第13話 地下用水路での真実
夕暮れの地下用水路。
時間帯に関わらず常に薄暗いその場所には一人の人物が辺りを警戒しながら歩いていた。
その人物の元にはある手紙が届いていた――血の付いた地下用水路の瓦礫と共に。
『夕暮れ、地下用水路の外へと繋がる道にて待つ』
差出人は不明であり、罠の可能性もある。しかし、彼はその誘いに乗るしかなかった。
瓦礫と手紙の文言。それは事件の当事者にしか伝わらない、真実を知っているというメッセージだった。
「やっぱりあなたでしたか」
地下用水路を進んでいくと、そこには松明を持った騎士が佇んでいた。
「近衛騎士ソルド・ガラツです。お久しぶりです、エリダヌス補佐官」
松明に照らされた人物の正体。
それは、アルデバラン侯爵の補佐官であるティエタ・エリダヌスだった。
「君がこの手紙を?」
「ええ、事件の真相がわかったので。安心してください。瓦礫についた血は俺のですから」
「っ!」
事件の真相、という言葉にエリダヌス補佐官の肩がビクリと跳ねる。
ソルドはクレアに頼み込み、まるでアルデバラン侯爵の後頭部に傷をつけた瓦礫を見つけたと思わせるような仕込みをしていたのだ。
「アルデバラン侯爵の後頭部には鈍器で殴られた跡があった。この傷が原因で今回の一件は殺人事件だと思われてしまった。でも、実際は違う」
ソルドは淡々と言葉を紡ぐ。
「侯爵はあんたを追いかけて地下用水路にきた。そのときに足を滑らせて転び、頭をぶつけて用水路へと落ちた。違うか?」
普段のアルデバラン侯爵ならば、そんなヘマはしないだろう。
しかし、地下用水路は薄暗くて足元の見えにくい上に、アルデバラン侯爵は泳げない。
水場への恐怖で身体が自然と強張っていたことも原因の一つだろう。
「ええ! ええ、そうなんです! これは事故だ、僕が殺したわけじゃない!」
ソルドの言葉を聞いて、エリダヌスは堰を切ったように捲し立てる。
「じゃあ、何故すぐにそれを言わなかったんだ」
「それは……」
「地下用水路から外へ出ること自体は違法じゃない。何せ常習犯がいるくらいだからな」
ソルドは脱走常習犯であるナルミのことを思い浮かべながらも続ける。
「本当にただの事故なら、あんたは侯爵が地下用水路に落ちたとでも近衛騎士の誰かに言えば良かったんだ。たとえ侯爵が助からなくてもただの事故なんだからあんたが罪に問われることはない」
だが、それができなかった理由がある。
だからこそ彼はこうして今も尚、真実を包み隠しているのだ。
「おっちゃんは今も無実の罪で地下牢に投獄されてる。あんた獣人の立場を向上させたいって言ったろ。あの言葉は嘘だったのか」
「嘘じゃない!」
ソルドの問いに、エリダヌスは大声で否定する。
「ぼ、僕は本当に獣人のために行動していたんだ!」
「そうかよ」
必死に自分の行いを訴えるエリダヌスに、ソルドはどこまでも冷たい視線を向けていた。
「この事件を殺人事件として考えていたときだ。真犯人は何か弱みでも握って侯爵を呼び出したものかと思ってた。俺があんたにやったようにな」
「な、何を言っているんだい?」
「でも、実際は違った。侯爵は呼び出されたんじゃない。追いかけていたんだ。違法な獣人娼館を経営しているあんたをな!」
「何故、それを……」
ソルドは語気を強めて言い放つ。彼の言葉の意味がわからないほど、エリダヌスは愚かではなかった。
「おかしいとは思ったんだ。宰相のクソジジイから違法な獣人娼館について調べるように依頼された途端に侯爵が亡くなった。あまりにもタイミングが良すぎる」
レグルス大公は宰相から依頼を受けて違法な獣人娼館について調べていた。
そして、日頃から獣人関連の案件について相談しているアルデバラン侯爵にこのことを話していないわけがない。
「あんたは定期的に城を抜け出してこっそり帝都へ行っていた。だから、染みついた汚水の臭いを誤魔化すために香水をつけてたんだろ」
エリダヌス補佐官は獣人であるレグルス大公と面会するときでさえ香水をつけていた。
臭いに敏感な獣人のレグルス大公ならば、普段から染みついた汚水の臭いなどすぐに気がついてしまう。
だからたとえ失礼な官僚だと思われても香水をつけざるを得なかったのである。
「正義感の強い侯爵が身内の不正を放っておくわけがない。泳げない侯爵が無理をしてでもあんたを追いかけたのも頷けるよ」
追いたくなくても追わざるを得ない。
ナルミを追って行きたくない地下用水路に赴いたクレアのように、アルデバラン侯爵もエリダヌス補佐官の行いを正すために地下用水路までやってきたのだ。
「このままレグルス大公が処刑されたら、あんた亡くなった侯爵に顔向けできるのかよ」
「僕は間違っちゃいない! アルデバラン侯爵のやり方は甘いんだよ!」
諫めるようなソルドの言葉に対し、エリダヌス補佐官は堰を切ったように語り出す。
「獣人娼館は需要がある。人間誰しも普段とは違う刺激を求めている。そして、それは高位の官僚でも同じだ」
「あんた、まさか」
「そうさ! 獣人の魅力にハマれば彼らも表だって獣人を差別できなくなるだろ!?」
「官僚みんなケモナーにする気だったのかよ……」
想像以上にぶっ飛んだ動機にソルドは唖然とする。
「獣人側にもメリットはある。獣人は碌な職に就けなくて貧しい思いをする者も多い。そんな彼らに職を与えてあげられるんだ」
「だが、違法だ」
「違法? それがどうした。高位の官僚がお忍びで利用する店だ。実質合法みたいなものだろ!」
それはあまりにも暴論が過ぎた。
それと同時にエリダヌス補佐官の考え方に寒気すら覚えた。
「官僚は誰でも汚いことに手を染めてる。だが、僕は私利私欲のためじゃなく、獣人を救うという大義のために行ったことだ!」
彼は本気で獣人のためを思って行動していた。それが自身の掲げる正義なのだと疑うことすらしていない。その在り方がソルドには至極気持ち悪かった。
「それが根本的に間違ってることだと思わないのか」
「戦うことしか能がない騎士如きにはわからないだろうね」
ソルドを見下したように吐き捨てると、エリダヌス補佐官は懐に手を入れる。そこから取り出したのは、銀色に輝く短剣だった。
「清濁併せ吞むことができなきゃ官僚なんてやっていられないのさ!」
短剣を構えたエリダヌス補佐官は薄暗い地下用水路の中で飛び掛かってくる。本来、近衛騎士にこのようなことをしたところで無駄な抵抗だ。
彼がソルドに飛び掛かったのは、地下用水路に何度も足を運んでいる自分に地の利があると考えてのことだった。
もちろん、それは行動としては下の下のである。
「あがぁ……!」
ソルドはその場から一歩も動かず短剣が届く前にエリダヌス補佐官の手首を掴み、容赦なく捻り上げた。
「清濁併せ吞むってのは、官僚が好き勝手やるための免罪符じゃねぇ!」
ソルドはエリダヌス補佐官に対して本気で怒っていた。
レグルス大公やアルデバラン侯爵が苦労して積み上げたもの。それをこの男は自分の歪んだ正義感で台無しにしたのだ。
「官僚をケモナーにしたところで獣人の〝性的な価値〟が上がるだけだ。獣人の奴隷的価値を上げるだけで社会的地位は何一つ向上しない。むしろ、彼らはより一層人間の道具として扱われていくだろうよ」
レグルス大公は人間から蔑まれても同胞のために耐え忍んだ。
アルデバラン侯爵は周囲の価値観など気にせず、困っている者に手を差し伸べた。
そんなレグルス大公が冤罪で投獄されても何もしなかった。自分の間違いを正しにきたアルデバラン侯爵を見殺しにした。
そんな者に正義などあるわけがない。
「あんたは獣人の立場向上なんて望んじゃいない。弱い立場の獣人を上から目線で〝救ってやる〟ことに酔ってるだけの勘違い正義マンだよ。大人しく罰を受けるんだな」
「あ、ああ、あぁぁぁぁぁ……!」
その後、ソルドに拘束されたエリダヌス補佐官は連行されていった。
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