ep4. 映画見るだけ
金曜日の午後7時半。
僕らは円山町で落ち合う。
道玄坂のコンビニで、好きな酒とつまみと翌朝食べるおにぎりと味噌汁を買って、ケータイを見ながらあの子が来るのを待っている。
「ごめん、お待たせ」
珍しく十分くらい遅れて彼女はやってきた。
名前は「ナギサ」。本当の名前は知らない。
「待ってないよ。お酒、他にも買う?」
袋の中身を見せて、確認するまでが儀式だ。
「ううん、十分。行こうか」
コンビニから少し入ったところ。僕らは「浅いところ」と呼んでいるエリアのホテルに入る。そういえばあそこの住所は円山町なんだろうか。本当の住所は知らないけれど、毎週木曜日、「円山町?」と確認の連絡を毎回入れる。「はーい」と返ってくれば普段通り決行。赤いハートの絵文字が送られてくると、生理中だが決行。青いハートの絵文字が送られてくると、生理中で具合が悪いので中止。病院の絵文字が送られてくると、単純に具合が悪いので中止、ということになっている。この生活を続けてもう2年近くになる。休みは年末年始くらいで、あとは大体会っている。もちろん僕から断ることもある。
「今日はなんだっけ?」
ナギサが聞く。僕らは大した会話をしない。
「フルメタルジャケットじゃない?」
「またテキトーなこと言って・・・・やるわけないでしょ・・・」
「バレたか・・・」
「バレるよ?!」
「今日は多分ジブリの映画、ちなみに来週も」
「ジブリかあ・・・・なんかジブリ見るとそのあとやる気なくならない?」
「いや・・・・」
「相変わらず下半身で歩いてるな・・・・」
「上半身で歩いてる奴はいねえよ」
「確かに」
そう、僕らは毎週金曜日、地上波で放送される映画を見る。
渋谷のラブホテルで。
2年前、いわゆる「酔った勢い」でセックスをした僕らは、そのままなんとなく逢瀬を重ねていた。しかし、彼女は当時絶賛片思い中で、僕と付き合うつもりは全くなかった。僕のほうもマッチングアプリでうまくいった女の子と付き合おうとしていた。変な話だが、裸になって彼女の恋愛相談に何度も乗った。セックスしているというのに、急に真顔で「女から告白されるってどうなの?」と聞いてきたりした。それがうまくいったのか知らないが、彼女は意中の男と交際を始めた。
不思議なことに、僕は嫉妬しなかった。それどころか、アプリの女の子と交際を始めた。お互い恋人がいるのならば、こういうことはやめておいた方がいいのではないか、と僕が提案すると、彼女は不思議そうな顔をして言った。
「どうして?」
どうしても何も、浮気というのではないか。
「でも、わたしは君のこと別に好きじゃないけど、君とセックスするのが好き。あと君と映画の話をするのが好き。だからもっと会いたい」
軽く言い合いにはなったけれど、言い負かされて、僕たちは毎週金曜日、映画を見るためにホテルに入るようになった。
こういう町は面白い。頻繁に来るお客さんや、定期的に来る人がたくさんいるのだろう。体感だが、お客さんの半分くらいはカウンターのおばちゃんと顔見知りなのではないかと思う。かく言う僕らも、3ヶ月くらい通ったころおばちゃんからコンドームのおまけをもらった。半年経った頃には、よく会うデリヘルと仲良くなった。当たり前だが、彼女とはそこでしか会わない。そこでしか会わないのに、お互いこれからセックスするのがわかっているのが面白かった。
「おばちゃん!高い部屋しか空いてないよ?!」
ナギサはハスキーな声ですりガラスの向こうのおばちゃんに聞いた。
「三連休前だからね。仕方ないよ」
「え〜。ねえ、シンちゃん、違うとこ行く?」
シン、というのは僕のあだ名だ。本当は「真」とかいてまことと読む。
初めてあった飲みの席で、遅れてきた彼女は「ナギサ」と名乗った。他の人は改めて自己紹介をするわけではなかった。流れでホテルへ入って、ナギサというのは偽名であると告白された。本名は教えてくれなかった。あまり好きではないらしい。そうすると、僕が本名を名乗るのはなんだかアンフェアな気がして、「シン」と名乗った。なんとなく、某有名アニメの登場人物たちを意識してしまった。
「いや、ここでこれならどこも一緒でしょ。たまには贅沢もいいんじゃない?」
「確かになあ。じゃあここにする」
彼女は空いている部屋の中で一番価格の低い部屋のパネルを押した。
おばちゃんは、鍵を差し出しながらサービスドリンクを2本ずつ取っていい、と言ってくれた。
ナギサがじっくりペットボトルを選んでいると、例のデリヘルがきた。
「おばちゃん、マスターキーってすぐ出るよね?」
「出るよ。今日はうちの若いのもいるから安心しな」
「ありがとう、男の方、見た?」
「見たよ。指はそろってたけど。どうして?」
「いや、ソッチだったらいいよむしろ・・・確かじゃないけど他のデリヘルで出禁になってるらしいって聞いて」
「そう。部屋まで若いのつけようか?」
「いや、大丈夫。いつも通り黒服待機してるし」
「わかった。気をつけてね」
「ありがとう」
いつもより少し緊張していて、ドリンククーラーの前の僕らには見向きもしなかった。
「変な会話聞いちゃうから早くしな」
おばちゃんはいつもよりちょっと厳しく僕らをせかした。
ナギサはそんな会話を聞いていたのかいないのか、両手いっぱいにドリンクを抱えてエレベーターに向かった。ちょうどデリヘルがエレベーターに乗り込み、扉が閉まったあとだった。ナギサはちょうどいいタイミングを見計らっていたようにも見えた。
「あの子、大丈夫かな」
エレベーターに乗るやいなや、ナギサは小声でつぶやいた。
「本当に危険な仕事なんだな」
「あのねえ、裸を晒すっていうのはどんな男女でも危険なことなんだよ」
「間抜けな顔してペットボトル抱えた女に言われたくないな・・・」
「本当に基本失礼なんだから・・・」
エレベーターは、僕らが降り立ったことのない5階で止まった。
「ひろ〜い!」
部屋の扉を開けると、彼女は子供のようにはしゃいだ。
確かに、いつも使っている部屋よりワンランク上のその部屋は、広くて、きらびやかだった。二人がけのソファーが置いてあり、テレビもいつもより大きく、ベッドも広い気がした。それでも、明らかに風呂は他の部屋と同じように大きく、この施設の特殊さを思ってしまう。
「せっかくこんなにテレビ大きいのにジブリかあ〜」
抱えていたペットボトルを机に並べて、テレビの電源を入れる。初めにホテルの画面が出て、「地デジ」のボタンを押してテレビの放送に切り替える。僕は抱えていたビニール袋から酒とつまみを取り出した。翌朝に飲む味噌汁とおにぎりは袋に入れたまま、キャビネットの上においた。
「ジブリは案外でかい画面で見た方がいいんじゃないか?」
「実写のC Gバリバリの映画の方がいいに決まってるでしょ!」
「さてはお前・・・ジブリを知らないな・・・・?」
「おっと・・・」
「残念だな。僕は千と千尋の神隠しを5回は映画館で見てるよ。」
「ジブラーだったか!」
「なんだそれ」
「ジブリのファン」
彼女は興味なさげにジーンズを脱いだ。
あらわになった足をぶらぶらさせながら、ベッドの上でスマホを見始めた。
僕は買ってきた酒を開封し、ソファーに座ってテレビを眺めながら一気に流し込んだ。最近、アプリで知り合って付き合い始めた彼女とうまくいっていない。ナギサと会う回数の方が圧倒的に多い。今日もいつどうやって別れようか、考えながらここまできた。ボーッとしていたので気付かなかったが、気づいたら、ナギサが足を百八十度に開脚してベッドの上に座り、僕のことを見ていた。
「どうした若者」
「ん?どうもしないよ」
「ストロングなんて珍しいじゃないか」
「ああ」
確かに、僕はアルコール度数9%を超える、いわゆる「ストロング系」と言われる酒が好きではない。アルコール消毒液を飲んでいるような気分になる。
「まあ、こういう時の大概の悩みは仕事か恋愛だ。後者だろ」
「嘘がつけないな、どうしても」
「わたしは今日、別に映画見なくてもいい」
「え?」
「別にいいよ」
「いや、」
「それだと約束が違うって顔してるな」
「だって」
「でも私たちは別に、約束してるわけじゃないよね」
「え?」
不意打ちで聞き返してしまったが、確かにそうだった。
毎週の確認連絡は「円山町?」だし、会っているのが偶然金曜日なだけだった。ホテルの値段が跳ね上がる金曜日にわざわざ会っているのは、映画を見るという口実を作るためだとしか言えない。いわゆる「暗黙の了解」「不文律」というやつは、壊れる時にはあっけなく壊れるものなのだと悟った。
「偶然なのだがねえ、わたしも彼氏と別れたんだ」
「は?」
「これがバレたわけじゃないよ。こっちからフった」
「いつの間にそんなになってたんだ」
「ん〜結構最近。アイツねえ、わたしのこと本名で呼ぶんだ」
「そうなんだ」
「そう、なんかねえ、それがずっと気持ち悪くて。でも、最初にナギサって呼んで、って言わなかったわたしが悪い。悪いけど、普通にミスっちゃった」
「好きだったのにな」
「好きな人にこそ、なんて呼んでもらいたいか、全然わからないんだよ」
「そういうもん?」
「そういうもん」
ムダ毛一つない綺麗な内腿をさすりながら、切なそうにため息をついた。
僕は、持っていた酒を机の上に置いて、彼女に背中を向けてベッドの上に座った。
「好きだったんだけどね」
彼女は、熱を感じるほど近づいて、ぼそっとつぶやいた。
ナギサが、彼の、というか元彼のことをどれだけ好きだったのかは、多分僕が一番知っている。そんな僕から彼女に言えることなどなかった。
「優しくてさ、頭良くて、いろんなこと知っててさ。いっぱい映画も見たし、本も交換したりした。なのにさ、わたしのミスで全部壊しちゃった」
途中から、ナギサと呼んで、とお願いすればよかったのではないか、と言おうかと思ったが、呼ぶ名前を変えることの大変さも、今の僕にはわかる。じゃあ今から本名で呼んで、と言われたら、それで頭がいっぱいになって映画どころではないしセックスどころでもない。
気づいたら、今日の映画が始まっていた。
僕はDVDで何度も見ている映画で、そろそろセリフをそらで言えそうだった。しかし、背中で感じるナギサの冷たいけれどあたたかい体温が気になって、セリフなんて思い出せなかった。
「悩んでいたのは君じゃないか」
「悩み相談に乗ろうとする時は、たいがい自分の悩みがある時なんだよ」
「乗ってやった対価でてめえの相談もしたいから?」
「そう」
「だよな」
僕は、ナギサが彼のことを愛していたように、自分の彼女のことを愛しているだろうか。呼び方ひとつの間違いで関係を壊してしまいたくなるほどの愛を、知っているだろうか。
「好きだったんだよね」
ナギサは泣いていた。
そして後ろから僕の腰に、今にも折れそうな細い腕を回してきた。
僕はナギサが彼に与えてきた愛を知っているけれど、僕自身が与えたりもらったりしている愛を、多分知らない。だから、やっぱり何も言うことができなかった。
折れそうな腕をそっとほどいて、テレビを消すためにリモコンを取ろうと立ち上がった。
テーブルの上に置いてあるストロングを煽り、テレビを消した。
「ジブリ、いいの?」
「いいよ」
ナギサの涙でグショグショになったTシャツを脱ぎ捨て、もう一度ベッドに座り直した。今度はナギサの真横に。
まだ酒の回っていない二人の間に、沈黙が訪れた。ナギサは、またひとつため息をつきながら、いつもより豪華なヘッドボードに頭を預けた。それから何事もなかったようにつぶやいた。
「せっかく広い部屋来たから、ソファーも使いたかったな」
「なんかソファーに根性焼きの跡あったよ」
「え、こわ」
彼女はそういうと涙で濡れた顔を自分の服でふいた。
「脱いだら?」
「おう、そうするわ」
僕たちは、部屋のカーテンから朝日が漏れる時間までセックスをした。
僕は何度もナギサの名前を呼んだ。とても嬉しそうだった。でもそれは、彼女が喜ぶからではなくて、僕が呼びたいと思ったからだ。そして、今にも寝そうなナギサに、彼女を振る文言について聞いた。
「本当のことを言うのがいいよ」
聞こえるか聞こえないかくらいの声で、そういった。
多分、僕らは目を覚ましたら、消費期限を数時間すぎたおにぎりを食べて、インスタントの味噌汁を飲むだろう。そしてそれぞれの日常に帰っていって、来週の木曜日、僕はまた「円山町?」とメッセージを送るのだと思う。
僕らにとって、それで何もかもが、じゅうぶんだ。
(noteより転載 オリジナル:2022年1月11日投稿)
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