第6話 視線と錯誤

 僕が教室に帰ると、四時間目の英語の最中だった。

 英語の服部先生は担任から事情を聞いていたらしく、遅刻扱いはせず、席に着くように僕を促した。

「山下君は先に席に帰っているぞ。君は屋上の鍵を返しに行って遅れたのか?」

 僕はその言葉に首肯した。どうやら、番長は服部先生に事情を説明したようだ。すでに教室に番長が戻っていた事実に僕は驚愕した。

「わかった。ご苦労だったな。席につきなさい」

 先生に促されるままに自分の席にもどり、僕は一息ついた。

 背後から刺すような視線を感じて、教室を見まわすと、僕の隣の列の一番後ろに番長は着席していた。

 番長と一瞬視線が交差したが、僕を一瞥しただけで、立ち上がって襲ってくることは無かった。

 さすがに教室でまで、拳で語ることはしないようだ。

 幸いにも番長の非常識はそこまで桁はずれではないらしい。

 屋上の一件があるので、僕はところどころで後ろの席に座る番長をにらみつつ、授業を聞いていた。

 機会をみて、破壊されたと推察される屋上の扉の件は担任に相談した方がいいだろう。

 驚いたことに番長は、英語は得意のようで、英文の和訳を求められると、スムーズに回答している。

 僕が脳内で今後の方針を色々考えていると、僕の前の席の田心嬢に英語の問題を解くように指名がかかった。

 どうやら、船をこいでいるのを見咎められたようだ。

 田心嬢は、仕方ない様子で席を立つと、何気なく後ろを振り返り、僕をみて不敵な笑みを浮かべる。

 何だろうか?  意味ありげなまなざしと笑みだったが……。

 後で意味を確認した方がいいだろう。

 田心嬢は教壇までいったはいいが、案の定、黒板の英語の文章の和訳が判らなかったらしく、先生から酷く絞られている。

 結構、英語の服部先生はきつい人なので、叱られると結構堪えるはずなのだが、田心嬢はむしろそれに慣れ親しんでいるかのようにさえ思える。

 軽く舌をだして、悪びれない様子を見ると、『てへへ』という擬音が聞こえてくるようだ。

 やがてチャイムの音が鳴り響き、長い、長い、午前の授業が幕を下ろした。

 授業から解放されて大喜びの田心嬢。

 さて、昼休みになったのだが、担任は、職員室にはいない可能性が高い。となると相談は放課後か……。

 屋上の扉も気になるところだが、どうしたものか……。

 僕は番長から極力見つからないようにしつつも、先ほどの意味ありげな笑みの件もあるので、田心嬢に昼食を一緒に食堂でとらないかと誘ってみた。

 田心嬢も、なぜか僕と話がしたかったようで、あっさりOKしてくれた。

 僕一人より、誰かと一緒のほうが番長に襲われるリスクが少ない。

 頬の傷についてはどこかに引っ掛けたのだろう問題ないと言っておいた。

 番長から攻撃されたといえば、余計な心配をかけるかもしれないからだ。さらに噂好きの田心嬢より先に担任に相談したほうがいいのではという考えもある。

 とりとめもない会話をしつつ、僕達は速やかに教室を出て食堂に向かう。

 食堂は一階の校舎から、渡り廊下を抜けてすぐ、体育館の並びにある。

 雨の日以外は、外のテーブルでも食事ができるし、持ち込みもOKだ。

 田心嬢と、一階を歩いていると、丁度一年の教室から出雲嬢が出てきた。

 僕を見つけ足早に、こちらに向かってくる彼女。

「先輩~、一緒にお昼を食べませんか~」廊下中に響くような出雲嬢の声。とある出来事で助けてから妙に懐かれている気がする。慕われるほど大したことはしていないはずだが……

 器用に人にぶつからないよう、こちらに駆けてくる。

「おお、相変わらず元気だねぇ、里菜は」うんうんとうなずく、田心嬢。

 僕の前で、空手部の万年幽霊部員の田心嬢、そして皆勤賞の里菜嬢が合流した。

 三人で連れ添い、食堂に向かう。田心嬢は昨晩の、深夜ドラマについて熱く語っていた。

 それで、遅刻したのか。

 そして、英語の授業も居眠りしたわけだ。

 僕は得心した。

 僕はドラマなど全く見ないので、適切な回答はできない。

 とりあえず適度に相槌を打つに留め、会話には密に参加しないのだが、それでも器用に会話がつながっていくのはなぜだろう。

 何人かの生徒の間を通り抜け、食堂に着いた。

 すでに、食堂内の席は満席だった。

 したがって、外の席に座ることになった。

 目にしみる青空。藤の木が絡みつく、ひさしの下。僕ら三人はテーブルに着いた。日の光は適度に遮られ、ほんわかとした太陽の温かさのみが伝わってきた。

 とりあえず、四人がけの席を確保する。

 朝に弱く、弁当を作れない田心嬢は、食券を購入するため席を外し、出雲嬢と僕は、手製の弁当を広げつつ、部活について歓談していた。

 正面から、出雲嬢の視線が僕に降り注ぐ。

 なんとなく僕は彼女の髪型と、身に着けているアクセサリーに着目した。

 彼女の髪型は切りそろえられたボブだが、其の時の気分によって、髪型を若干だが変えているようだ。

 といっても、ちょっと髪型にアクセントをつける程度なのでよく見ないと分からないが……。髪型について彼女に告げると、

「さすがに、目ざといですね。すこし、落ち込みそうなんで、髪型を変えてみたんですよぉ」とうれしそうに目を細めた。

 テーブルに頬をつきつつ、彼女は何気に僕に視線を向ける。

 突然、出雲嬢の顔が硬直した。

「せ、先輩、ほっぺに傷が……。朝はありませんでしたよね」

 出雲嬢の声が上ずっている。あわてて、僕のそばに駆け寄ってきた。

 ああ、番長からやられた傷か……。

 痛みがなくなったので、失念していた。

 まあ、この程度なら問題はない。

 攻撃をかわしきれなかった僕自身の未熟さの賜物だ。

 出雲嬢は僕の隣の席に腰を掛けて、吐息がかかるほどに顔を接近させる。

 容姿の美醜は、個人的な主観が混じるため、なんとも言及できないところもあるが、少し釣り目がちな、かわいらしい顔だ。イメージとしては、猫だろうか?

 なんともかわいらしい。容姿にそれほど頓着しない僕でも純粋にうらやましいと思えるくらいだ。

「お、女の子の顔に傷が……。駄目ですよぉ。跡が残ったらどうするんですかぁ」

 彼女にしては珍しく、強い口調で僕をたしなめた。

 ふむ。僕は鏡でみた傷痕を思い出す。

 あの程度では傷跡は残らないだろうが……。

 なんにしても、心配してくれたことには謝意を示すべきだろう。

 僕は彼女に軽く謝意を示す言葉を伝えた。

「動かないでくださいね」

 彼女はそういうと、微妙に僕の謝意の言葉で顔を赤らめつつ。ポケットから絆創膏を、それも何かのアニメキャラらしきものが書かれている物をとりだして、僕の頬に貼り付けた。

 うむ。これは、先に自分の所持する絆創膏を張っておくべきだったか……。

 さすがにこれは少し恥ずかしい。

 無意識に赤面してしまう。

 しかし、出雲嬢のせっかくの心づくしは無碍にはできまい。

 僕は再度礼を述べ、謝意を示した。

 暫くして、田心嬢が戻ってきた。どうやら今日は、きつねうどんのようだ。

 昨日は確か、カレーライスだった。

 毎日、適当に決めているようで、特に法則性はないようだが。

「さっきから、聞こう、聞こうと思ってたんだけど。桜子、朝、一緒にいた背の高い男子は、貴方の彼氏なのね」

 ズルズルとうどんをすすりつつ、田心嬢は僕に尋ねた。

 しかし、仮にも女の子が音を立ててうどんをすするかね。

 はしたないのではないのか?

 まあ、そんなことは人それぞれとも言えるので、どうでもいい。

 はて、さっきの発言は、何か不適当な点がなかったか?

 正面の席に戻っていた出雲嬢を見ると、目を丸くして固まっていた。

「か、か、彼氏ですかぁ。難なんですかそれ。聞いてませんよぉ」

 僕も初めて聞いた。

 なので、出雲嬢が聞いていないのは、至極当然だろう。

「うふふ、まじめな桜子が、授業を抜け出してまで、男子と一緒にいるんだもの。びっくりしちゃった。これも愛ってやつなのね」

 ちょっと待て。

 それは、さすがに短絡的だろう。いくつかの肯定がすっ飛ばされている気がする。

 なるほど、英語の授業の笑みの意味はこれか……得心した。聞くまでもなく答えがわかってしまった。

 おそらく昨日の深夜にやっていたらしい学園もののドラマの設定で、そんなのがあったのだろう。僕はそう推察した。

 とりあえずは、誤解を解こうと口を開こうとしたが、断続的に田心嬢が色々まくし立てるので、言葉をさしはさむことができないでいた。

「しかし、こういっちゃなんだけど、あの格好はいけてないわよ。

 桜子クラスなら、もっとグレードが高い男子が狙えるはずなのに、もったいないなあ。

 まあ、恋は盲目っていうしね。恋すればああいうのが個性的で、いいところに見えるものなのよね……」

 うっとりしたような眼で田心嬢が呟く。

 個性的か……まさしく物はいいようだ。

 果たして彼の性質を知ってもそういえる人がいるのだろうか?

 おそらく番長の本質を知れば、誰もが彼には近づきたくも無いと思うだろう。

 番長が彼氏か。

 かなり、嫌な世界線だが、とりあえず考察してみよう。

 まず、僕のほうから好意を番長に持てるか?

 答えはNOだ。

 次に番長から僕に好意を持つことがありえるか?

 これもNOだな。

 あの口ぶりと、行動から推察するに、僕を女としても見ているか疑問だ。

 異性であることを抜きにしても、あそこまで個性的な人間の思考は僕にはよくわからないが、しばらく一緒に行動し、観察した事を思い返すと、女子に興味があるかどうかもかなり怪しい気がする。

「どうしたの。桜子。ぼおっとして、恋する乙女ってやつなの? まあ、あんたの場合は、いつものことだけどね。四時間目は彼にずっと熱い視線を向けてたものね」

 僕はいつもぼおっしているわけではないのだが……心外な話だ。

 僕はとりあえず、ループしそうな思考を押し留める。

 熱い視線か。まあ、注視していたことは事実なのだし、ある意味そうだといえないことも無い。

 とりあえず、いい加減に誤解は解いた方がいいと僕は判断した。

 さもないと、今後の話がややこしくなってしまうだろう。

 僕は、番長が僕に興味を持つことはありえない。

 したがって、田心嬢の認識は間違っていると告げた。

「な、何をいってるのよ。あんたに思われて、なびかない男子はいないわよ」

 其の言葉は、僕に対して自信を持て、がんばってという意味がこめられているようだが、困ったことに微妙にニュアンスが間違って伝わっている気がする。

 どうしたものか。

 日本語はむずかしい。

 僕は、弁当箱から昼食のサンドイッチを取り出し、口に放り込む。マスタードの香りと辛味が思考をクリアしていく。

 しかし、何でも恋愛に結び付けて考えるのはどうなのだろうか?

 それが、思春期というやつなのだろうか? 僕の脳内は疑問に満ちていく。

「さ、桜子先輩。彼氏って、その人が好きなんですかぁ」

 なぜか、悲壮感まじりで出雲嬢まで言い始める始末。

 ああ、僕まで、悲壮感を感じてきた。

 さて、彼女らに本当のことを理解させるためにはどういうべきか。

 僕が、案をいくつか脳内で列挙していると。

 突然、勢いよく立ち上がる、田心嬢。

 胡乱な目で、僕が彼女を見ていると、瞬く間に彼女は、うどんのスープを一滴残らず、飲み干す。

「ああ、ごめん、遅刻の件で担任の奴によばれてたんだ。せっかくの昼休みだっていうのに、めんどくさいなぁ。桜子。この話は後でね。里菜とごゆっくり~」

 田心嬢は遅刻の女王と、呼び名される兵(つわもの)だ。

 先生から呼び出されるのも、さもありなんだろう。

 空いた器を所持して、そくささと、田心嬢は立ち去っていく。

 やれやれ、担任の先生も彼女の相手は大変だろうな。

 遅刻のしすぎで、内申書に響かないといいが……。

 僕は内心、ため息をつくのだった。

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