幽霊の色を聴いてみる
志波 煌汰
序
「『色』がどこに存在するか分かってる?」
姉はそこから話を始めた。
「あんまり俺を舐めるなよ」
研究所の真っ白な廊下を進む姉を追いかけながら、俺はむっとして返した。若くしてここの所長に任命されるような姉に比べたら凡庸に過ぎる弟ではあるが、流石に中学レベルの科学の知識まで身に着けていないと思われるのは心外だ。
「正解は『光』の中、だろ? 光自体にも色があるし……光が物体に当たると、その物体に光の一部が吸収され、吸収されなかった波長が反射して物体をその波長の色に見せる」
光源色と物体色、と言うのだったか。
植物が緑色に見えるのは、葉緑体の色素が光の三原色のうち赤と青の波長を吸収してしまって緑の波長を反射するからだといつか説明を受けた記憶がある。
俺はこの説明を思い起こすたびに少し不思議な心持ちになる。植物としては緑色が一番必要ないから反射しているというのに、観測する側からすると植物と言えば緑、という風に見えるのだから。
ともあれ、思ってたよりもすらすらと説明できたことに気を良くした俺は、再度高らかに答えを告げる。
「だから正解は『光』の中!」
「外れ」
しかし俺の誇らしさは姉の端的な言葉でぺしゃりと跳ね返された。納得がいかずにごねる俺。
「なんでだよ、正しいだろ!?」
「そうね、正しい。けど不十分」
姉はこっちに目も向けずに続ける。
「色が存在するのは……脳の中、よ」
「……えーと?」
「中学レベルでは合格だけど、高校レベルの知識はどうかしら。目に入った光が色を見せるメカニズム、分かってる?」
……これはつまり、目に関する説明をしろということだろうか。俺は必死で記憶を漁る。確か生物でやった記憶はあるんだけど……。
「確かなんとか細胞が……」
「桿体細胞と錐体細胞」
俺が思い出す前に答えを言われた!
ぐぬぬとなる俺に構わず、姉は説明を続ける。
「このうち桿体細胞は明度を捉えるのに適した細胞で、色に関しては錐体細胞の領分ね」
「光が視細胞を刺激するから物体と色が見えるって高校で習った覚えあるな」
「その刺激について、もっと詳細に説明できる?」
出来ません。素直に姉に話を任せる。
「重要なのは視細胞の中にある視物質。これはオプシンというたんぱく質と、レチナールという色素の組み合わせで出来ているわ。このうちレチナールが光を受けると構造が変化して、オプシンがそれを刺激としてまた構造変化を起こすの。それをきっかけに視細胞が興奮した状態になり、脳に電気信号が到達する」
「それで物が見えるってわけか」
人間はたんぱく質で世界を見ているんだな。
「で、色が脳内に存在するって話は?」
「光の波長自体に色があるんじゃなく、波長の違いによって受け取る刺激が違うからその刺激に応じて脳内で色が塗られているってことよ」
あるのは光の波長の違いだけで、それを識別して色を塗っているのは脳である。私たちは結局のところ、見えるようにしか見えていない。
姉はそういう説明をした。
「……同じじゃない? 区別する必要ある?」
「確かに光と色を混同して語ったところで一般的に問題が起きることは少ないでしょうけど……厳密には違う、ということよ」
例えば、不可能な色というものがあるわ、と姉は語った。
「不可能な色?」
「禁止色、とも言うわね。通常では見えないけども、条件によっては見えうる色のことよ。『想像上の色』と『キメラ色』の二種があるのだけど、ここではキメラ色の話をしましょう」
赤い緑や青い黄色って想像できるかしら? それらが混ざった色じゃなくて。
姉の問いかけに俺はイメージするも、いまいち分からない。
「これらは拮抗的な色同士の組み合わせだから、通常では認識することが出来ないの。でも、残像を利用することでそういう実際には不可能なはずの色を知覚できる」
脳内で色を混ぜているようなものね、と姉は説明。この原理を使えば、現実以上に鮮やかな色、というものを見ることが出来るらしい。ただ、知覚をハックして行うので長続きはしないそうだ。
まるで幽霊みたいな色だ。気になるので今度試してみよう。
「……で、長々と『色は脳の中にある』って説明してもらって、理解はしたんだけどさ。これって結局何の話だったの?」
「色の話が今回見てもらう実験の前提だからよ」
ちょうど着いたわ、と姉がその艶やかな黒髪を揺らしつつ、顎で示す。大きなガラス窓から、少女が座っているのが見える。
「あの子は?」
「今回の被験者」
俺は少女をじっと見つめる。こちらに気付く様子はない。頭には何やら器具を取り付けている。あれが実験器具だろうか。しかし何の実験だ?
俺の疑問を解消するように、姉は説明した。
「色を知らないあの子に色を見せる――それが、今回の実験よ」
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