第38話 ヤバい宇宙観(ⅱ)

 第19話で、宇宙についての僕が思ったことを書いた。

 コメントに対する返信として、「物質(?)は誰かが作ったのではなく、そうやって存在してきた。世界は、そうなっている。」とも書いた。

 人間が存在していなくても、宇宙が存在していることはあると僕は思う。人間は、宇宙において特別な存在ではないと思う。

 この場合の「特別な」というのは、ほかの存在よりも支配的な位置にあるというような意味である。

 カレーライスを食べようとする人にとってのカレーのスパイス(或いは、その代替)のような存在ではないと思う、人間は。

 人間が存在していることは、奇蹟であろうか。

 僕は、そうとも感じない。

 僕という意識があることは、僕にとっては嬉しいことである。そして、確かに僕の目から見れば他の人間の存在も奇蹟であるが、それとは別に客観的に考えようと試みれば、上のような結論になる。

 分かりにくいだろうイメージで申し訳ないが、例えば、「○ 。 ゜」のように、様々なリングが浮遊しているとする。そこへ幾つものボールが当たる。たまたま、その当たろうとする複数のボールが「●」という形と大きさで、「○」のリングに一つぴったり嵌った。人間が存在している奇蹟とは、そういう感じな気がしている。

 ボール(可能性)は幾つも飛んでいた。リング(条件)に嵌らないボールもいっぱいあった。

 なんというか、宇宙の色々は、様々な条件が「たまたま」マッチングして形成されている、そんな気がする。

 この「たまたま」を奇蹟と見る向きもあるかも知れないが、この場合の奇蹟というのは偶然を見た人がそれに対して価値を付与しているだけであって、偶然は偶然(たまたま)ではないのか。

 念の為に書いておくが、これは他者(人間)に対して敬意をもって接しなくて良い、と言っているのではない。宇宙がどうであろうと、僕たちは社会/歴史を生きているのだと感じる。

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