第10話 ベオウルフ参上

 ロゼミに会う前に周囲を警戒していたことから、インカさんがスタンリーさんに隠していた後ろめたいことはロゼミと会うことだろう。

 問題はどんな内容について話しているかということだ。


「こちらはルビーをあしらったブローチでして……」

「あら、素敵! こんなに大粒のルビーを使っていてこのお値段は格安ですわ!」

「装飾部分が合成樹脂の安物なんですよ。ささ、どうぞお手にとってじっくり見てみてください」

「では、お言葉に甘えて……」

「ああ、手袋は外してください。宝石部分の特徴的なカットの仕方も是非素手で触って確かめていただきたいのです」

「わかりました」


 どうやら二人は宝石を見繕ってもらっているようだ。

 二人の接客対応をしている若い女性店員の名札に〝セレーヌ・キルギヌ〟とあったから、彼女はこの店の店長なのだろう。店の名前と同じだしな。

 それにしても随分と若い店長である。歳は俺よりも下くらいだろうか。


 インカさんは興味深そうな表情で店長からおすすめされたブローチを眺めている。

 うーん、会話が聞き取りづらいな……。

 こっそり盗聴器を仕掛けるか? いや、確証がない以上は下手に手出しはできない。

 俺はとりあえず、店員の話を聞きながら様子を伺うことにした。


「お相手の方の髪や肌の色などお伺いしてもよろしいですか?」

「ああ、それなら写真がありますよ」


 俺は朝方適当に撮影したディアナの写真を店員へと見せる。

 アイと一緒に笑いながら食卓に料理を並べているディアナは、必死の形相でベオウルフを追い回している女刑事とは思えない。

 この写真なら優しそうな母親に見えるだろう。


「お子さんがいらっしゃるんですか?」

「ええ、前妻の子供でして……」


 大きな嘘にならない範囲で自分の家族関係をでっち上げながらも、店員と話をしながら調査対象からは目線を切らない。

 探偵業は集中力が大事なのだ。少し目線を切った瞬間に調査対象を見失うなんてよくある話だ。食事などで居場所が固定されない場合は必須である。


 奥さんは一度トイレのために席を外したが、そこまで時間をかけずに戻ってきた。

 そのまま監視を続けていると、ロゼミと奥さんが楽し気に話している様子が引っかかった。

 まるで母親と娘が買い物をしているようにも見える。


 しかし、奥さんはロゼミと繋がりがあるほどの大富豪ではない。一体どのような関係なのだろうか。


 しばらくすると、店の奥から店員が焦った様子で出てきて、奥さんとロゼミの相手をしていた店長であるキルギヌさんに耳打ちする。


「な、何ですって!?」


 キルギヌさんは穏やかな表情から一変、驚愕の表情を浮かべて叫んだ。


「〝慈愛の涙〟が怪盗ベオウルフに盗まれたですって!?」


 キルギヌさんの叫び声によって店内の視線が一気に集中する。

 突然上がった叫び声に怪盗ベオウルフという名前、慈愛の涙という宝石。

 宝石店で発生した有名な怪盗による盗難事件にその場にいた客全員がざわつき始める。


「それは本当ですの?」


 深刻な表情を浮かべたロゼミがキルギヌさんに問いかける。

 無理もない。慈愛の涙は先日ロゼミが怪盗ベオウルフをおびき出す餌として購入しようとしていた名のある宝石だ。

 深紅の輝きを放つ巨大なルビーである慈愛の涙は購入後、クロサイト記念館というクロサイト財閥所有の博物館で来週に展示予定だった。

 どこの宝石店が仕入れたかは情報が伏せられており、ロゼミもまさか盗まれるとは思ってもみなかっただろう。


 それが予告状もなく標的に盗まれた。ロゼミからすれば看過できる事態ではないはずだ。

 まあ、ベオウルフの犯行ではないことはわかるから、警察が来れば直に解決するだろう。


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