第3話 ベストフレンド

それからの事はよく覚えていない。


ただ気づけば僕は服を着て、鈴鹿に服を貸して、そうして玄関の外へと脚を飛び出させた。


玄関に置いておいたびしょ濡れの学校カバンを背中に引っ提げ、顔を見せないまま親友は言う。


「……また…ね…」


多分その言葉は、明日からの関係が崩れないようにするための、鈴鹿の優しさなんだろう。


僕はそう言う気遣いのできる優しさが鈴鹿のいい所だと思っていたし、好きだった。


でもやっぱり、思い出の中にあるだけで、今の僕には持ち合わせていない気持ちだった。


きっとそういうのも含めて僕の部屋に全部残っている。


それは今日の事も。

僕が親友という言葉に取り憑かれたあの日からの僕の残像も。

一個しか使わなかった開封したゴムの箱も。

何も満たされないままゴミ箱に捨てられたそれも。

何も無いまま終わったあの空気感も。



もし、何か動き出すのだとすれば、それはきっとあそこから始まる。



僕は2度目の風呂から上がり、そしてあるものの存在に気づく。


(忘れてる…)


明らかに僕に意識をさせるために置かれていたブラとショーツ。


香りが、まだ、いい。


時間が経っているのにとても不思議だ。


そして思い出す、あの瞬間の匂いを。

空気感を。

甘ったるさを。


(僕は…)


好き、とは何なのだろうか。

昔、確かに僕は彼女の事が好きだった。

それは間違いなくて、しっかりこの胸に刻まれている。


でも今はもうその刻み込んだ瞬間の温度は忘れている。しっかりと思い出せないほどに落ち着いていて不明瞭。



たった一年で、変わってしまった思い。



なら、もしかしたらまたこの一年で変わってしまうのかもしれない。


もし、変わるのだとしたらそれはどんな風になのだろうか。親友という文字が消え、画数も変わり、恋の人に変化するのだろうか。


今は漠然とそんな事に発展するとは思えない。

けど、昔の自分が今の僕達の関係を想像し得たかと言えば全然そんな事はない。


だから、何か変わる事があるのを否定しない。


(僕は…鈴鹿と…)


でもそれは、その分岐点は、刻一刻と迫っていると思う。そしてその分岐点の締切は今日。



鈴鹿に向けられた好意。



僕はそれ自体は真摯に受け止めるつもりだったし、嬉しかった。そこに思いがないだけで受け止める事は容易かった。それだけ、拒絶感はなかったという事。


でも、鈴鹿にとって今日の出来事は僕からの拒絶を突きつけられた、そんな日なんだろう。


それは、おそらく、あの日、親友を突きつけられた僕と同じ心境、なんだと思う。

それを思うと、僕は心が痛んだ。


(でも、鈴鹿が悪い……)


それを否定する奴はいない。

いや、僕はそれを絶対に聞き入れない。

そこは頑なにして守り抜く。

そんな所存だ。


ただ、それと同時にあの時の苦しみを。

たった人生の1ページ。

たった1ヶ月だけの苦悩。

それでも人生の端から端まで駆け上がっていくような壮絶で壮大な絶望感を。



僕は思い出す。



それを、僕は親友に十全と味わって欲しいかと言えば、いくら事の張本人だと言えど、受け入れられなかった。


僕は台所の引き棚に突っ込んであるビニール袋の中からなるべく透けていない袋を取って脱衣所に向かう。

持ち上げたブラは重たくて、冷たくて。

震えているようにも感じた。



いや。

この震えは僕のものだ。



でも、それを堪えて袋に詰める。

詰めて、私服に合わせるためのバッグにそれを入れる。部屋に置いてあるゴムの箱もまた、そこに詰め込んだ。



これは優しさなのだろうか。



心からの親友としての、相手を大切にしたいという思いからなのだろうか。


ならこの大切にしたいという思いは、好きとは…違うのだろうか。


親友というのは、どこまでの事を指すのだろうか。


僕なりに見つけた答えは、あの頃からあった。


それは単純に、相手の好意を期待しているかどうか、と言う話。


好意を向けて欲しい、向けられて嬉しい、自分だけに向けて欲しい。



消化欲求、承認欲求、独占欲。



これら恋にまつわる事象をまとめて表せる事象はこれしかないと考えている。

それは親友を突きつけられたあの日があってこそたどり着いた思考。



そして親友という立場から見た時、そうした欲求が非常に平坦な事に気づいてしまった。



この持論は一生覆せないと強く思っている。



僕は今、傘を差した。

靴は長靴を履いている。

台所に行ったついでに500mlの天然水を2本、バッグに入れてある。



チャプンと踏み出す第一歩。



もし、何か動き出すならあの部屋からだろう。

けど、良くも悪くも何か動きが起きるのは、何かが一度動かないと起きないものだとも知っている。


それは親友の言葉を向けられたあの日から知り得た感情が教訓となっている。



ぴちゃんと雨水を弾く2歩目。




僕はこの親友という関係の変化を求めていなかった。

けれど、今日それは鈴鹿の気持ちが押し動かしてしまった。


だからもう、動き始めている。



3歩目4歩目5歩目6歩目。



僕は恐れている。

親友という、今まで携え、垂らしてきた時間と空間がついぞ本当になくなってしまいそうで。



結局、親友という関係が一番落ち着けて居心地がいい。



…もしかしたらこの気持ちを、鈴鹿は真っ先に感じていたのかもしれない。だから、僕の気持ちもつゆ知れず、ただ一言あぁ言ってきた。


そう言うことを考え始めると、とてもすれ違い続けた関係なんじゃないかと思い知らされ始める。



交互に知る。

お互いが見ていた景色。



僕はじゃあ多分、この動き出した流れにちゃんと突き動かされないと、次は僕が鈴鹿にとっての「悪い人間」になってしまう。


それは恐らく親友という関係を最も容易く砕いてしまう材料になるんだろう。



僕は親友の関係が崩れることを恐れている。



だからそう。

今からしようとする事はとても打算的で、自分の為で、鈴鹿の為なんかじゃない。



会って、話して、ちゃんと向き合って、鈴鹿の歩みに脚をそろえようと僕は考えている。



そこに好きと言う恋愛感情は並んでいない。

あるのは親友という言葉に取り憑かれた僕の姿だけ。


でも、たった一年で変わった気持ち。

これからもまた変わっていくのだろう。


そんな期待を込めて、僕は親友との関係維持のために家を訪ねる。


インターホンを鳴らせば、何とか我慢してきたという風で。


真っ赤な目元を引っ提げた鈴鹿がドアを開けてくれた。そうして僕を一瞥した鈴鹿は無言でドアを閉じようとする。


「ちょ、ちょちょちょ、ごめ待って、話がしたいんだ。お願い、入れて」

「……」

「それに、ブラとか忘れてるだろ。それ、届けに来たから」

「……それだけ渡して帰ればいいじゃん…」

「いやだから話したいんだって。…お願い、濡れたくないから家に入れて」


あまり近所迷惑にならないように小声で追い縋っていると、少しして鈴鹿は玄関の様子を広々と見せてくれた。


「……お風呂…入る…?」


鈴鹿の家へ脚を踏みいれる。


「流石に3回目はもういいよ…」


やっぱりこうして普通に話すだけでとても楽しい気持ちになるし、だからこそこの関係を僕は壊したくないと強く思う。


そしてまだ僕の心に好きという気持ちが顔を出していない。


でも、これからする事は親友としてのものじゃない。

それを不純と言うのかは、この際はっきり言ってどうでもいい。


ただ、僕達は、少なくとも、今までの平行線に揺らぎを起こした。


それはとても小さなうねりで。


それがどう僕の心に作用するのか。

まだどちらかと言えばフラットな心持ちの僕には未知の世界だ。



そしてその世界を理解するまで、僕に取っては単なる親友との付き合いでしかない。



そう。



だから、まだ、僕達はベストフレンドなんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

だから、まだ、僕達はベストフレンド 鍵ネコ @urara123

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ