第2話 親友の呪縛
僕はそんな親友が気がかりで、シャンプーやリンスもせず風呂を上がった。
そんな時、目に映った物。
脱衣所には紫色の妖艶なブラジャーとショーツ。
意匠も凝っていて、タダならぬエロスがそこに鎮座している。
雨に塗れて、匂いが強い。
女の子はどうもいい匂いのする生き物みたいだ。
そしてこれがフェロモンと言うやつで、僕は生物学上オスだからこの香水よりも良い香りに酔えてしまうのだろう。
ブラのカップは一般的に言えば大きくない。
けど別に僕は思う。
胸なんてどうでも良くないかなって。
そもそも胸が大きすぎる事に嫌悪感すら僕は抱いている。
それもこれも、中学生の頃。
ネットにあった違法エロ漫画サイトを読み漁っていた時に出てきた女性の体が6割7割方巨乳やら奇乳やらだったせいだろう。
現実離れしたエロはとても、不快だった。
だから僕は余計にそのブラをエロいモノだと認識して、見つめていた。
棚に取り敢えずと置かれたブラ。
フック付きの紐は棚の外へと垂れている。
重力に抑え付けられ、直角に落ちているその軌跡すら、エロかった。
少し、僕の呼吸に熱気が纏うようになっていた。
少し、呼吸が深い。
少し、呼吸量が多い。
少し、吐き出す息の量も多い。
今まで僕は親友を女として見ていなかった。
それは別に何かがきっかけだったとかじゃない。
寧ろ逆だ。
何もキッカケがなかったから、僕は親友という造形を平行線の真上に置いていた。
それはあの時からそうなっていくはずだった。
でもそれは今、今日、この時、うねった。
その手応えを、自身の胸の動悸で感じ取った。
親友はきっと待っている。
鈍感な人間でもここまでされれば察しもつく。
でも、そこへ向かわせる足取りは重い。
親友が待ってくれているのであろう自室。
そこへいく為には階段を登らなくちゃいけない。
なのに一段一段ヤケに重たくて、この日ばかりは重力を恨んだ。
この家の手すりを生まれて初めて握り、僕は登る。
登って、脚を上げて、足を置いて。
またそれを繰り返して。
そうやって何とかついた僕の呼吸はとても荒い。
荒かった。すごく。
それは運動後の荒さではない。
僕はきっとちゃんと、オスなんだ。
割れてない腹筋。
ガタイがいいわけでもない。
中肉中背。
顔も特別良くはない。
逆を言えば悪くもないのが僕の良いところ。
脚は女性よりかは太くて、運動している男性よりかは細い。
肌もどちらかと言えば白くて、不健康的。
別に栄養が足りていないわけではない。
母親は栄養調理師で、献立の栄養は寧ろ一般家庭よりも高い…はず。
これは、そう。
ただひたすら、僕が積み上げてきた僕のスペック。
ただの、等身大の僕の解像度と設定集。
『遅いよ……。ちょっと…寒かった』
裸で、体育座りで、そして僕の布団を背中からかけて、ベッドの上からこっちを見つめる親友の姿。
胸が、ひどく疼く。
息が、うるさい。
『ごめん、なんか飲み物ないかなって冷蔵庫漁ってた』
『えー…ひどーい』
『……水。…あった方がいいから。こう言う時』
『………そ』
冷蔵庫なんて全く漁ってない。
僕はきっと初めて親友に嘘をついた。
ついた事のない嘘を吐いて、僕の心は少し黒く染まった気がした。
ベッドに自分も腰掛けると、少したゆんとベッドが揺らぐだけ。ギシッなんて音、全くしない。
とても静かで。
とても、いつも通り。
『布団、入る…?』
『僕の布団なんだけど』
『今は私が所有者です』
『……』
ムフンとしたり顔を浮かべる親友。
それはいつもの顔で、この時だけは何と言うかいつも通りの様子のままだった。
でも、この瞬間、僕だけが変だった。
全く意識していなかった身体。
その曲線美。
ミディアムボブの綺麗な黒髪。
それは風呂上がりだからか艶やかで、どこか湿っていて。そう言えば彼女は美容室でトリートメントしていると言っていた。そりゃあ、綺麗なわけで。
美容も気を遣っていると言っていた。
多少のニキビの赤みはあるがとても綺麗な肌。
彼女が纏っている香りは細工なんてされていない、生の香り。ちょっとウチのリンスの匂いが強く感じるが、やはりその匂いの中には彼女の成分が多分に含まれている。
僕が何も言わないままソッと親友の手を握ってみれば。
『少し汗ばんでるんだけど』
なんて指摘を突きつけられる。
『鈴鹿のは、冷たい』
『冷え性なので。それにこの時期からはもってこいでしょ』
えいっと首筋に当てられる細い指。
やっぱりそれは冷たくて。
『………震えてるね』
ここでもそれは震えていた。
『……そりゃ…ね。私だって…人間ですもの』
『…知ってる。エビが苦手なのにエビの天ぷらとか伊勢海老は食べられる所とか多分宇宙人でもいない』
『だ、だって…美味しくないもん…』
『…好き嫌いは仕方ないよ』
僕は荒い呼吸を悟られないように息を止めたり言葉を紡ぐ事でなんとかしようとしたが、頬を赤らめる彼女はきっと、それにずっと、気づいている。
『…ねぇ鈴鹿』
ギュッと手を握ると、それは同じくらいの強さで返ってくる。
『なに…』
その声はとても甘えているような声だ。
きっと、それもきっと僕の雰囲気を感じ取ってのことだ。
僕は初めてメスの声というものを聞いた。
文学的には甘ったるい声とかなんだとか言われるけれど、それは間違っていた事を僕は思い知らされている。これは、心の底を掬い上げねっとりとまとわりついてくるような音色だ。
言葉じゃない。
感触が全てだ。
もっと細部まで表現しようとすれば、それは間違いなく今の日本語では語り切れない程に緻密で凝縮された感触。もはや本能的な感受性。
いや、これが正しい。
僕も鈴鹿も、ちゃんとオスとメスだ。
だから誘い誘われ、興奮し、拒めていない。
高鳴る鼓動なんて浅い言葉。
今の僕の心臓は寧ろ落ち着いている。
ゆっくりとした心臓の音。
僕は僕の布団だと主張するように奪い去り、鈴鹿を押し倒す。
僕達は高校2年生。
2年生にもなれば発育もほぼ頭打ちに差し掛かる。特に男女の身体は顕著で、こうして覆い被さると痛感させられる。
自身の1年での成長。
出会った高校の1年次。
当初は僕達は同じ身長で…いや、僕の方が身長が少し小さくて、鈴鹿によくからかわれていた。
そう言えばその頃からこの子はスキンシップが多かった。
それは僕だけにじゃなく、女の子にも男の子にも。
それをみて始めは……そうだ。
僕は嫉妬紛いの感情を持ち合わせていた。
けれどいつしかその感情は落ち着きを見せて、平行的に進んで行った。
その気持ちの変遷は1年。
人間の気持ちの流動性というのはとても高い。
ただ、僕達の関係は固体のようなものだった。
それは、出会ってから暫くした後からずっと。
でも、今それは動き出そうとしてる。
僕は自分よりも10センチ身長の低い鈴鹿に手をかけている。頬に指を添えると鈴鹿は恥ずかしそうに目を背ける。紅潮した顔をとてもとても愛おしく感じて。
想起する。
昔の気持ちが。
それと同時に再起した。
今の僕が抱き抱えている重たい気持ちが。
『ゴム…買ってるんだよね』
鈴鹿に声をかけると、沈黙が続いた。
『………』
何も言わないがわかっている。
ここまでやって無策なわけが無い。
きっと今日、彼女は初めから僕の家でするつもりだった。そのはずだ。
『…ん"……』
とても小さく鈴鹿は唸る。
唸って、掠れた声を出す。
とても恥ずかしそうで、とても可愛らしく。
そうして僕の胸に突き当てられる長方形の箱。
ビニールは剥がされていた。
ずっと握られていたんだろうけど、その黒い箱は冷たかった。
『なにがいい…とか、やっぱ調べても…良く、わかんなかった』
『それで蝶々の奴を選んだんだ』
『……可愛いから、ゴムも可愛いのかなって…』
『可愛さ、いるの』
『………』
彼女はもう知らないと言った風に顔を背けた。
そうして感じる強い色気。
僕達はキスをした。
それは僕達の関係上初めての事で、初めての事だけど別にド下手なんてことはなかった。
結局どっちも過去に経験があった。
でも、そんな事どうでも良い。
長く、エロいその空気を僕は入念に味わって。
途中途中でわざとらしく抱きしめる腕に力を込めて興奮度合いを表現して、興奮してもらえるように促していく。
そうして色々として、時間はどっぷり過ぎていって、いつの間にか聞こえなくなっていた窓を叩く雨音が突然、耳に届いた。
それは本当に直前での事。
僕は興奮していながらも、とても冷静だった。
心臓ももうずっとその調子で、多分それは何処か引っ掛かりがあったから。
僕達は親友だ。
そもそも親友という言葉を投げかけてきたのは鈴鹿だった。高校1年の二学期あたり、突然といつもつるんでいた女子グループの中に放り込まれ、頭をワシワシされながら告げられた言葉。
僕はあの時、表に出さなかったがとても傷ついていた。
でも、今はその親友という言葉を好きでいる。
それは、多分、僕の心の波の一切がそれに押し潰されてしまったから。
そうして残った親友という言葉だけを、ただ見つめていたからなんだろう。
親友という言葉がずっと頭に残って、始めは食欲がなくなって、次に親友という言葉をスマホで調べて、次に知恵袋で似たような話を求めて探し回った。
でもひと月もしたら流石に心に余裕が出始めて、いつしか親友の文字を分解して楽しむまでになった。
そう。
僕がきっとここまで「親友」というひっかかりに脚をつまづかせているのは。
親友という言葉に固執して平行的な関係を作らせていたのは。
まごう事なき、君のせいなんだ。
『裕二…大好き……』
けど。
僕は。
もう君の事を、好きじゃ無い。
だから、思う。
遅いと。
何で今なんだと。
強く、思う。
『ゆう……じ…?』
タポタポと、鈴鹿の柔らかなお腹に涙が落ちる。
込み上げ、競り上がる苦しさに蓋をしようとしているのに、勝手に目からそれは落ちていく。
『もう…おせぇよ……』
僕の身体は確かにオスで、鈴鹿の事をメスとして見ていられるほどに正常だった。
けど、それを覆い照らすのは、僕の心だった。
親友として築いてきた幸せを、楽しさを、それらを思い返す僕の心の悲鳴。
『僕は…もぅ、とっくの前に諦めて……』
『………』
『だから…もう、親友で良かったのにっ…』
この場で絶対言うべきでは無い言葉を、僕は置いてしまった。
その言葉を聞いて、鈴鹿は……どんな顔をしていたのだろうか。わからない。
潤んだ視界が、見せてくれない。
そうしてここに残ったのは、香りと、思いと。
…いや、僕達の全部だ。
今日ここで調和し、発散されるはずだったそれらが。
全部、この部屋に放置されてしまった。
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