第12話 香水

「く、クレア……わたくしは、その――」

「早く自室にお戻りくださいませ」

「はい……」


 問答無用で告げる彼女に、ナルミは引きつった笑みで応えるしかなかった。

 ガックリと肩を落とし、とぼとぼとナルミは地下用水路の入口へと引き返していく。


「城内勤務の侍女はみんな松明持たずに暗闇を歩けるもんなんですね」


 ソルドは口調をいつもの砕けたものに戻すと、感心するように呟く。

 ナルミもクレアも松明を持たずに平然と薄暗い地下用水路を歩いていた。

 騎士である程度夜目の聞くソルドですら松明で照らさないと危ないというのに、だ。


「まあ、ここは緊急用の脱出路でもありますからね。一部の者は目を瞑ってでも外に出られますよ」

「はえー、さすがですね」


 ソルドは間抜けな声を出しながらも、侍女って大変そうだなー、としみじみ思った。


「それにしても何度来てもここは酷い臭いです」

「城内の汚水大集合ですからねぇ」


 鼻が曲がりそうな悪臭に、ソルドは顔をしかめる。こんな場所に何度も足を運ぶ者の気が知れない。


「まったく、追いかけなければならないこちらの身にもなってもらいたいです」


 クレアも辛いのは同じだったようで、この場にいないナルミに対して恨み言を吐く。


「嫌なら入り口で待っていれば良かったのに」

「そうはいきません」


 ソルドの指摘に、クレアは少しむっとして答える。


「万が一、外に出られては困ります。あの方を連れ戻すのことが私の仕事ですから」

「相変わらず、仕事熱心ですねぇ」


 クレアのプロ意識の高さに、ソルドは苦笑いを浮かべた。


「なあ、クレアさん。あの侍女ってもしかしてクレアさんの上司だったりする? 敬語使ってたし」

「ええ、まあ、そのようなものです」


 どこか歯切れの悪いクレアの様子からある可能性に思い至りつつも、それ以上は特に追及することもなかった。

 焦らず冷静に事件解決に努める。それがソルドの最優先事項だった。


 翌日、帝国城内にある近衛兵駐屯所で目が覚めたソルドは、同部屋の騎士に部屋から叩き出された。

 同僚曰く、臭うからさっさと水浴びをするか、香水でもつけてこいとのことだった。


「地下用水路で臭い移っちゃったからなぁ……」


 水浴びをしながらソルドはため息をつく。

 鎧も洗いたいところだったが、こびりついた臭いをしっかり落とすほどの時間はない。

 結局、ソルドは鎧に香水をつけて臭いを誤魔化すことにした。


 それから急いで朝食を取り、近衛騎士団の朝礼に参加する。

 朝礼では、アルデバラン侯爵の事件についての話題が出た。


「皆も知っての通りアルデバラン侯爵がレグルス大公に殺害された。城内は混乱しているが、慌てず己の職務を全うしてほしい」


 近衛団長が重々しく語ると、団員達は真剣な面持ちで耳を傾けていた。

 そんな中、ソルドだけは居心地が悪そうにしている。


 おっちゃんが殺しなんてするわけない。


 湧き上がる怒りを抑えるのに、必死だったからである。

 それからいつものように自分の持ち場に戻ると、クレアがソルドの元を訪れた。


「おはようございます。こちらにいらしたのですね、ソルド様」

「俺を探してたんですか?」

「騎士の駐屯所に侍女は入れませんからね」


 苦笑いを浮かべ、一瞬だけクレアは顔を顰めた。


「もしかして昨日の臭いを誤魔化すために香水をつけているのですか?」

「いやぁ、臭いが全然取れなくて」

「だとしたらつけ過ぎです。地下用水路の臭いと混ざって酷い臭いになっていますよ」

「そんなにつけたつもりはなかったんですが……」


 ソルドは普段からレグルス大公の執務室に出入りすることもあり、香水をつけたことがなかった。

 臭いを誤魔化そうという意識があったせいか、無意識の内に多めに香水をつけてしまっていたのだ。


「あっ……そういうことか」


 そこでソルドは己の中で何かがカチリとハマった感覚を覚えた。

 ソルドは自分が簡単な見落としていたことに気がついたのだ。ナルミの言った通り、どうやら自分は本当に焦っていたようだ。


「迷い道もいずれは正道となる、か」

「どうしましたか?」

「いえ、何でもありません」


 不思議そうな顔で尋ねるクレアに、ソルドは首を横に振った。


「クレアさん、ある人に手紙を渡して欲しいのですが」

「構いませんよ」


 ソルドの頼みを、クレアは何一つ疑うことなく快諾してくれた。

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