無色の世界が終わるとき

いおにあ

無色の世界が終わるとき


 私には生まれつき、「色」という概念がなかった。


 いや、正確にはこう言うべきか。私は色を認知できない。ただそれだけのことだ。


 私が知覚できる世界は、どこまでいっても、白と黒で構成された、無機質な世界だ。もっとも、他の色を認識できない私にとって「白」や「黒」という概念も、きちんと理解できてはいないのだけれど。


 なぜ、私はこのようにして生まれたのか。病気?厳密には、ちょっと違う。これはやまいではなくのろいなのだ。


 なんでも、私の遠い祖先が、どこかの魔女から受けた呪いなのだという。私の祖先から成敗されたその魔女は、遠い未来の先祖――つまり私だ――に呪いをかけて、その者の色の世界を奪ってやる。そう捨て台詞を吐いたという。


 で、私が今こうして白黒、というより灰色の世界に生きることになったというわけ。


 まったく、なんで私がこんな目に遭わなければいけないのか。魔女を退けたとかいうご先祖様に、文句のひとつも言いたくなる。

 


 しかし悪いことばかりでもないのだ。確かに、日常生活は著しく不便ではあるのだけれど――色の世界を失った引き換えか、常人にはないある特殊能力が、私には備わっている。


 それは何かというと、人の感情や思考が漠然と読み取れる、そういう能力だ。


 といっても、そこまで強い能力ではない。(今日の晩ご飯はハンバーグかなカレーかな)(あの野郎、ぶっ飛ばしてやりたい)(デート緊張するなあ)といったような、言語化された具体的な思考は読み取れない。せいぜい、あ、この人今機嫌が悪いな、とか、ふわっとした感情が読み取れるくらいだ。


 そして私はいつの頃からか、そうやって読み取れる感情に、色の名前をつけるようになった。怒っている人を見ると「あ、この人今真っ赤な感情だな」と思う。悲しんでいる人を見ると「ああ、なんて深い青色の感情なんだろう」と思う。


 今にして振り返ってみると、そうやって人の感情に、色の名前をつけることによって、私は、生まれつき失われた色彩の感覚の代わりにしようとしていたのかもしれない。


 色彩のない私の世界を唯一、いろどっていたもの。それが、他者の湧き出るような感情だった。



 そんな私は、いつしか成長して大人になった。相変わらず、私の世界は灰色のまま。都会の片隅で、ひっそりと会社勤めをして、日々を送っていた。そうこうしているうちに、私は三十歳を迎えようとしていた。



(あ、この人の感情は“緑色”だ・・・・・・)


 それは、あるお見合いパーティでのこと。ひとりの男性と会話している際、不意に私はそう思った。


 すごく不思議な気持ちだった。今まで人の感情に対して“緑色”だと表現する気になったことは、一度もなかった。怒りは赤色、悲しみは青。喜びは黄色で、憎しみは紫色。喪失感で思考停止状態のときは、白色。深く絶望に沈んでいるときは、闇のような黒色。どうしてだか、私は「緑」という表現を、人の感情を呼ぶときに使う気にはならなかった。


 だが、いま私は初めて「緑」と呼びたい感情に出会った。これは、一体・・・・・・?


 疑問だらけの私の胸中などお構いなく、その“緑色の心”を持つ男性は、物腰柔らかく私に話しかけてくる。


「あれ、どうなされましたか?ぼく、何か変なことをいいましたか・・・・・・?」

「あ、いえ。大丈夫です・・・・・・」


 私たちは、ひとしきりありきたりな会話を交わす。


 会話を進めていくうちにも、彼の緑色の感情はますます、膨れ上がっていく。まるで新緑のように活き活きとしている。



 あ、そうか。



 私は唐突に、悟る。この緑色の感情の正体を。


 これは、好きという感情だ。あるいは愛。


 私はいま、初めて人から好意を寄せられている。


 そのことに気付いた途端――私の灰色の世界にひびが入った。ビシリ、ビシリ。ビシリ・・・・・・。


 まるで殻が割れるように、空間が剥がれ落ちていく。その下から覗いているのは――



 ああ、これが色のついた世界なのか。だけれど、まだ灰色の世界に30年近く慣らされた私の頭脳は、いまひとつ、情報を処理できていない。


 だけれど、それでいいかもしれない。恐らく、私の灰色の世界はこうして、ゆっくりと色づいたものへと変わっていくのだろう。

 

 なぜ、好きという感情に緑色という表現を用いた途端、私ののろいが解けたのか、正確には分からない。でも、愛は呪いに勝つ、というのはおとぎ話の王道だろう。


 そういうわけで、私たち二人は結ばれ、いつまでも幸せに暮らしました・・・・・・と言いたいところだけれど。


 実際のところ、それはまだ未定の未来だ。


 今日は緑色の感情を持った彼と、初めてのデート。


「ごめん、待ったかな?」


 待ち合わせの場所に、彼がやってきた。 


 無色の世界が終わりつつあるのと引き換えに、人の感情を読み取る能力は段々と失われつつある。


「ううん、大丈夫だよ」


 私は答える。そんな彼の肌が、艶やかに光る。


 ああ、これが色のついた世界なのだ。肌の色の微細な輝きが、眩しい。


 私は、世界の細やかな色合いを全身で堪能しながら、彼に言う。


「ねえ、どこに行こっか?」

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