第54話 怠慢と後悔
ソルドは即座に逃げるという判断をすることができなかった。
本来ならば、皇女であるルミナと宰相であるヴァルゴ大公という要人を守るためにすぐにでも地下用水路に逃げ込むべきだった。
「クレアさん、一つだけ聞かせてくれ」
己の役目よりも、ソルドにはどうしても聞かなければいけないことがあった。
「おっちゃんはどうしたんだ」
「うふふ、考えてみればわかるのではないですか?」
「じゃあ、やっぱり……」
日蝕の魔王は誕生してしまった。そして、同胞のために理不尽な扱いにも耐え忍び、獣人差別をどうにかしようとしていたレグルス大公はもういない。
日蝕の魔王の正体。それは稀に生まれる獣人の王たる運命を背負った雄獅子の獣人ガレオス・ソル・レグルスに他ならなかった。
「さて、ソルド様。そこの外道宰相を討てなかったことは残念ですが、私にはやるべきことがあります。古くからのよしみです、命が惜しければ城下町からお逃げくださいませ」
そう言い残すと、クレアは踵を返して歩き出す。彼女の目的が何なのかわからないが、このまま逃すわけにはいかない。
しかし、今ここでクレアの背中を討つべきか迷っていた。
ソルドにとってクレアはレグルス大公と同様、昔から交流のある人間だ。レグルス大公が父親のような存在だとするのならば、クレアは姉のような存在なのだ。
いくら国に仇名す存在と成り果てようとも、姉のような存在に背中から斬りかかるようなことはできなかった。
「ちくしょう……!」
腕から力が抜け、乾いた音を立てて剣が地面の上で跳ねる。
ソルドは俯いて歯を食いしばった。
状況はまさに最悪。こんなことなら〝ルミナの聖剣シリーズ〟をプレイしておけばよかったと前世でのことを後悔し始めていた。
いや、違う。
そんなものは言い訳にならない。
僅かに知る原作の単語を頼りに調査することはいくらでも出来た。それこそ、レグルス大公やクレアのように、だ。
それをしなかったからこそのこの結果である。
未来に生まれる悪が最初から悪であるとは限らない。この世界に転生して楽しんで暮らすことしか考えてこなかったソルドにとって、それは頭の隅にすらない考えだった。
「俺の、せいだ。俺のせいでおっちゃんが、魔王になっちまったんだ」
「そんな……ソルドは悪くないじゃないですか!」
ポツリと零れ落ちた言葉を何も知らないルミナが否定する。
「違う、違うんだ……!」
自然と視界が潤み、涙が溢れ出てくる。
ソルドにとって今回の件は、レグルス大公の冤罪事件と同様に防げたはずの悲劇だったのだ。彼を救うチャンスを逃したのは自分自身の怠慢によるものだった。
「ごめん、おっちゃん。ごめん……!」
「ソルド……」
「………………」
嗚咽を漏らしながら謝罪を繰り返すソルドの姿に二人はかける言葉を失っていた。
ソルドにとって、レグルス大公がどれだけ大きな存在であったかはルミナはもとい、ヴァルゴ大公ですらよく知っている。
「お前さんのせいではない」
そこでヴァルゴ大公は口を開く。
「息子の件があって、私は盲目的に獣人を排除しようとしていた。レグルス大公が闇の道に堕ちてしまったというなのなら私の責任さね」
そこにはいつもの厭味ったらしい笑みではなく、真剣に自分の愚行を恥じる宰相としての姿があった。
「わたくしもレグルス大公だけではありません。長年一緒に過ごしておきながらクレアの心の内に気づくこともなく迷惑ばかりかけて……」
ルミナもまた今回の一件で自分の無力さを痛感していた。
「それでも悔いるのは後にしないといけません。レグルス大公のことも、クレアのことも、過ぎてしまったことはどうしようもないのですから」
「おーい!」
そのとき、予想外の人物の声が聞こえてきて三人の表情が固まった。三人共油の切れた扉のようにゆっくりと振り返ると、そこには今まさに話題の中心となっていた男がいたのだ。
「ソルド、ルミナ皇女殿下。それにヴァルゴ大公も! 無事でよかったぞ!」
魔王に堕ち、帝国城を支配したはずのガレオス・ソル・レグルスは安堵したように笑みを浮かべていた。
「「「( ᐛ )パァ」」」
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