ep.5 二十八
「二十八歳のお誕生日、おめでとう!」
美優と付き合ってから3回目の誕生日を迎えた。今年はご丁寧に、サプライズでケーキのプレートまでつけてくれた。
「ありがとう、毎年ちゃんとプレゼントもくれて」
「いいんだよ!てか当たり前!たっくんのためだもん。大好き、いつもありがとう」
「こちらこそ。ありがとう」
今年はペアウォッチをくれた。
美優はかわいい。腕を組んで一緒に歩いても恥ずかしくない。名前の通り、美しくて、優しい。俺は美優のことが好きだ。
一軒目は少し高めのレストランでお祝い。その後は俺のリクエストで、よく行く居酒屋に入った。せっかくの誕生日に、と美優は何度もごねたが、俺はそこがよかった。ここの居酒屋が落ち着く。お客さんも店員さんも声が大きくて、落ち着いた雰囲気とは言えない。ただ、俺はそういうところが好きだった。
二十二時をまわった頃、明日も仕事だから、と解散することにした。せっかくの誕生日なんだから、と美優はうちに泊まりたがったが、うちに来たら寝られるわけもなく、お泊まりはまた今度な、となだめて俺たちは電車に乗った。
渋谷駅。
久しぶりにくると、こんな駅だったかと驚く。何年間も通った駅なのに、平気で迷子になる。姿形が変わりすぎて、生き物なのではないかと疑う。
美優は乗り換えのため新宿で降りた。俺は美優を見送った。俺は新大久保駅で降りて、反対側の電車に乗った。そして、もう一度渋谷に向かった。明日仕事だというのは真っ赤な嘘だった。二十八歳の誕生日の夜に平気な顔をして家に帰るなんて、正気の沙汰ではない。
「あとどんくらい?」
スマホのディスプレイが光る。
「今新大久保。美優とバイバイしたとこ」
「りょーかい。どっか居酒屋寄ってからにする?」
「そうだな。テキトーにハブとか入っててくれ」
「うぃ」
送られてきた位置情報をもとに、一軒のバーにたどり着いた。カオルは端の席でちびちびとウイスキーを飲んでいた。
「よお、生きてんなあ」
「うるせえ、わかってたんだよ、俺が死ねないことくらい」
「死ねなくて残念だったな、まじで」
「おう。マスター、俺にも同じのください」
カオルは、俺が持っていたショッパーをチラッと一瞥して、小馬鹿にしたように「それ、ペアウォッチか?」
と鼻で笑った。
「なんだよ、そうだ、悪いか」
「悪かないけど、なんかウケる」
「失礼だな、人の彼女が心を込めて選んでくれた誕生日プレゼントなんだぞ」
「君の彼女は二十八の誕生日を祝うのか。ほんと、おめでたいやつだな」
「いいんだ。俺はあいつのそういうところが好きなんだよ」
「自分は祝われたくないくせに」
少しだけ悔しそうに、カオルはウイスキーの残りを飲み干して、同じものを注文した。
カオルと出会ったのもこんな感じのバーだった。あの時は端っこの席で潰れていた。あとから聞いたら、潰れていたのは演技だったらしい。そうやって色々な男と寝ているのだという。
俺がカオルについて知っていることといえば、カオルと呼ばれたい、ということと、俺とは違う形の生殖器を持っている、ということくらいだ。年齢も、本当の名前も、職業も、どこからきたのかも、男なのか女なのかもわからない。でも、俺はカオルと会う時、カオルという存在と対峙している気がしてとても居心地がいい。俺は、カオルとセックスをするのが好きだった。世間的にいうと「セフレ」ってやつなのだと思う。でも、これは俺のエゴだけど、そんな言葉で俺たちのことを修飾しないでほしいな、と思っている。カオルは俺のことをセフレと呼んでいるが。
結構飲んだと思う。日付が変わるか変わらないかという、この世で一番あやうい時間に、俺たちはバーを出て、渋谷駅を越えてラブホ街に向かった。
「渋谷って、生きてるみたい」
珍しく千鳥足になりながら、腕を絡ませてきた。そして俺が思ったことと、同じことを言ったので驚いた。
「ああ、俺もそう思う。」
「渋谷を歩いてると悲しくなるんだ。気づいたらどんどん色々なものがなくなってさ。うちらの思い出まで一緒に消えそうになるんだ。だからここで新しい思い出を作ってもさ、すぐなくなっちゃうんじゃないかと思うとさ。もう思い出に残ること、ここで何一つしたくなくなるんだ。」
それは本当にそうだと思った。今日という日も、いつかは消えて、ゴミと一緒にどこかへ捨てられてしまうのだ。
ホテルに着くと、カオルはわざとらしくスマホのスピーカーでニルバーナを流し始めた。
「おいふざけんなよ」
「ムキになるなって」
ぺろっと舌を出して、カオルはシャワーを浴びに行った。
27クラブについて知ったのがいつだったか、もう思い出せない。偉大なロックスターは、みんな二十七歳で死ぬ。そして27クラブに加入する。俺は強烈に憧れた。二十七歳という一年間に取り憑かれた。二十七歳に近づけば近づくほど、俺は二十七で死ぬようなタマじゃない、と薄々感じ始めた。二十七歳の誕生日を迎えた時、きっと一年後に普通に誕生日を迎えるのだろうな、と思った。誰の前でも強がっていたけれど、本当はそれが心底悔しかった。二十七歳で死ぬような人生がよかった。
「そんなしけた顔すんなよ」
気づいたらカオルがシャワーから出てきていた。
「すまん」
「謝るな、もっとしけった空間になる。乾燥機買ってこい」
「俺もシャワー」
「おう」
ああ、こうやってなんかフツーに生きてフツーに死んでいくんだ。
彼女でもない女を抱いて、フツーにもなれないヤバいやつなのかもしれないな。
ほんと、クソしょーもない二十八歳になってしまった。
こんなことを考えていたら、きっとカオルにまた「しけた顔」と言われて、本当に乾燥機を買わされる羽目になりそうだ。
シャワールームを出ると、カオルはもう下着姿でベッドに寝転んでスマホを見ていた。
「さっき流した音楽、ジャニスジョプリンとかの方がムードあったかな?」
「知らねえ」
着ようとしていたバスローブを放り投げて、ベッドを大きく揺らしてカオルの隣に寝転んだ。カオルのいい匂いがした。
「君、ほんとクソしょーもないね」
侮辱的な言葉とは裏腹に、カオルの目は愛に満ちていた。
「そう。俺はクソしょーもねえのよ」
クソしょーもねえ俺のクソしょーもねえところなのだが、なぜだかセックスをしながらめちゃくちゃ泣いてしまった。理由のよくわからない涙がたくさん出てきた。カオルはバカにしなかった。何も言わずに、何もせずにただ横にいた。
「悔しいんだ」
嗚咽がおさまってから、やっとの思いでつぶやいた。本当のことだった。
何かになりたかった。二十七で死ぬような、何かになりたかった。なれなかった。
「それが本音か」
「うん。服を脱がないと本当のことが言えないんだ」
「本当に君はクソしょーもねえな」
「そうだな」
「でもさ」
「うん」
「うん、わたしは、君が今日ここにいるの、まあ普通に嬉しいよ」
カオルが自分のことを「わたし」というのをはじめて聞いた、と思う。
「それは本当のこと?」
「服を脱ぐと嘘がつけないんだ」
「一緒じゃん。お前もクソしょーもな」
「お誕生日、おめでとうね」
「うん」
(noteより転載 オリジナル:2022年6月16日)
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