その一 色を聴いてみる

「色を知らないって……色盲ってこと?」

「その言い方は少し古いわね」

 俺の質問に対し、姉は少し眉根を寄せて答えた。

「今は色盲、色弱と言う言葉は眼科の診断名としては完全廃止されているわ。今は色覚異常、色覚障害と言うのよ――最も、大多数の人間と違うというだけで異常と言うのも変な話だと思うけど。個人的には日本遺伝学会の提唱する色覚多様性という言葉を推奨したいところね」

 全世界的には少数派色覚を持つ人の割合は、血液型がAB型の男性と同じくらいなのだから――と姉は滔々と述べる。実態は変わらないのだしどちらでも良いのではないか、などと個人的には考えるが、幼い頃から天才と持ち上げられてきた故か姉は「変だ」とか「異常だ」という言葉に敏感なところがある。どの道当事者でない自分に言葉の是非をジャッジする権利はないと思うし、ここは姉に合わせておこう。


「とにかく、あの子は色覚に特性があるんだよな?」

 ガラス窓の向こうの少女を見ながら俺は話を元に戻す。

「そうね。あの子の場合は1色覚、あるいはA型色覚と呼ばれる状態……色を全く感じられず、世界をグレースケールで認識しているわ。多様な色覚の中でも、最も数の少ないものよ」

 つまり生まれた時から一度も色というものを知らないことになる。そんな子に色を見せることなんて本当に可能なのか?

「手術をするってわけでもないよな? 姉さん医者じゃないし、治療出来るもんじゃないって聞いたことあるし」

「そうね。光の波長の違いを感知する錐体細胞が他者とは違う状態にあるのが少数派色覚者よ。眼球の後ろにあるこれをそれをどうにかする方法は今のところ存在しないわ」

「じゃあどうすんのさ」

 原理的に色を見分けることが出来ないんじゃどうしようもなくないか?

「それを何とかする理論の一つが……さっきの『色は脳の中に存在する』って話よ」

 姉は不敵に笑い、腕時計を見た。

「そろそろ時間ね。実験を始めるから、中に入りましょう」

「俺も一緒でいいの?」

 ここまで姉と共に我が物顔で研究所を歩いてきたが、実のところ俺はここの研究員でもなんでもない、ただの一般弟だ。いつも姉について回ってここに出入りはしているものの、流石に実験にまで立ち会っていいものか?

「どうせ誰も文句言わないわよ」

 姉はそう言って扉を開けて入っていく。姉がそう言うならいっかと俺もドアを抜けて姉に続いた。


「お待たせ」

「先生、お疲れ様です」

扉の向こうには実験の準備をしているであろう研究員の人たちと、その真ん中にさきほど見た椅子に座る少女が居た。

「こんにちは~。あ、俺のことは気にしなくていいからね。まあ言わなくても気にしないと思うけど」

 姉が研究員たちに声をかける傍らで、俺はなんとなく言い訳がましくへらへらと話しかける。当然反応は返ってこない。そりゃそうだ。

「こんにちは。今日はいよいよ実験だけど、調子はどう?」

「こんにちは先生。ばっちりです。楽しみ」

 姉も俺を無視して被験者と話を始める。これもまた当然なのだが、姉にまで無視をされるとちょっと切ない。

 仕方がないので、姉と少女のやり取りを横目に自分の立ち位置を探ってみる。別にどこに立ってようが邪魔になりようもないのだが、まあこれは俺の気分である。

 やっぱり端っこの方がいいだろうか、でもせっかく姉が見せてくれるんだから近くで見た方がいいのかも。……というか、近くで見て意味があるような実験なのか? 具体的にどう実施するのかとか、何も知らないのだが。

 手がかりがないかと被験者の少女を無遠慮に見つめてみる。年頃は小学校高学年から中学生と言ったところか。少なくとも高校生には見えない。座っているから正確には分からないが、背も高くはないだろう。大人しそうな印象を受ける子だ。今は眼鏡をかけていないが、肘掛けに備え付けられたテーブルにサングラスのようなものを置いている。なんとなく、普段はかけているような気がした。恐らく特異な色覚を補助するためのものだろう。屋内だからかけていないのかな。

 最も気になるのが膝の上に置かれた機械である。先ほどは被っていたようだし、多分これが実験器具だろう。

 見た目は人間用のヘッドライトというか、VRゴーグルのVR抜きというか、そういった感じだ。そんなにゴテゴテしているわけではなく、被ってもそんなに重くなさそうだ。特徴的なのは二つだけで、前頭部にあるカメラのようなものと、耳の後ろにぴったりくっつくようになっている、丸い円盤のようなもの。後者はどこかで見たことある気がするけど、なんだっけな。加えてその二つを結ぶ途上に小さな黒い箱のようなものが存在している。それだけ。こんなシンプルな装置でどうやって色を見せようと言うのだろう?


「……念のために最後にもう一度、この実験に使う装置の説明をするわね」

 俺がまじまじと装置を眺めていたのを察したのか、姉が少女に向けて話し出した。再説明という体ではあるが、本当の目的は俺に聞かせることだろう。本当に気の利く姉である。

「と言っても危険なことは何もないわ。この装置の要はこのカメラと骨伝導ヘッドホン。そしてその二つの間でデータを変換するこの部分ね」

 装置を手に取り、一つ一つ差し示す姉。ああそっか、耳の後ろの奴は骨伝導ヘッドホンだったのか。そういえば以前知人が使っているのを見たことがある。

 しかし、何故色を見るのにヘッドホン? 視界じゃなくて聴覚だろう、それは。しかもわざわざ骨伝導と来た。

「原理は簡単よ。まずはこのカメラ――正確には光学センサね。それがあなたの視界に映るものの位置と色を測定するわ。測定内容を中間にあるこの処理装置に送り、視覚情報を音波に変換、それを骨伝導ヘッドホンから再生することで色を聴く……というのが大まかなメカニズム」


 ……

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