細く見えるが、実際はそこらの蛇なんかよりもよっぽど太い体躯をしている。特筆すべきは……小さな手足が生えていることだ。


「えっと、姫さま。前々からお聞きしたいと思っておりましたが、それは本当に蛇なのですか」

「そうよぉ。それ以外、なんに見えるの?」

「……ながい、とかげです」

「まっ、この子に失礼よ。れっきとした蛇に決まってるじゃない」

「蛇に手足はないと思うのですが」


 この奇妙な『手足のある蛇』。去年の夏に、都の北にある阿恵山(あえやま)で見つけてきたものだった。

 蛇やとかげなどと心を通わせられるという奇天烈な妖術を身に付けた娃瑙姫は、猟師の間で噂になっているという大蛇の噂を聞き、自ら阿恵山へ赴いて探し求めた。

 持ち前の活発さを発揮してお供の男たちを置き去りにし、一人で山の中を一日中歩き回った。

 そして夕方近くになってようやく、倒れた古木の上でじっとしているところを見つけることができたのだ。大猪か何か、大きな獲物を丸呑みしたために身動きできなくなっていたようであった。

 その見たことのない美しい薄紅色の鱗肌と、小っちゃな赤ん坊のような手足を見た途端、姫はこの蛇に一目惚れしてしまった。

 師匠から教えてもらった術を駆使して何度も蛇の心へ語りかけ、ついに眷属になる契約を取り付けることに成功したのである。

 以来、この蛇に『夕顔』と名付け、どこに行くにしてもいつも一緒にお供させている。

 正直、侍女にしてみれば迷惑……というか絶叫ものである。

 娃瑙姫はこれら以外にも実家の自室に何十匹と蛇やとかげ、亀などを飼っている。同じ部屋で寝泊まりしている。世話も従者に任せず自分でやっている。

 彼女の世間一般に知られている通り名とは、ずばり。


 ――『へびとかげの君(きみ)』


 だった。

 女の子に対しては、まあまあひどい仇名だ。



 宵闇が、一層濃くなった。

 急に風向きが変わり、天から降り落ちるように吹いてきた。


「あ、あ、あ」


 姫が見上げると、氷のように輝く月が、突然ひび割れて砕け散った。

 割れた隙間から、鳥とも猿ともつかない鳴き声が聞こえる。

 続いて人の体よりも二回りは大きいであろうか、真っ黒な羽毛に覆われた魔物が空から降ってきた。

 その一部始終を、姫は呆けたように見入っていた。

 いつ見ても、この現(うつつ)が壊れる瞬間というのは、幻想的に感じる。

 実際は月は砕けておらず、天も割れていない。

 砕け散り、割れて、恥ずかしくも隙間をさらしたのは、異界と現とを隔てる境であった。

 現の欠片が怪物とともに雹のように降り落ちて、庭の土や池の水に傷を付けた。その余波で土や水にも多少のひびが入る。欠片はそこですうっと溶けるように消えた。

 月と天はすでに元通りである。

 姫がどんなに目を凝らしても、隙間はもう閉じていて向こう側を見ることができない。


「ちょっと、ボケッとしてないで、姫さまっ」


 侍女が短い刀を両手に引き出して、体の前面で交差するようにして構えている。

 魔物が大きく翼を広げた。翼まで足すと、端から端までかなりの大きさだった。


「んー、夕顔に食べさせるには、ちょっと大きいわね」

「そんなの、見れば分かりますでしょうがぁっ! 全然大きさが違いますでしょっ」


 さっきまでおとなしい言葉遣いをしてはいたが、早くも地が出たようだ。

 この侍女は雇い主である貴族の姫に対して、まったく遠慮がない物言いをする。

 それも仕方のないことだった。もうとっくの昔に敬意は消し飛んでいるのだろう。自分の酔狂に付き合わされて、何度馬鹿を見たか知れない。

 そして今現在もまた、とてもお馬鹿な状況に陥っていた。

 魔物は、翼をばさぁっと広げ、嘴をカタカタと鳴らし、四本の足で踊り始めた。

 警備に付いていた男衆も、そして娃瑙姫の侍女も、揃ってその珍妙な踊りに釣られて体が勝手に踊り出す。

 その魔物の術に違いないのだが、何が目的なのだかさっぱりだ。

 目に見えない糸に操られるようにして姫を除く全員が、整然と隊列を作って魔物の後ろ側できびきび踊っている。戦うはずだった魔物に虚仮にされているかのようだ。

 一見楽しそうに踊っているように見えるが、内心彼らは怒りで腑が煮えくりかえっているであろう。


「あはは、なにそれ、けっさく」

「ぐぬぬ……っ、姫さま、笑ってないで助けて下さいましっ! と言うか、なんであなたは大丈夫なんですかっ!?」

「そんなの平気よー。だって、私、いつも魔力を持つ眼力に晒されてるから」


 もちろんそれは蛇の眼のことを指している。

 蛇の持つ魔眼は有名だ。ひとたび眼線が合えば射竦められ、丸呑みされるまで身動きがとれなくなる。

 普段の生活からしてそんな眼力に囲まれている姫には、今夜の魔物の妖気などそよ風みたいなものなのだ。

 一方であの侍女は女だてらに腕が立つくせに、妖術の類いにはからっきし弱い。

 ちゃっ、ちゃっ、ちゃっ、と魔物が足(ステップ)を運ぶと、それに合わせて男たちや侍女が一緒に踊った。

 ちゃっちゃっちゃっ。右へ、左へ。

 ちゃっ!

 侍女の持つ二本の短刀が篝火と月光に照らされて時折光った。さながら剣舞だ。

 彼らは完全に魔物の共演者(バックダンサー)と化していた。

 ここであらためて、姫は魔物の姿をまじまじと見た。

 サギのように細く長い嘴、猫のように爛々と光る二つの目玉、異様に細い首、大鷲のような雄大な翼、狼か猪を思わせる黒い体毛、長鳴き鳥の尾に似た尻尾。

 話に聞いていた通りの、幾つもの生き物の体を縫い合わせたかのような姿だ。

 あと、あの四本の足はなんだろう? 熊に似ている気もするし、狒々に似ている気もする。

 魔物は後ろ足だけで直立した。前足を人間の手みたいに振り上げる。背に生えた翼がばさあっばさあっと何度も羽ばたいた。

 ダンスも佳境のようだ。

 姫はこれに似たものをどこかで見た気がした。そう、あれはお父さまに連れられて……。


「ひ、め、さ、まっ」


 もう限界とばかりに侍女が半泣きで叫んだ。銀色の睫毛にビードロのような涙がついている。


「たぶん、それ、求愛の踊りよ。昔、幸美(ゆきみ)の国に旅行に行ったときにタンチョウがやってるのを見たわ。それとそっくりよ」

「だからっ、なんなんです!」

「ひとしきり踊れば終わるって話。ま、すぐ解放されるわよ」


 言ってふと、疑問が浮かぶ。

 あれ、待って。求愛? そう言えばこの魔物、たしか宮仕えの女の人を誑かすって……。

 魔物が、嘴を一際高く天に掲げ、カタカタカターッと鳴らした。

 その直後、驚くべきことが起こった。魔物の体がぐにゃりとひしゃげると、一人の若人の姿に変わったのだ。見目美しく、立派な身なりの男だった。

 一緒に踊らされていた者たちは、糸が切れた人形のようにばたばたと倒れた。どうやら精気を吸い取られ、みな眠るか気を失ったようだ。

 一人、小憎たらしい侍女の娘だけは地に伏しながらもぎりぎり意識を保っている。唇を噛んで、心底悔しそうな顔だ。

 男は娃瑙姫の前に歩み出ると、恭しく礼をし、自然な流れで手を取った。


「んん?」


 困惑する姫に、侍女が含み笑いをしながら意地悪そうに言った。


「ぷくくっ……。そやつの狙いは、どうやら姫さまだったみたいです」

「えええっ!?」

「いいんじゃないですか。へびとかげの君とお似合いですよ」

「給金、下げるわよ」


 男のほうは、姫の前に座って微笑みかけている。それはただの笑みではなく、心を蕩かせる妖しの笑みであった。

 これでは並みの女ではいちころであろう。好きか嫌いかではなく、人間かどうかではなく、もう目の前の男に身を委ねてしまわなければ気が済まなくなるような、そんな妖力を纏った笑顔だ。

 しかし今回ばかりは相手が悪い。

 魔眼に慣れた娃瑙姫にはまったく通用しなかった。

 娃瑙姫は、手をぶんぶん振った。


「ないない。さすがに魔物さんとはねんごろにならないって。それに私を口説きたかったら、妖術抜きでないと。だって男女の仲にそれは無粋よね」

「まだ殿方をお知りならない姫さまが言ったって、説得力ありません」


 侍女が体を起こしながら皮肉を述べた。体力気力は戻りつつあるらしい。さすが南国育ちは体の造りからして違う。

 姫は、やかましい、と胸の内だけで言い返した。


「ね、夕顔、呑めそう?」


 言葉が分かるのか、桃色の鱗を持つ大蛇はあんぐりと顎を外して、鎌首をもたげた。

 蛇の口は自分よりも大きな獲物を食べるために、顎が外せるようになっている。魔物が男の姿のままなら丸呑みできそうに見えた。

 瞬間、危機を察したのか、男が後ろへ飛び退いた。

 すかさず夕顔が口から毒を霧状にして吹いた。男は毒気をもろに喰らい、手で振り払う。

 振り払ったあとには、もとの継ぎ接ぎの怪鳥の姿に戻っていた。毒気で人型を保っていられなくなったのだろう。


「くけえぇ~っ!!」


 翼を目一杯広げて、四本の足で飛んだ。空へ逃げようとしている。

 しかし、やっ、やっ、と裂帛の気合いが響いたかと思うと、魔物はバラバラの切り身になって崩れ落ちた。

 一拍遅れて、侍女が舞い降りる。

 褐色の肌に汗が煌めく。両手には鈍い光を返す二本の短刀。

 ふぅと息を吐き、短刀を持ったまま肩までしかない銀髪を掻き上げた。


「わあすごいすごい。さっすが、紗羅(さら)ちゃん」

「はあ、やっと面目躍如できました」


 びっ、と短刀を振って血振りする。

 そして懐から布を取り出して丁寧に拭き始めた。


「結局、私、あんまり来た意味なかったね」

「そんなことありません。そのとか……蛇がいなければ切りつける隙はできませんでした」

「それって、私のおかげじゃないよ?」

「夕顔は姫さまの言うことしか聞かないのでしょう。それに」


 紗羅と呼ばれた侍女は、またしても意地悪そうに笑った。


「あの魔物は、姫さまに求愛していたのですから。いい囮になったと思いますけど」


 語尾は丁寧だが、まるで友人のような遠慮のない物言いをする。ふたりっきりなら別に構わないが、ほかの人の前では主従のけじめがつかないではないか。

 給金、ほんとに下げてやろうかしら。

 目を落として、ぶつ切りになった魔物の体を見ると、切り口から黒い血がどくどくと流れ出していた。



 後日、宮仕えをしている女官のうち何人かが、子を孕んだと聞いた。わずか数週間で産まれてきたのは、人頭大の卵だったとか。

 それらはまとめて寺院で浄化、焼却されたという。

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