第54話 とある兄妹の話
今でも幼少期の頃のことは夢に見る。
『この役立たず!』
『待ってよ母さん! 俺がもっと金を盗んでくるから許してやってよ!』
スラム街のボロ小屋で酒浸りになった母親からの暴力。
それは幼い兄妹にとっては地獄の日々だった。
兄は昔から手先が器用で母親に強制されてスリをさせられていた。
それに対して妹は要領が悪く、いつも母親から叱責されていた。
母親は金があれば機嫌が良くなり、金がなければ不機嫌になる。
そんな母親の理不尽な怒りの矛先は決まって妹に向けられた。
その都度、兄は妹を庇う。
『大丈夫、俺が守るから』
『うん……!』
地獄のような毎日で育まれた兄妹の絆は何よりも固かった。
それ故、悲劇は起きてしまう。
『ベート! あんた言ったわよね!? 自分が二人分稼ぐって!』
『ごめんなさい、ごめんなさい……!』
日に日に膨らむノルマを達成できず、兄は母から殴られ、蹴られ、そしてついにナイフで刺された。
『お兄ちゃんをいじめるな!』
薄れゆく意識の中、兄の目に映るのは泣き叫びながら小さな体で母親を撲殺する妹の姿だった。
妹には盗みの才能こそなかったが、代わりに人を殺す才能があったのだった。
そこで二人の兄妹の運命は大きく狂い出す。
傷だらけの兄を抱きかかえて運ぶ返り血塗れの妹。
『大丈夫かい?』
そんな彼女に人の皮を被った悪魔が手を差し伸べた。
『僕なら君もその子も直してあげられるよ』
『私のことはいいの! お兄ちゃんを助けて!』
『いいだろう。ただし、きっちり働いてもらうよ』
悪魔の囁きに耳を貸してしまった妹はその後、組織の教育を受けて素質を開花させ、殺し屋となった。
そして、兄は妹だけを地獄の道に進ませるわけにはいかないと、必死に足掻いて組織の中で這い上がることを決意する――それこそが、新たな地獄の始まりだった。
「エリィさん、エリィさん!」
「えっ、どうしましたか?」
「仕事中ですよ。あんまりボーっとしないでくださいよ」
ウェイトレスの子に話しかけられて現実に引き戻される。
「ああ、ごめんなさい」
また昔のことを思い出していたみたいだ。
どうにもこの格好で働いていると、感傷的な気持ちになってしまう。
怪盗ベオウルフの事件から数日後、バーシル街は平穏な日常を取り戻していた。
今日も街のどこかではちゃちな窃盗から迷宮入りになるような殺人事件が起きている。
これがこの街の日常。狂っているようで実は普通で、異常性などどこにもない平和な世界。
「ねぇねぇ、ママ! アイ、遊園地に行きたい!」
「うーん、また有給使えば行けないこともないけど、最近はライアンが忙しそうなのよねぇ。今日だって急な依頼が入ったみたいだし」
「探偵の宿命だね」
スローン探偵事務所の下にある喫茶店〝Café & Bar HAIMA〟で夕食を食べながら一組の母娘がそんな話をしていた。
「あっ、エリィさん! 注文いいですか?」
「はいはーい、今行きますよー!」
呼ばれたので、カウンターから出て二人の席に向かう。
伝票を持って席にたどり着くと、二人はこちらを向いて楽しげに微笑む。
「あれ、エリィさん。今日は甘い匂いがしないですね」
「あはは、いつもお菓子作ってるわけじゃないからね」
「お菓子作りか……今度あたしもやってみようかしら」
「いいですね! きっとライアンさんも喜ぶと思いますよ!」
注文を取ると厨房へと向かい伝票を渡す。
いい加減この辺も紙じゃなくてデジタル化しても良いと思うのだが、これはこれで味があると思ってしまう自分がいる。
それから喫茶店業態からバー業態へと切り替わるまでの休憩時間。
店の裏口から外に出る。
そこには黒い服に身を包み、血が付いた特殊な飴細工の凶器を舐めて溶かしている殺人鬼がいた。
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