第54話 ベート・バートリ

 後日、俺は依頼の報告をするため、お得意様である男と電話をしていた。


『これでわかったかね。君に拒否権はないのだ』

「ええ、痛いほど身に染みましたよ」


 俺は小さくため息をつくと、受話器の向こうにいる男に恨み言を零した。


「……でも、こっちにも都合ってもんがあるんですがね」

『こちらには関係のないことだ』

「いや、でも社員の福利厚生とかそういうものだと思って大目に見てもらえないですか?」

『その点でいえば、君は組織でもかなり優遇していると思うがね』

「返す言葉もありません……」


 自分が同じような立場の者達に比べて優遇されているのはわかっている。

 本来ならば、俺はこうして表で探偵事務所などできるはずもない立場なのだから。


『シャノワールのせいで滞ったビジネスも多い。君にはその分しっかり働いてもらわなければならないのだ。父親の尻拭いだと思って諦めるんだな』

「あの人の養子になるようにガキの頃の俺に命じたのは誰ですかね」

『少なくとも私ではない』


 通話相手の男はきっぱりと言い放つ。

 面の皮の厚い男の態度に、俺は観念してため息をついた。


『正体を隠したいのならば、探偵娘と刑事の妻と別れればいいだろう』

「俺にそれができないことを知っててアイの誘拐を指示したんだからいい性格してるよ、あんた」


 俺のぼやきを聞いているのかいないのか、男は話を依頼の方へと戻した。


『真実の贋作はいつ頃届く?』

「黄泉の境界地点から裏ルート使って、いつものように郵送したんで明日には倉庫に届きます」

『そうか。ご苦労だったな――ベオウルフ』

「またのご依頼をお待ちしております」


 心にもないことを言って受話器を置く。

 ふと、背後に気配を感じて振り向く。怪盗という職業柄、気配には敏感なのだ。


「今の電話、ハロウィン・シンジケートの人?」


 振り返るとそこには大人びた表情で静かに佇んでいるアイがいた。


「アイ、今日は早かったんだな」

「質問に答えて」


 俺の問いかけを無視して、アイはぴしゃりと答える。


「答えなくてもわかるだろ」

「まあね」


 アイは軽く肩をすくめると、ソファに座って脚を組んだ。

 こういう仕草を見ていると、改めてアイがプライ姉さんの娘なんだと思い知らされる。


「いつまでこんなこと続ける気なの?」

「死ぬまで」


 俺は即答する。死ぬつもりはないが、この生き方を変えることはない。

 そんな俺を見て、アイは呆れたようにため息をついた。


「そうはさせないって言ったはずだよ」


 その言葉で思い出すのはアイと初めて会ったとあるビルの屋上でのこと。

 いつものようにディアナを振り切り、手頃なビルの屋上に降り立った俺を待ち受けていたのは、アイボリーハウスを壊滅させて救い出したはずのアイだった。


『っ、驚いたよ。あなたが私に挑戦状を送りつけてきた名探偵の正体だったとはね』


 予告状を出した後に届いた名探偵からの挑戦状。

 それがアイから届いたものだと理解したときはさすがに思考が止まりかけた。


『それでこの私をどうしようというのかね?』


 動揺を悟られないよう、必死に取り繕ったが、アイはそんな俺の内心を見透かしたように余裕の笑みを浮かべて告げた。


『この場は見逃してあげるので、お願いをしにきました。私立探偵ライアン・スローン。いえ、ベート・バートリさん』


 アイとは直接的な面識はなかったが、アイは俺のことを知っていた。

 それも表で使っている偽名ではなく、限られた人間しかしらない俺の本名までもだ。


『あなたと大切な妹さんが囚われているハロウィン・シンジケートは私が潰す。だから、私と家族になってください』


 そこで発した言葉。それを聞いたことで動揺は困惑へと変わる。

 ハロウィン・シンジケートを潰すという発言も、俺と家族になりたいという発言も、全て姉さんが幼い頃の俺にかけてくれた言葉だったのだ。

 姉さんの娘であり、怪盗ベオウルフとしての俺の行動を予測していたことからも彼女が常人離れした知性を持っているのだと理解するのに時間はかからなかった。


『……まったく探偵という人種は理解しがたい。だが、どうやら私に選択肢はないようだね』


 見透かされてばかりなのは癪だったので、動揺を隠すために肩を竦めるとため息をついて再びポーカーフェイスを取り戻す。


『この私をここまで追い詰めたのはあなたが初めてだよ。名探偵君?』


 俺はアイを抱えてビルの屋上から飛び去った。

 そこから俺とアイの生活が始まった。


「ハロウィン・シンジケートは私が潰す」

「やれるもんならやってみやがれ。それが出来たら俺は怪盗なんかにはなっちゃいねぇよ」


 アイの言葉は所詮夢物語だ。叶うはずもない。

 実際、プライ姉さんは同じ言葉を口にしてあっけなく組織に消されてしまった。


「ハロウィン・シンジケートがある限り怪盗ベオウルフは廃業できない」


 俺はそう言い切ると、アイから視線を逸らして窓の外を見た。

 どんなに言ったところで俺の気持ちは変わらない。そのことを理解したアイはため息をつくと話題を変えてきた。


「そういえば、この前の勝負。怪盗側の勝利だね、納得いかないけど」


 子供らしく頬を膨らませると、アイは不貞腐れてみせる。


「まったく、ズルイ手を使っちゃってさー」

「おいおい、俺は怪盗だぞ? ズルイも何もないだろ」


 俺が勝ち誇ったようにそう言うと、アイは不満げに眉を寄せた。


「鮮血鬼カーミラが協力者だったなんて聞いてない」

「言ってないからな。むしろ、俺の正体を知ってるってアドバンテージがあったんだ。ズルイのはそっちだろ」

「むぅ……」


 アイは悔しそうな表情を浮かべて黙り込む。

 そんな彼女に俺は口元を吊り上げると、挑発するように笑ってみせた。


「ま、これからもせいぜい頑張ってくれたまえよ、名探偵君?」


 初対面のときの意趣返しを終えてスッキリした俺は、玄関にかけてある上着を手に取る。


「どこ行くの?」

「依頼だよ。本業の方な」


 今日のところは下調べだけ。現場にしっかり足を運ばないといざというときに対応できないこともある。


「行ってくる」

「いってらっしゃい」


 アイに見送られ、俺は外に出る。


『ベート、私は君を絶対に救ってみせる』


 外に出た瞬間、不思議とプライ姉さんの声が聞こえた気がした。

 もう二度と聞くことのできない声。聞こえるはずのない幻聴は俺の心に染み込んでいく。


「プライ姉さん、俺は救いなんざ求めちゃいないさ。今更誰かに頼るなんて選択肢はない」


 さあ、仕事の時間だ。


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