第18話「熊男」とお茶を③


 お婆さんは職人である。ひとつのことをやり遂げて旅立った人だった。

 星の話もあんまりしない人だったが、いつも北の空を見上げていた。

 竹を使って籠を編んでいく、来る日も来る日も作り続けている人だった。


 ばあちゃんは、黙って手先を魔術師みたいに動かし、静かに生み出していく仕事をする人だった。その姿を男は長い間ずっと近くで見続けていたことを思い出していた。


「なんや、熊男、短気は損気なんやぞ」


「えっ、なんや、急に」


「皆はお前のことおとなしい人や言うて見とる人が多いけど、いやぁ、いい人なんじゃ無くて、ね、この子は押し黙るクセがあってねえ。いいクセとは言えん」

 お婆さんは七色の方に向って話し始めた。七色は頷きながらそれを聞いている。


「小学校の時も中学校の時もそうや。この子はちゃんと喋らんから誤解されて終わるっていうことが時々あったんやけど。それが悪気が無いのに悪気があるような話になってたり、よくよく状況を聞いてみると、相手の方が悪い場合さえあってなあ。それでもこの子はちーんと黙っとってんねぇ。学校の先生も困っとった。間違えるところだったって言うさけ、なぁ」


「うるさいなぁ、もういいやんか、そんな前のこと…」


「何言うとるんや。前の話じゃ無いわね。現在いまの話やわね」


「…、ったく、もう」

 熊男は短髪の頭をかきむしり、困ったようだった。


「この子は小学校の頃から身体が大きくて頑丈やったから、同じ年の子と並ぶと学年違いに思われる様な子でねぇ。黙ってぶすっとしとる。ぱっと見たらそりゃ怖いわね。相手が悪さしたりちょっかい出すと最初はおとなしいけど、なんかの拍子に吠えるんやわ。話すんじゃ無くて吠える。言葉もうまいことよう言わんから、わぁとかうぉとか声を出して一歩前に出る。で、そこにいた子はそれ見てきゃー言うて逃げ出す。面白いんだか、本当に怖かったんだかわからんけど、でも、それこそ熊でしょ。いつのまにか熊男なんてあだ名まで付けられて、それでいいって本人もそう言うて…ずっとそれから熊男なんやわ」


「もう、ええよ、そんな話…」


(あ、違うお名前なんですね。本名かとばかり…)

 咄嗟に七色は口元に手を当てて、お婆さんの顔と男の顔の両方を交互に見て話を聞いていた。


「七色さん聞いてください。こんな大きな図体しとって、この子は中身はちいちゃいこのまんまなんやわ。この子の母親は早くに病で逝ってしもうて、婆さんのとこで育ったんや。この子のお父さんは仕事仕事の人で時間も無くて、構ってもらうことも少なくて、まぁ、ずーっと寂しい思いばっかりしとったんや。可哀相やった…」


「そんなこと無いって」


「婆ちゃんは、親のようにはしてやれんかったしなぁ。」


「だから、大丈夫やって…」


「婆ちゃんに出来るこというたら、これやろ」

 そう言うと、お婆さんはお茶腕の下にある竹編み細工の茶托を持ち上げて触った。


「これしかないんやわ」

「ああ…」

「こればっかりやった…なぁ」

「ああ」

「もうちょっとしてやれることあったんかもしれん」

「いや」

「あぁ?」

「ないよ」

「ん…なんやぁ?」

「い、やぁ、そうじゃなくて、普通の家みたいなのはいらんよ、いらん、いらんかった、って」

「でもずうっと仕事ばっかりで、どこにも連れて行ってやれんかったやろ、作ろうとせんかった。お前のお父さんもそうやったけど、婆ちゃんも年中仕事ばーっかりや、毎日毎日、なぁ、そうやったやろ」


「知っとる…ずっと見とった」


「母親にはなれんけど、婆ちゃんに出来ることは、婆ちゃんの仕事を見せることやと思ったんや。そやけど、どうも…足りんかったかいね? 見とると、くまおは考え違いばっかりで、そのうち気が付くかなぁって見とったけど、これがなかなか。誰に似たんか頑固で頑固で…」



 朝から晩までお婆さんの作る竹細工の側に熊男は居た。手伝いとか実際の作ったものが手を離れるまでの間のことは色々あるが、それら全てをお婆さんの元に細工を習いに来ていた数人の人たちが手分けして担当していたのを覚えている。


 お婆さんも長い間一人でやって来ていた人だった。

 早くに夫を亡くし、女手一つで子供を育てた。その子はお婆さんの後を継ぐことは無く、東京という大きな街に出て会社という組織の一員として働いていた。責任がある、忙しい、ということで、ここに帰って来ることは元から少なく、年末年始やお盆の頃程度だったように記憶している。


 熊男は同世代の子たちが高校、大学へと進学していく中で、多くの皆と同じでは無い感覚を横に置くことが出来なかった。それは父親に東京に出てこないかという誘いがあったことでよりハッキリとしてしまった。


 結果的に実の父親との縁も薄く、熊男は田舎に残ることを選んで、ちょっと町から離れた山の麓にある工房兼住まいであるお婆さんの元にいた。

 地元の普通高校はかろうじて出たが、その先には進まなかった。住み慣れた場所で、山や森の近くで、古くから町にある知り合いの建材屋に世話になり、人とは直接関わることの少ない環境で仕事をしていた。毎日軽トラに木材を乗せては運ぶような仕事をしていた。


 そんな生活の中で、仕事を終えて帰ってきてから寝るまでの時間、熊男は毎日毎日変わらず作り続けているお婆さんの手元をじっと見ている日常を送っていた。


(空中でくるくる手が動く度に何か生まれるんやわ)


 何度見ていても「すごいっ」そう熊男は思っていた。

「竹がそこにあるだけやと、竹は竹やけど、ばあちゃんの手にかかると綺麗な輪っかやらいっぱい出来て、模様が出来てくるんや。それは花のような、花火のようなのもあれば、きっちり編み込んだいろんなサイズの籠やら、次から次へといろんな形のものが出てくるんや。それが面白くて、わくわくしとった」


 熊男はばあちゃんにその頃には言えなかったであろうことを話していた。


「ちょっと作っとったやろ、熊男も」


「ああ、ちょっとな、ほんのちょっとや」

 そう言って、違うと言わんばかりに手を横に数回振った。


「黙って今の仕事だけできてればいい、大丈夫だって考えは改めんといかん。挨拶、挨拶しまっし。それ以上に、丁寧に丁寧に仕事の手先は大事にしまっし。たくさん見てきたことがあるんやから大丈夫や。思い出せるはずや」


 熊男はいつまでも閉じた姿勢のまま、煮え切らない態度でお婆さんの話を聞いていた。


「はああっつ」

 突然お婆さんが思い切ったように、大きなため息をついた。


「近所の子にまたいじめられたんやろ」

「…あ、なんで知っとるん…あれは、小学生やぞ」

「小学生でも、口は付いとる」

「…」

「嘘も付く」

「…」

「黙っとったらわからんままのこともあるやろ。ただでさえ誤解されて、そのままずっと熊男のせいになったままっていうこともある」

「…ええんや」

「なんでや。あっちこっちの畑に悪さしたんも熊男じゃないやろが。ちょうど出くわして見とったんやろ」

「めんどくさい」

「は?」

「どうでもいいんや」

「どうでも…って」

「ええんやって、もう」


 熊男が偶然見つけた小学生の悪さに声をかけようとした時に、その男の子が声をあげて走り去ったのだという話を七色に説明していた。

「熊男がやったんやーって、大声あげながら何度もそう言いながら走ってったんやわ。熊男に見つかって怖かったんやろうねぇ、たぶん」


「……。もうええってば」


「呆れた。この子は、もう」


 お婆さんは七色の方を向いて、首をすくめてそう言った。



 

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