水墨画のような世界で居場所を見つけた

宿木 柊花

第1話

 黒い海、白い砂浜、灰色の空。

 太陽は純白に輝き、駆け出した薄墨色の少年たちの肌を白く飛ばした。

 黒に白い波を立てて少女たちはキャッキャとその白い足を濡らす。

 雲は筆で描いたように柔らかく流れる。


 水墨画のような光景を眺めながら黒いベールをかぶせられた濃淡のある荷物たちの隣にいる。置き引き注意の看板が眩しい。

 遠くから焼きそばのソースの匂いが漂ってくるが、荷物番の報酬としてもらったのはかき氷だった。

『やっぱり焼きそばですよね? でもお兄ちゃんが黙ってこれを渡せって』

「うん大丈夫、ありがとう」

 イトコの妹にしては礼儀正しくペコリとお辞儀すると、テトテトとまた海に戻っていく。まだ幼く一人では泳げないらしく自分の身長と同じくらいの大きな浮き輪を引きずって歩く。

 葉っぱ色だという白い水着にしま模様の浮き輪を背負った姿は生まれたてのウミガメを彷彿とさせた。

「葉っぱか」

 暑さに頬も黒くなる炎天下でこの冷たさはありがたい。ただ一点気になることがある。

 ジャク。

 ストローでできたスプーンの先には薄墨のかかった氷がこじんまりと乗っている。

 パクリ。

 舌の熱を奪って瞬時に消える氷。

「甘い」

 どう口の中を探ろうとかすかな香りすら残さず消えてしまった。

 何口なんくち食べてもそれは変わらずヒント一つ残さず消えてしまう。


 色の分からない人間にはこくな遊びではないだろうか?

 海に入ることを拒んだ罰だろうか?

 けれど考えてもみてほしい。

 墨汁の海に誰が好きこのんで入りたい?


『おーい』

 遠くから少年が手を振る。

 白とびして誰だかは分からない。

『ジュース、買ってきてー』

 あー分かった。

 アイツだ!

 この酷なゲームの発案者であり憎き従兄弟いとこのイトコ。

「自分で行け!」


 さて続きをするか。

 果たしてこれは何味なのだろうか?




 かき氷ももうすくう氷がなくなった。

 残った水は夕方の影のような薄い色をしている。大抵のものはこの色になる。

 ただ底の透け具合や味から乳酸飲料とレモンは排除しても良さそうだ。

 残りはイチゴ、ブルーハワイ、メロン。

 ミックスされたらお手上げだが、それほど頭の回るヤツではない。

 直球のはず。


『おーい……』

 またアイツが呼んでいる。

 顔を上げれば周りが騒がしい。

『サメだ!』『毒だ!』『刺されるぞ!』『逃げろ!』『どこかに隠れやがった!』『早く上がれ』

 どうやら危険生物が現れたらしい。

 砂浜はパニック状態。

 イヤホンを外すとそれは喧騒の波になって押し寄せる。

「おーい……どこだ、大丈夫か」

 イトコの焦りが心臓を鷲掴んだ。

 もつれながら、逃げ惑う人に押し返されながら駆け寄る。

「いないんだ」

 周りを見る。パニックの人波の中にまとまった少年と泣きじゃくる少女を見た。

 一番小さい子がいない。

「もしかして……妹の」

「ああ、たぶんまだ」

 黒い海。

 荒れているようでそうではない。

 何か、何かが動いている。

 波に揉まれる何か。

 海の中を悠々と泳ぐ何か。

「見えるかもしれない」

「分かるのか」

 コク、と頷く。

 ポケットから外したイヤホンを耳につけると喧騒が嘘のように静まり返った。

 ライフセーバーの居なくなった椅子に登る。

 動けずにいるイトコに耳をトントン叩いて見せる。アイツは急いで浜へ走る。


 椅子の上は高く、肘掛けに紐で繋がれていた双眼鏡を覗く。

「やっぱりだ」

 黒い海の中。

 2つの影が動く。

 細長い一つは早くゆらゆらと揺れながら進む。

 もやもやと輪郭の掴めないもう一つは流れに身を任せるようにそれでいて一拍ごとにゆっくりと動いた。

「あの子はどこだ」

 その影の近くにはいないようだ。

『どうだ』

 張りつめたアイツの声。

「ヤバそうな影の近くにはいない」

『そうか』

「今探してる」

 黒い海。

 白い波。

 ライフセーバーのジェットボートの描く白線。

 まだ上がりきれない人々の薄い灰色。

 この先に白い波に揺られるしま柄の丸があった。

「あった!」

『どこだ』

 海はどこも同じようで目印がない。

「もっと右、大岩の方」

『それじゃ分からない』

 イトコの声に混じって水の音が聞こえる。

「まさか泳ぐ気か」

『そうそう外れない良いヤツだから』

「違う。そのまま行ったら何か危険な影に突っ込むことになる。危険だ。引き返せ」

『何かあったらどうする』

「だからそれを……。それこそライフセーバーや海上自衛官に頼るべきだろ」

『待てるか、それにお前なら見えてるだろ』

「……ッ」

『頼んだぞ』

「ッでも! ヤバそうな影なら見えてるけどお前が見えてないんだよ」

『いいさ、その影に近づく影があったら教えてくれ』

「意味わかんねーよ」

 丸い影はゆっくりと波に押されて離れていく。

 細い影は徐々に泳ぐ範囲を広げながら浜の方へ近づく。

 輪郭のない影はあまり動いていない。

「もう少し沖へ出てくれれば見つけられそうだ」

『妹は無事か』

「少しずつ沖の方へ流されてる」

『そうか』

 バシャバシャという音が早くなる。

 人ゴミから一つ抜けた。

「今周りに人はいるか?」

『抜けたな』

「そうか分かった。そのまま直進」

 海と同化しそうなイトコが進む。

 行く手にいる細長い影が何かに反応したように向きを変える。

 イトコに向かってゆっくりと揺らぐ。警戒しながらもチャンスをうかがっているのかもしれない。

「来るぞ気を付けろ」

 乾いた笑い声が聞こえた。

『なるほど小型のサメだ』

「タイミングを指示する」

『大丈夫。このサイズならやれる』

 サメを任せて妹と思われる影を確認する。

 風で椅子が揺れる。

 警察が到着したのか人の整理をしている声がする。

 胸がざわめく。

 何かがおかしい。

 浮き輪は同じ場所でゆらゆらと揺れている。

 遠くて人影は分からない。

 しかし、こんなにも静かでいられるだろうか。

 妹は確か小学生になりたてくらいだったはず。それが騒がず、暴れず静かに抵抗もせずに流されるものだろうか?

「どうだ?」

『ああ、俺の勝ちだな。蹴りを入れたらすぐ逃げていきやがった』

「そうか……」

 大事にならなくて良かった。

 蹴る場所が良かったのか、海育ちのイトコが強いのか。映画のようにならなかったことが本当に良かった。

『……骨のないやつだな』

「!」

 もしかして!

 双眼鏡を握り直して細長い影の行く先を追う。

 確かにイトコに背を向けて一直線に動いていく。

 この先、何かあるかもしれない。

 白い波が邪魔して何かを隠している。

 海に反射する白、波の白、そしてもう一つ動きの違う白を見る。

「サメを追え!」

『なんだって』

「急げ! サメの先にいるかもしれない」

『マ』

 大きな波の音に声がかき消される。

「大丈夫か」

 反応がない。

 イトコの影も見失ってしまった。

 もっと早く見つけていれば。

 色が見えていれば。


『大丈夫だ』


 双眼鏡を持つ手が震えている。ダンベルのように重いそれをゆっくりと覗く。

 細長い影はいつのまにかいなくなり、白い影を抱いたイトコの姿があった。

「見つけたのか」

『もちろん』

「無事か」

『無傷だけど帰るのは難しいな』

「救助依頼出してくる」

『頼んだ』

 椅子から飛び降りて近くのライフセーバーに伝えるとすぐにジェットボートが迎えに行くそうだ。


 バスタオルで包まれた二人をみてトンとついた尻が熱い砂浜に焼けた。


『ありがとな』

『助けてくれてありがとう』

 二人のまっすぐな言葉を素直に受けとれずに真下にある黒い影を見つめる。これが穴だったならと思ってしまう。

「いや、ごめん。もし双眼鏡で見ていたのがイトコだったらもっと早く見つけられただろう」

『そんなことはない』

 両肩を掴んできたイトコの手は暑苦しい眼差しとは裏腹にとても冷たく弱々しく震えていた。

「だって」

『俺が見たところであのスピードで危険生物を発見したり、妹の流した浮き輪を見つけたりはできなかった』

「そんなこと」

『俺には青い海に反射した光や人混みのごちゃごちゃした色に惑わされてどこにいるか、など分からなかっただろう。本当にいてくれて良かった』

 濃い顔は逆光で真ッ黒にしか見えなかったが、失わなくて良かったと心の底から思えた。

 久しぶりに声を上げて泣いた。

 ホッとしたのかなんなのか、恥ずかしげもなくイトコに抱きついて泣いた。

 隣にいた妹はそんな姿を見て笑っていたのだろう。揺れる視界の端でクスクスとリスのように笑っているのが見えていた。

『お揃いです』

 泣き笑いの妹がくるりと回って見せた。

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