第2話 Café & Bar HAIMA

 貯金が尽きた。

 原因は娘のワガママのせいだ。

 やれ最新機種のパソコンが欲しいだの、モニターも複数ほしいだの、他にもいろいろ遠慮の欠片もなく片っ端から自分の要求を告げてきた。

 結局、娘に弱い俺は貯金を下ろしてそれらを一括購入することになったのだ。


「はぁ……」

「ライアンさん、ため息なんてついて何かあったんですか?」


 喫茶店で新聞を広げ、コーヒーを飲みながらため息をついていると、ウェイトレスのエリィが心配そうな表情を浮かべていた。

 長い赤毛が揺れ、大きな青い瞳がこちらを覗き込む。それと同時にお菓子のような甘い匂いも漂ってくる。

 そんな彼女に俺はため息の原因について語った。


「エリィ、聞いてくれよー……娘のワガママがすごくてさぁ」

「あー、アイちゃんですか。そういうお年頃なんですから、聞いてあげればいいじゃないですか」


 俺も娘のワガママはできるだけ聞いてやりたい。

 ただ現実問題として金銭には限界というものがあるのだ。


「額が額だからな。ぬいぐるみとかなら喜んで買うんだけどな」

「でも、お仕事で結構稼いでるんじゃないんですか?」

「稼げる仕事だが出ていく分も大きいからな。バーシル街の治安が悪いおかげで商売がなりたってはいるが、経費がバカにならん」

「大変ですねぇ」


 エリィが同情するような声音で言う。

 俺の仕事はなかなか儲かる商売なのだが、いかんせんその収入のほとんどは経費などで消えてしまう。

 それでも食えているだけマシだと思うべきなのだろうが。


「そっちはどうなんだ?」

「私は現在賃金アップ交渉中です」

「……エリィって結構ベテランの方だよな?」

「そうなんですよ! 仕事はどんどんハードになっていくのに、賃金が変わらないなんておかしいと思いません?」

「まったく、やってらんないよな」


 そんなことを言い合いながら俺たちは笑い合う。

 どこの業界も食っていくのには苦労しているものだ。

 特に、世間的にも治安が悪いと言われているオプスキュール王国首都ブランニュイ市の中心部にある〝バーシルストリート〟ではその傾向が顕著だ。

 新聞紙には〝またも贋作師が逮捕! 蔓延る偽物の罠〟〝孤児院アイボリーハウスの闇 消えた政治資金〟〝連続議員殺害事件 犯人はやはり鮮血鬼カーミラか?〟など物騒な事件の見出しが並んでいる。

 中でも一番目を引くのは〝怪盗ベオウルフお手柄! 宝石と共に真実も盗む!〟という見出しだ。


「怪盗ベオウルフがまたお手柄だったみたいですね」

「何がお手柄だ。薄汚いコソ泥だろうが」


 俺は灰色のマントにスーツ、そして血のように真っ赤なシャツを思い出して顔を顰める。

 それから吐き捨てるように言うと、エリィは不満げに頬を膨らませた。


「えー、だって美術品を横領して売りさばいてた美術館の館長の証拠を盗み出して逮捕に協力したじゃないですか」

「どんな理由があろうと怪盗ベオウルフは犯罪者だ。賞賛されるべき存在じゃない」


 そう言って俺は新聞を畳んでコーヒーを飲み干す。いつもならここで会計を済ませて事務所に戻るのだが、今はもう一杯飲みたい気分だった。

 エリィに視線を向けると彼女は察したのかすぐに席を離れてカウンターへと向かっていく。

 彼女は本当に俺のことをよく理解している。心まで通じ合っていると言っても過言ではないだろう。


「コーヒーのおかわり、お持ちしました!」

「ああ、ありがとな」

「じゃあ、今度私にぬいぐるみを買ってくれるってことで」

「おう、いいぞ!…………ん? いや待て、なんで俺がエリィにぬいぐるみを買うことになってるんだ?」


 反射的に了承してしまったが、よくよく考えると会話の流れがおかしい。

 するとエリィは悪戯っぽい笑みを浮かべてみせた。

 彼女の鮮やかな赤い髪が揺れ、青い瞳がこちらを見つめてくる。

 そして、一言。


「だって私とライアンさんの仲じゃないですか」

「ったく、しょうがねぇな」


 その一言を言われては仕方がない。

 なんだかんだとエリィとは長い付き合いだ。

 今の仕事を始めてからエリィの務める喫茶店〝Café & Bar HAIMAハイマ〟には、毎朝通ってコーヒーを飲みながら新聞を読むのが日課になっている。

 俺にとってエリィと過ごす朝は癒しのひと時と言っても過言ではない。

 そんな彼女のおねだりならば安いものだ。


「じゃあ、いつまでもおしゃべりしてると怒られちゃうので」

「おう、頑張れよ」


 段々と店内に客が入り始めたことで、エリィは仕事へと戻っていく。

 それと同時に、店の扉が開かれた音が聞こえてきた。


 入店してきた客は女性のようだ。

 その女性は店内を見渡し、こちらへと視線を向ける。

 そして迷わず真っ直ぐに俺の方へ歩み寄ってきた。

 目の前まで来た彼女は凛とした雰囲気の女性だった。

 銀髪碧眼でポニーテールがよく似合う美人。

 皺ひとつないスーツに身を包んだ彼女は俺の前に立つと告げた。


「私立探偵ライアン・スローンさんでお間違いないですか」

「そちらさんは?」

「私はブランニュイ市警の知能犯捜査係所属ディアナ・モンドと申します」


 警察手帳を取り出しながらディアナは自己紹介をする。そこには〝警部〟の文字。

 俺はため息をつき、新聞をテーブルに置いた。

 こんな朝早くから厄介ごとに巻き込まれる予感がして俺はゲンナリとした気分になった。

 それでも面倒臭そうな顔をするわけにもいかないので、営業スマイルで応じることにした。

 それを見たディアナは満足げに微笑む。どうやら、お気に召したらしい。

 ディアナは言葉を続ける。


「本題に入る前に一つだけ確認したいことがありまして」

「なんだ?」

「あなたは以前、怪盗ベオウルフと接触しましたよね?」

「冗談はよしてくれ」

「冗談でベオウルフの事件の担当刑事がわざわざあなたの元に来ると思いますか?」


 その口調は事務的でありながらもどこか威圧感があった。

 まるで俺のことを試しているかのようだ。

 そんな彼女に対して、さっさと話を進めてくれと言わんばかりに肩を竦めめる。


「思わないな」


 するとディアナは少し意外そうな表情を見せた後、小さく咳払いをして口を開いた。


「単刀直入に言うわ。怪盗ベオウルフの事件に協力してくれないかしら?」


 その声音には先ほどまでの緊張感はなく、普段通りの淡々としたものに戻っている。

 どうやら、俺の反応を見て判断したようだ。


「協力しろと言われてもな。そもそも、どうして俺なんかに頼むんだ?」


 確かに俺は私立探偵として腕に自信はある。

 警察や弁護士からの依頼も熟したことだってある。

 それでも頻度は高くなく、俺にとってはたまに降って湧いた大口の依頼という認識だ。

 世間的にも大人気の怪盗ベオウルフを捕まえるための調査協力依頼。

 どうして自分にそこまでの大口の依頼が回ってきたのか理解できなかったのだ。

 そんな俺にディアナはまるでミステリー小説の名探偵のように告げた。


「あなたが巷で噂の怪盗ベオウルフを追い詰めた謎の名探偵なんでしょ」


 俺は思わず苦笑いを浮かべてしまう。

 一体どこから出た情報なのか知らないが、妙な伝わり方をしたものだ。


「さてな」


 俺は曖昧に笑って誤魔化すとディアナに告げる。


「この喫茶店の上にうちの探偵事務所がある。話はそこで聞くよ」

「助かるわ。それじゃ――」

「ライアンさん。コーヒーのおかわり、もう一杯いりますよね?」

「っと、話はコーヒーのおかわりを飲み終わってからでもいいか?」

「ええ、もちろんよ」


 朗らかに笑うと、ディアナは俺がコーヒーを飲み終わるまで律義に待っていてくれた。

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