ep.8 高貴で高潔な僕ら

「ねえ、どうしても今日会いたい」


そんな連絡で目を覚ました。半分寝たまま「どこで?」と返す。チャットが未読のまま三分が経った。そのまま二度寝をしかけたときに、「渋谷。いつものところで」と返事が来た。やっぱりか、と思う心とは裏腹に「了解」とだけ返した。


何が了解なのだろうか。どこも了解じゃない。


君は、初めて会った時からなんというか無機質な人だった。服は白と黒のツートーンで決めることが多く、持ち物も黒とかグレーとか、とにかく白黒写真から出てきたような人だ。頭数揃えで行った合コンに来ていた君もあきらかに頭数揃えで、いかにも興味がないという感じだった。面白い話題には静かに笑い、それ以外の時間は二年後くらいの方向を見ながら酒を飲んでいただけだった。僕はそんな君にものすごく興味を持って、トイレに立った君を追った。

「君も頭数揃え?」

「まあ、そんなとこ。」

「僕もなんだ。ねえ、飲み直さない?」

「そんなの、もはや頭数揃えじゃないじゃん。」

「・・・・・」

「おしっこ漏れそう、トイレ行っていい?」


こんなキザな、ドラマでも見たことないようなカップル成立があるのか、と唖然としてしまった。これも含めて合コンなのか、なんていやに冷静だった。そのあと君と、かなり雰囲気のいいバーに入った。同じ酒を二杯ずつだけ飲んで、どちらから言うでもなくホテルに行った。

外からの光なんていっさい入らないホテルの部屋でも、朝だと気づくのはなぜだろう。体が勝手に朝の存在を感知して、だるい体を起こす。

「おはよう、朝ごはん、たべる?」

シーツにくるまったままこちらを見る君の目はやはり、無機質だった。たった数時間前、夜の中で君は命を求めるように何度も哭いていたのに、体だけが感知する朝日の中で、君はモノクロに戻っていた。

「お腹すいた。出ようか。」

ただ遊びたかっただけ、知りたかっただけなのに、一度寝たくらいで「ねえ、これって付き合ってるの?」と聞いてくる人間をたくさん目の当たりにしてきた。そんなことがあったら心底めんどくさいなと思ったが、君はそんなことはひとつも言わなかった。

ホテルの近くのチェーンカフェに入って、モーニングのセットを食べる。君は前の日の合コンの時のように、どこかうつろな目でサンドイッチを食べた。ただ摂っていた、と言った方が正しいかもしれない。


それから僕らは何度か会った。僕には彼女ができて、君と会うのを控えようと思ったが、君の呼び出しには応じてしまう自分がいた。あるときは彼女にバレて、本気でグーで殴られた。痛かった。でも彼女は「殴る方も痛いんだね」と悲しげに笑って、それから何も言わなくなった。それとは関係なくその彼女とは別れてしまって、いまはまた別の女性と付き合っている。今の彼女は「浮気するならわたしより豊満な女性にしてね、もしくは男性」と笑う。


僕が呼び出すこともあるけれど、君が僕を呼び出す方が多い気がしている。なんとなく定期的なようで、不定期だ。何かあったのかと毎度聞くが、何かがあったことはない。気分とか、バイオリズムとか、そういうものなのだろう。いつのまにか「渋谷で、夜の六時半」が合言葉になっていた。それまでにお互い酒を飲んだり、軽くご飯を食べたりしてから会う。


呼び出しはいつも急だから、今朝のそれにも驚かなかった。夜までは、昨日までにやり残した仕事を片付けたり、ネットで動画を見たりして過ごした。


午後六時半。

渋谷のイチマルキューのふもと。

スマホを見ながら君を待つ。めずらしく、十分くらい遅れて君はやってきた。

「ごめん、遅くなった。長引いちゃって。」


いつもモノクロの君だけれど、見たことのないモノクロに身を包んでいた。

それは、喪服だった。


「どうしたの?」

「ああ、あのね、ばあちゃん死んじゃって。葬式だったんだ。」

「葬式って・・・」

「あ、ほらこれ、精進落としのお寿司、折詰だったから余ったやつもらってきた」と、右手に持っていた折詰弁当を少し持ち上げた。左手には、葬儀社の包装紙に包まれた花を抱えている。

「葬儀の後って、荷物多いんだな」

君は、今まで見たことのないような悲しい顔で笑った。


土曜の夜の割には、渋谷のホテルは空いていた。みんなどこで愛を拾ったり捨てたりしてるのだろうか。


よく行くホテルももちろん空いていて、よく使うランクの部屋があいていた。そこのパネルを押す。エレベーターの鏡に映る二人の格好の違いが滑稽だ。喪服にしか出せない艶のない黒と、気の抜けた黒のカーゴパンツ。白が三百色あるのであれば、黒は五百色あると思う。


「はあ・・・・疲れた・・・・・」

部屋に入るやいなや、君はベッドに倒れ込む。

「葬式は疲れるよね。気疲れする。」

「そうなの。これで三回目だけど、何回やっても慣れないんだろうな」

「家族のところには行かなくていいの?」

「いい、もう、しばらく会わなくていい」

ベッドにうつ伏せになったまま、腕を自分の背中に回してワンピースのチャックをおろす。脱ぐのを手伝おうとすると、

「あ、ちょっと待って」

と起き上がる。小さな黒い鞄の中から「お清め塩」と書いてある袋を出す。

「ちょっとだけまいて。」

「ああ、そうか・・・」

ラブホテルで清めの塩などまいたら、なにか清めてはいけないものまで清めそうだった。

塩の袋をぴりぴりと破り、中から少しだけ塩を出す。立ち上がって待っている君の背中に向かって、その塩をまく。塩は君のワンピースの中に入っていく。まだ塩が残っている袋を君に返そうと腕を伸ばしたら、君はその腕をぐいと前に引っ張って、自分の胸にぎゅっと抱いた。

「きみの腕、あったかいね。」

「うん。」

「ばあちゃんの手はね、冷たかったよ。人じゃないみたいに。」

「うん。」

「きみは、生きているんだね。」

「そうだよ。」

「よかった。」


君は僕から塩を受け取ると、「ありがとう」と笑って、テレビの前に置いてあった花束を手に取った。洗面器に水を溜めて、そこに花を入れた。花は葬式でよく見るような菊ばかりだったが、一本だけかわいらしいものが入っていた。名前はわからない。君がふと目を上げると、後ろで見ていた僕と鏡越しに目があった。


「誰かが死ぬと、その人が余らせたエネルギーみたいなやつを受け取っちゃうの。抱えきれなくなって、そのままパンって破裂しそうで。誰かが死ぬたび、誰かと会って、夜を埋めてる。」


そういうことだったのか。

三ヶ月前君が急に呼び出した時、スクランブル交差点のオーロラビジョンには人気漫画家の訃報が流れていた。君がその漫画家の大ファンだったことは、あとから知った。その時君は「人はみな死ぬんだよ、絶対。」と言った。渋谷の雑踏にかき消されそうになったその言葉が、やけに印象的だったのは、そういうことだったのかと、今さらながら納得する。


「僕はそういうとき、お腹が空くかもしれない。」

「それはとてもいいね。お寿司食べていいよ。」

「うん。」

菊の匂いを嗅ぐと、誰かの冷たい手と、食べても食べても満たされない気持ちを思い出す。それが誰の手で、誰の葬式だったかは思い出せないけれど、その気持ちだけよみがえる。


君は洗面所を出て部屋に戻る。テレビをつけて、ベッドの上に寿司を広げる。

僕もたまらず、君の手を触る。たしかに、とてもあたたかかった。


「お腹は空いていないほうがいい。」


空腹が満たされていくのを感じる。

僕らの手は今夜、とてもあたたかい。




菊 花言葉: 高貴・高潔


(noteより転載 オリジナル:2023年4月22日投稿)


※花言葉には諸説あります

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短編集 shibuya. やまこし @yamako_shi

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