白黒の世界、カラフルな世界
千石綾子
思い出のピンク
「だから駄目だって言ったでしょう」
母の声には落胆の色が浮かんでいる。私は涙をこらえてじっとその小さな生きものを見つめた。
こたつの上には小さいホットカーペット。その上にうずくまっているのは小さなピンクのひよこだ。
兄はこたつに入って、膝の上に黒猫のナナをのせている。ナナは眠っているようだったが、時折目を開けてピンクのひよこを見つめた。その黄色い瞳は獲物を見る目ではなく、どことなく心配そうにも見てとれた。
「だって……」
私は反論することもできずに、弱々しく呼吸しているひよこの背をそっと撫でた。
***
母はピンクが好きだった。
フリルが多めのブラウスやワンピース。水筒もバッグもハンカチもピンク。
ベビーピンク、パステルピンク、ローズピンク、ミルキーピンク……。その他名前も知らないピンク達に、私はいつも囲まれていた。
だから私のあだ名は「フラミン子」だ。略してフラ子。
私が好きなのは青とか緑だ。ピンクも嫌いではないけれど、私は青いバッグが欲しかった。でも母はいつもピンクのものを買ってくる。
そして私は嫌がる事もせずにただそれを身に着けていた。
***
その日、学校の帰り道に人だかりが出来ていた。正確に言えば私と同じ小学校に通う生徒達ばかりだ。
「何見てんの?」
私は集団の一番手前にいた友人に声をかけた。
「ひよこだよ。ピンクのひよこ。フラ子が好きそうなやつ!」
そう言って彼女が指さした先には、大きなプラスチックのケースがあり、その中には溢れるくらいぎゅうぎゅうに詰められたピンクのひよこ達がいた。
ケースの奥には強面の小柄なおじさんが座っていて、にこにこと愛想笑いを浮かべていた。
「珍しいよ。ピンクの卵から生まれたピンクのひよこだ。育つとピンクの鶏になるよ」
流れるような口上が嘘なのは私も他の子たちもわかっていたけれど、ぴよぴよと鳴きながらもこもこと動き回るその姿に、皆目が釘付けになっていた。
「おじさん明日はいなくなっちゃうから、買うなら今日だけだよ」
自分の意志に関係なくピンクに塗られたヒヨコは、まるで私みたいだと思った。
「可愛いだろう? 買っていきなよ」
おじさんが笑いかけてきた。一面ピンクのケースの中はちょっと怖くて、私は家へ向かって駆けだした。
それでも、家に帰った私の手の中には小さな箱があった。その中にはピンクのひよこが一羽。
助けたかった。救い出してあげたかった。ピンクに塗られてピンクに囲まれたひよこを、一羽だけでも助けてあげたかった。
でも、ひよこを見せると私は母に叱られた。
「そんなもの買ってきて……そういうひよこは長生きできないのよ。それにうちには猫がいるんだから、食べられちゃうじゃない」
母の言う通りだ。うちには半年前にもらってきた黒い猫がいた。黒猫のナナはふんふんと箱の匂いを嗅いではテンションを上げている。
「大丈夫だよ。ナナに野生の本能なんて残ってないって」
兄はそう言って、ひよこの箱を開けてナナに見せる。するとナナはぺろりとひよこを舐めた。ひよこはぴょんと箱を飛び出し、ととと、と歩いてナナのお腹の下に潜り込んだ。
兄の言う通り、ナナはひよこを狩ろうとはしなかった。
「桃色のひよこだから、モモにしよう」
兄によって勝手に名前が決められ、モモは我が家の一員となった。
しかし3日目の朝、モモは急に元気がなくなった。餌も食べずに丸くなって目を閉じている。
私はこたつの上に小さいホットカーペットを置き、そこにモモをのせて家族で見守った。
春のはじめの、とても長い一日だった。
***
スマホの写真を整理していると、ピンクのひよこの写真が出てきた。写真をしみじみと眺めながら、あの時の事を思い出す。
うちにはもうピンクのひよこはいない。
窓際を見る。
大きな丸い籐籠の中には黒猫のナナ、そして赤いトサカが立派なモモがいる。
あの日すっかり弱ってしまってもう助からないと思ったモモを、ナナがお腹の下に入れて温めてくれた。奇跡的にモモは回復し、数か月後には赤いトサカが立派な白い雄鶏になった。
彼らはとても仲良しで、今でもくっついて一緒に寝ている。白と黒が交わって丸くなり、その姿はまるで陰陽太極図のようだ。
そして私はもうフラ子と呼ばれていない。
中学生になり新聞配達のバイトを始めた私は、好きな服を自分で自由に買うようになった。
クローゼットの中には新しい色がどんどん増えていき、青と緑がちょっぴり多めになった。
私の世界は今、とてもカラフルだ。
了
お題:「色」
白黒の世界、カラフルな世界 千石綾子 @sengoku1111
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