第10話 カナヅチ
心の底からの称賛の言葉を贈るナルミに、ソルドは戸惑いを見せる。
「まさか、城内にこれほど正義感に熱く聡明な方がいたとは……わたくしもまだまだです」
一体、何がまだまだなのか。
勝手に盛り上がっているナルミを横目に見ながら、ソルドはそんなことを考えていた。
「それで!? レグルス大公が犯人ではないことが当たり前とおっしゃっていましたが、どうしてそう思ったのですか!?」
何だこいつ、面倒臭いな。
そう思ったソルドだが、情報を引き出すために仕方なくレグルス大公が犯人ではない根拠を語ることになった。
「……泳げないんだよ、あの人」
ため息をついてソルドは観念したように白状した。
人の弱点を勝手に話すのは気が引けたが、今はそんなことを気にしていられる状況ではなかった。
「苦手とかそういう次元の話じゃない。本能的に水を恐れてるくらいのカナヅチなんだ」
レグルス大公は泳ぎが大の苦手であった。
獣人は力を宿している動物と同じ生態的特徴を持つことがあり、レグルス大公もその例に漏れず、獅子としての怪力、嗅覚、強靭な顎を持っていた。
そして、その筋肉質な肉体は泳ぎには不向きであり、本能に刻まれた水への恐怖も加わり、彼は過剰に水辺を恐れていた。
今回のアルデバラン侯爵の死因が溺死である以上、レグルス大公が犯人であることはまずあり得ないのである。
「その証拠に彼の執務室には銀食器や鏡の類がない」
「何故、銀食器が関係してくるのですか?」
突然話を変えたソルドにナルミは首を傾げる。
レグルス大公の執務室に銀食器の類は一切置かれていなかったとして、それがアルデバラン侯爵殺害とどういう関係があるというのか。
不思議そうな顔をするナルミへソルドは懇切丁寧に説明する。
「個人差はあると思うが、泳げない人の中には水面の反射や光の反射に敏感に反応し、それを見るだけで不快感や不安を覚える場合がある。鏡面のような光沢のある物や水面の光が強い場所を避けるのは、そういった精神的な理由からだ」
「なるほど……」
ナルミはソルドの知識に感心したように頷いた。
「待てよ、光の反射を嫌うって……」
自分でナルミに説明している内に、ソルドの中で何かが引っかかった。
『それに他の官僚の執務室と違って、無駄に煌びやかさがないので落ち着きますからな!』
脳裏に浮かぶのは呵呵と豪快に笑うアルデバラン侯爵の言葉。
「侯爵の遺体は沈んでいた。浮いていたのは服に空気が入ったから。侯爵の身体もレグルス大公に負けず劣らず筋肉質……」
ぶつぶつと考えを口にしながら考え込むソルドだったが、すぐにハッとした顔でナルミへと詰め寄る。
急な接近に驚いて後ずさるナルミであったが、ソルドはお構いなしに問いかける。
「なあ、もし侯爵がレグルス大公と同じくらい泳げなかったとしたら、どうしてわざわざ地下用水路に来たと思う?」
「そう言われましても、この場以外で気絶させられて運ばれたという可能性もあるのでは?」
「夜だろうと、かなりの数の近衛兵が巡回してるんだ。大柄な男性を抱えて、誰にも気づかれずに移動するなんて、それこそ獣人くらいのスペックがないと不可能だ」
そして、帝国城の中に常駐している獣人はたった一人、レグルス大公しかいない。
犯人はレグルス大公でない以上、別の場所で気絶させられて地下用水路まで運ばれてくることはあり得ないだろう。
「あっ! 何者かに呼び出されたという可能性はありませんか?」
ナルミは名案とばかりに口を開いた。
「どうしても知られたくない、知られてはまずい弱みを握られていれば、水が怖いなんて言っていられませんよ!」
「弱みねぇ……」
ナルミが出した結論に、ソルドは怪訝な表情を浮かべる。
アルデバラン侯爵は高位の官僚でありながら、質実剛健な人物として有名だった。
清濁併せ吞まなければ出世できない貴族社会において、彼の在り方は非常に稀有であるといえる。たとえ、身内だろうと汚職に手を染めれば容赦なく断罪する。それほどの正義感を持つ人物なのだ。
何よりも、動物的第六感を持つレグルス大公に善人と称されるほどの人物である。
ソルドにはアルデバラン侯爵に探られて痛い腹があるとは思えなかった。
「確かに、地下用水路に行きたくなくとも行かざるを得ない。侯爵が来るとしたら理由はこれくらいか」
とはいえ、現状ではその可能性が一番高いのだ。
人柄であり得ないと判断し、無意識に真実へ辿り着ける可能性を排除していたことをソルドは反省した。
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