第7話 母は強し

 ディアナの調査を引き受けたことで、俺の生活に変化が訪れた。

 婚姻届けはアイの悪ふざけということでディアナが没収したため、籍は入れずに済んだ。


 しかし、ディアナは依頼料の代わりに家事手伝いをすることになり、同居人として生活することになったのだった。

 依頼を引き受けることになった次の日、ブランニュイ市警の寮で暮らしていたディアナは大量のファイルを持って家にやってきた。

 探偵事務所の上の階が俺の家になっているのだが、さすがにそれだけ多くの資料を置く場所はないので全員で手分けしてスキャナーで取り込んでデータ化させてもらった。

 ディアナは整理整頓が得意だったこともあり、散らかった自宅はあっという間に綺麗になった。

 それをアイが整理している最中である。捜査資料を他人がいじってもいいのかと思ったが、ディアナが個人的にまとめていたもののため機密性のあるものは全て寮に置いてきたようだ。


 俺がソファーに座ってその様子を眺めていると、ディアナが隣に腰掛けてくる。

 ディアナの服装はスーツではなく、白のブラウスにデニム地のスカートといったラフな格好だ。


「おい、別に隣に座る必要はないだろ」

「あらら~、バツイチなのに照れてるの?」

「うっせ」


 ディアナが横にいると心が落ち着かない。

 どうやら俺の心安らぐ場所はとうとうハイマだけになってしまったようだ。


「てか、警部が一週間も有給取って現場は大丈夫なのか?」

「元々上からしばらく頭冷やせって言われてたから、ちょうど良かったのよ」


 どこか寂し気な表情を浮かべて、ディアナは資料をデータ化しているアイを眺める。


「現場では厄介者扱いされることも多かったのよ。正直、降格はもう仕方ないと思うわ。キャリア組で降格なんていい笑い者ね」

「別にベオウルフ専任ってわけじゃないだろ。それこそ知能犯捜査係なんだから詐欺とか他の窃盗犯とかだっているんだから、そっちで成果を出せばいいんじゃないか?」

「ただの窃盗犯は三課の仕事よ。詐欺は多いみたいだけど、被害者が名乗り出てこないケースが多くてね」

「ああ、贋作の件か」

「さすが名探偵。よく知ってるわね」


 ニュースでも最近美術品や宝石の贋作、ブランド品の偽物が出回っているという話はよく聞く。

 ベオウルフが有名になる前は、シャノワールという怪盗が盗んだ宝石の偽物が出回り、現在と同じように社会問題となっていた。

 そのせいで当時有名だったマフィアグループ〝イグニス・ファトゥス〟のボスフィアンマ・アッズーロが取引相手に掴まされた偽物を渡して殺されるなど、偽物に人生を狂わされた人間は大勢いた。

 裏社会に限らず、偽物と本物の区別がつかずカモにされる人間は多い。

 そんな節穴なら初めからブランド品なんて買わなきゃいいのにと思ってしまうのは、俺が貧乏性なせいなのだろう。


「俺のとこに依頼がよく来るからな」

「何、あんた鑑定もできるの?」

「簡単な鑑定くらいならな。ちなみにお前の着けてる腕時計、偽物だぞ」

「へー、よくわかったわ……えっ、偽物?」


 ディアナは身に着けていた腕時計をマジマジと見つめる。

 それから、俺の顔をジッと睨みつけてくる。


「……本当に?」

「素人にはわからないだろうが、本物は風防に透かしでブランドのロゴが入ってるんだ」


 時計を外したディアナは驚いたような顔をする。

 目を細めて俺の指摘した通りに風防の透かしを確認すると、がっくりと項垂れた。


「知らなきゃ良かった……お気に入りだったのに」

「真実を知るっていうことは残酷なことでもある。早速勉強になったな」

「ぐぬぅ……」


 俺の言葉にディアナは顔を歪めるとガックリと肩を落として腕時計を見つめる。


「初任給で買ってずっと付けてたんだけど、偽物だったなんて……」

「別に偽物でもいいだろ。何なら本物より頑丈かもしれねぇし」

「そういう問題じゃ……いや、それもそうね。何かバカらしくなってきたわ」


 ディアナは深いため息をつくと、苦笑いを浮かべる。


「はぁ……偽物だらけのこの世の中で、本物なんて価値があるのかしら」


 ブランニュイ市だけでなく、この世にはありとあらゆる偽物が溢れている。

 仮に本物と偽物の区別がつかず、偽物が本物と遜色ない実用性を持っていた場合、その二つは同価値か。


「本物ってのは〝それを本物だと知っている〟から価値が出るんだ。たとえ偽物の価値が本物を超えたとしても、その事実だけで本物は価値がある」


 答えは否だ。

 本物はただ本物であるというだけで価値があるのだ。


「だから、ディアナ。お前はその腕時計を〝初任給で買った思い入れのある時計〟っていう本物として扱えばいいのさ」

「何それ……でも、ありがと。何か元気出たわ」


 俺の適当に考えた励ましの言葉に、ディアナは柔和な笑みを浮かべた。何だ、そういう表情もできるんじゃないか。怒っている顔か刑事の営業スマイルしか見ていなかったから少し新鮮だ。

 しかし、そこでディアナはあることに気がついた。


「って、あんたが偽物だって教えてきたから落ち込んでたのよ! マッチポンプじゃない!」

「探偵の仕事は真実を暴き出すことって言ったろ。アフターケアまでしたんだから感謝しろ」

「ぐぬぅ……やっぱり、あんたのこと嫌いよ!」


 ディアナが俺に殴りかかってきたため、それを軽く受け止める。

 すると、今度は蹴りを入れようとしてきたので、それもまた足の裏でガードしてやった。

 そんな俺達の様子を作業の手を止めたアイが楽しそうに眺めていた。


「パパとママ、仲良いね!」


「「どこが!」」


 俺達が同時に声を上げると、アイはニコニコしながらファイルを持って立ち上がった。


「はい、ママの資料のデータ化終わったよ」

「早っ!」

「さすがアイだな。そのままベオウルフが狙いそうな美術品のリストアップも頼む」

「了解!」


 アイは追加の仕事を要求したというのに、文句一つ言わずに次の仕事に取り掛かった。


「ん? ちょっと待って。アイちゃん、今あたしのことママって呼んだ?」

「うん、だって〝家事手伝いでも母親代わりでも何でもする〟って言ったよね?」

「ほーら、言質与えるからこうなるんだ」


 正直、ありふれた詐欺師よりもアイの方がよっぽど頭の回転が速いし厄介だ。

 頭が良いくせに子供の愛嬌や泣き落としまで駆使してくるのだから、質が悪いったらありゃしない。

 とはいえ、騙される方も騙される方ではある。


「お前、本当に知能犯捜査の警部か?」

「追い打ちかけちゃダメだよパパ。ママは世間じゃポンコツ刑事って呼ばれてるんだから」

「うぅ……どうせあたしはポンコツ刑事よ……」


 ディアナはもう半泣きだった。


「止め刺したのはお前だぞ、アイ」

「最初に刺したのはパパでしょ」

「いや、アイが――」

「ううん、パパが――」


 それから父と娘の醜い責任の擦り付け合いは、いつの間にか復活して食事を作ったディアナによって中断された。

 母は強しってやつだな。いや、結婚してないけど。


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