七色書房 その始まり ~七色書房の七色処方~

PRIZM

第1話 七色書房のはじまり

 七色書房は、例えばどこにでもありそうな山と街との間にある、あるいは星々と地球との間の何処かにある、どうも本屋らしいところ。ご縁した人に特別な物語の案内をしているが、読むための本はどこにも無い。それでも、ここは書房、と名乗っている。


 七色書房の店主は、「七(なな)さん」「七色(なないろ)さん」と呼ばれていることが多いが、本当の名前を知る人はいない。おそらくは女性だが、いや、例えば女性のような見え方をしている人(存在)、と言った方がよさそうだ。

 なぜかって、会う人によって「頼れる男の人みたいだったような気がする」と言う人もいるし「まるで無邪気でおしゃまな子供みたいだった」と言う人もいて、その印象が皆それぞれ違っているのだから。時には「お婆さんみたいだったんじゃないかしら」という人まで出てくるし、「元気で声が大きい」「おとなしくてもの静かな人だった」という人もいるのだから。その見え方には様々あるようで、どれでもあってどれでもない、ということがここでは起きているのだ。


 一体いつからここに七色書房はあるのだろうか? 

 

 いつからあるのか、いつまであるのか、それはここを訪れる誰もが知らない。七色が何者なのか、本当はどのような姿なのか、それもまた明らかにはなっていない。ただ確かなのは、どうも世界というのはもっともっと広がっているということ。見える世界、ものの世界としての日常、そしてそれらは全てでは無くて大きなものの一部である、ということだろう。


七色書房に行ったことがある、という人は、こう言う。


「ずうっとあるような気もするし、最近出来たような気もして。いつも行っていた気もするし、初めて行くような気もします。なぜかしら?」

「懐かしいような気がする場所だよ。ずっとあったんじゃないの?」

「お茶がとっても美味しいの。新しく出来たカフェでしょ?」

「きっとまた行くことが出来ると思うんだ。待っててくれてる、ずっと、今までも、これからも…」

「いつも私だけの特別な場所、他には誰もいない…忘れたくない時間なのに忘れちゃうんです」


とある地球のとある大地に広がっている様々な街の住人達と、太陽系と、さらにそれより外側に広がっていく宇宙に生きる遠くの星々の生命体達と。様々な旅の途中の存在たちがここに立ち寄る、七色書房はそういう場所。ここに来て緩やかなお茶の時間を一緒に過ごし、またそれぞれの当たり前の日常へと帰っていく。人生の時間からするとそれはほんの少しの間。訪れる人は、忘れていたことを思い出したり、探していた宝物を見つけたりしていくが、書房に来たことを忘れていくことも多い。


 そろそろ本日何人か目の人が帰っていく時間のようだ。


「ずいぶんと長い間、私を待っていてくれたのかしら…思い出せて、よかった」

 今日初めて訪れたという六十代程に見えるご婦人はそう言った。

「そうですね」

 胸にそっと押し当てた一冊の本とその両手を重ねて、少し上気した顔で微笑んで、節目を作るかのように一回こくりと頷いてから立ち上がったご婦人を七色は見ていた。もう迷いは無いらしい。


「この桜の匂いがそうさせたのよ。お茶、とても美味しかったわ」


 ご婦人は、満足そうに店主の七色にひと声かけて、後は振り返ること無く扉を開けて足早に店の外へと出て行った。七色は急いで後を追い、閉まりそうな扉に慌てて手を伸ばし外に出る。


 からん、ころんからん


 音を立てながら背後で扉が締まる。ご婦人は日常が待っているであろう街の方へと向って歩いて行く。その後ろ姿は、七色書房で先ほどまでご婦人が一緒に居た十代の学生服の少女と同じように見えた。


「いってらっしゃいませ。いつでもまたお待ちしております」

 七色は帰って行くその背中が見えなくなるまで、砂を踏んで歩く靴音が小さくなっていき、聞こえなくなるまで見送っていた。

「どうぞ、昼の地球で良い旅を」


(そろそろ次の方がいらっしゃるようですね)

 何か音が聞こえたわけでは無いが、七色は次の準備に入らねばと店の中へと戻って行った。七色書房を訪れる、その人だけの今日の特別なお茶の準備へと移った。



 ___________________



 それは地球という星。広い宇宙の多くの星々の中にあって、そのひとつの太陽系の中に存在している「感情」というものを体験する極めてめずらしい星。これは地球の地上にある、とある場所の森と街のその境目に静かに存在している、あるいは地球と遠い星々との間の何処かに存在しているという「七色書房」でのお話。本当に本の置いていない本屋なのか、森の中にあるあまり人が来ないようなカフェなのか、まあ、それもまた違っているのかもしれない。全ては仮の姿のようであり、どう見えていようともその奥にはまだ見ぬ何かが凛として存在している。


「いらっしゃいませ。ようこそ」

「当店では、本はお求めいただけませんが…、あなただけの特別な物語をご案内させていただきます」


 店主は、七(なな)さんとか七色(なないろ)さんと呼ばれているが、誰も本当の名前を知る人はいない。ここに来たら居る間に聞こうと毎回思うのだけれど、ここに来てしまうとついそれを忘れて、忘れたまま日常へといつの間にか帰ってしまう。


 店主は、この書房を訪れる様々な人たちとしばらくの時間を一緒に過ごす。

 そこで起きるのは、訪れた人の中にひっそりと沈んでいる過去の記憶と感情との出会いの物語。

 それは時と場所を超えて起きる解放。 森と街、あるいは遠い星々と地球との繋がりを持つというこの七色書房で、それぞれの過去の物語が起き上がり、星々の働きや色彩の力は時々にその人を導く。忘れていたことを思い出すような、何かを取り戻すような、ここではそんなことが静かに起き続けている。


 店主の案内によって体験することになる、あなただけの時と場所を越えた物語との出会いそして解放の旅。

 これは、そんな七色書房での七色による、折々のお話。


(あなたとの出会いの瞬間を物語が今日も待っています)


「七色書房へようこそ。どうぞゆっくりお過ごし下さいませ」

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