44:先輩を救うために

「……ん」


 遠くから森を吹き抜ける風の音。

 葉を揺らす音を、マオは聞いた。


 彼女は身じろぎをして目を開ける。

 隙間から差し込む光に、うっすらと開いたまぶたが輝く。


 体を支える柔らかいベッドの感触と、体を包み込む温かな毛布の肌触りに癒やしを覚えながら、マオは伸びをする。

 筋肉がほぐれていくのを感じる。


(私……何をしてたんだっけ……?)


 ぼーっとする頭でぼんやりと考えながら、マオは隣のベッドに目をやる。

 そこには、ヴァリアがすやすやと寝息を立てて寝ていた。

 その寝顔は穏やかで、まるで天使のようだ。


「先輩……。――あっ!」


 ヴァリアの寝顔を見たことで、マオは完全に目覚める。

 彼女を救うため、魔法を使った。

 そして、力尽きて倒れてしまったことを。


 記憶がよみがえるにつれ、マオの心は焦燥に駆られる。

 すぐに、マオはヴァリアに近づき、彼女の心音を聞く。

 彼女の鼓動は規則的に、命の音を奏でている。


(良かった……! 無事だったんだ!)


 ほっと胸をなでおろすマオ。安堵の息が漏れる。


「やはり頃合いだったか。目が覚めたかの?」


「ドラシア……さん」


 お盆を手に持ったドラシアが、マオに話しかける。

 気絶前のぼんやりした記憶では、ドラシアと和解したような気がしている。

 だから、今のマオに敵意はない。

 それはドラシアも同じようで、彼女はお盆をマオに差し出した。

 お盆にあるのは、お椀に入ったおかゆだった。


「おかゆだ。食べられるかの?」


 ほかほかと湯気が立っているおかゆ。

 その湯気を吸い込むと、不思議な香りがマオの鼻をくすぐった。

 目を凝らすと、銀色の光がマオの瞳をきらめかせる。

 まるで満月の光を映した水面のような神秘的な佇まい。


 胃の状態を考えるマオ。

 特に痛みや不快感がないため、問題ないと判断した。

 むしろ、目の前の料理を食べたいという思いが強かった。


「はい。大丈夫だと思います」


 ドラシアからお盆を受け取ったマオ。

 小さな木製のスプーンを手に取り、ひとすくい。

 彼女はそのまま、ゆっくりと口の中へ持って行く。


 一口含めば、口の中に広がるのは、生命力に満ちた力強い甘み。

 まるで大地の恵みを直接味わっているような感覚だ。

 喉を通る時には、体の隅々にまでその力が行き渡っていくのを感じる。


 マオは思わず目を閉じて、この味わいに浸る。

 体の中から湧き上がってくる喜びと安らぎ。

 疲れや痛みが消えて、心に平穏が広がる。


「ふふ。何も言わずとも分かるぞ。美味と言いたいのじゃな?」


「こんな美味しいおかゆ、初めてで……」


「原料は、この辺りで取れる大樹の実じゃ。それを粉状にして長い時間溶かし、蒸したのじゃ」


「大樹の実、ですか。――え? 大樹?」


 大樹。その言葉に聞き覚えのあったマオ。

 記憶の片隅で、そのキーワードが反応する。


「とりあえず食すのじゃ。外の様子を見るのは、それからじゃの」


「は、はい!」


 舌を唸らせる絶品のおかゆを、マオはスプーンで掬って食べていく。

 急いで食べているつもりは無かったが、その美味しさに自然と手が進む。

 お椀の中にあったおかゆは、一気にマオのお腹の中へと入っていった。


「ごちそうさまでした!」


「うむ。良い食べっぷりで、作った甲斐があったというものじゃ」


 満足そうに、ドラシアは頷く。

 その表情は、まるで孫娘に料理を振る舞った祖父のようだ。


 ベッドから起き上がったマオは、すぐに玄関のドアを開ける。

 そこに広がる光景。

 見上げると、守護神のようにそびえ立っている一本の大樹。

 樹齢百年以上はゆうに超えているだろう、屈強な幹は幾多の嵐に耐え、今なお揺るぎない強さを誇っている。

 その大樹を取り囲むように、質素な木造の家々が立ち並ぶ。

 家々を包み込むように広がった樹の枝は、まさに村を守護する盾のようだった。

 葉の一枚一枚からも、生命力が溢れ出ているように感じられる。


「すっごい……。本当にあったんだ。聖樹村」


「ただ、住んでいるのはワシとユクトのみじゃ」


「え?」


 家々はどれも朽ちていた。

 屋根が剥がれた家。

 窓が壊れ、内装に雑草が侵食している家。

 そもそも崩れ落ちて家としての体をなしていない家。


 村の静寂と、廃墟と化した家々のコントラストが、マオの心を不思議な気持ちにさせる。

 彼女は自分が寝ていた家を振り返る。

 その家は屋根もあり、窓も付いており、崩れてもいない。

 まるで、この村で唯一の命の灯火のようだ。


「おぬしも知っていると思うが、村を取り囲む木々は魔力を吸収する性質を持つ。これは魔物が暴れていた昔では一種の防御策となっていたんじゃが……」


 ドラシアも大樹を見上げる。

 その眼差しには、懐かしさと寂しさが混ざり合っている。


「やはり、平和な世の中では、魔力が不安定になるこの土地は住みにくくての。皆手放してしまったのじゃ」


「そうして、いつしか忘れられてしまった。ということですか?」


「うむ」


 短い返事の中に、長い年月の重みが感じられた。


「あの、レイレイとエナっちは……」


「案ずるな。そして恐らく、おぬしらの目的は達成されておる」


「目的……達成……。それってまさか!!」


 マオの目が輝く。

 聖樹村を探した目的。

 それはレイレイの精霊魔法に関することに違いない。

 ドラシアは力強く頷く。しかし、すぐに顔をしかめた。


「じゃが、問題が一つある」


「それは……」


「おぬしの隣で寝ていた少女……ヴァリアとか言ったかの?」


 ラシアの言葉に、マオの表情が曇る。

 心配そうに眉を寄せる。


「先輩に何があったんですか?」


 ドラシアは、再びマオを家に招き入れ、ヴァリアが寝ているベッドまで誘導する。


「マオ。おぬしのおかげで、ヴァリアは一命を取り留めた。それは誇って良いぞ」


「先輩……」


 マオはヴァリアの顔を覗く。

 穏やかに眠っている彼女に、どこも違和感はない。

 一命を取り留めたのなら、後は養生すれば問題ないはずだ。


「今は眠っておるが……このままでは彼女は目覚めぬ」


「え!? どうして!」


「ヴァリアを襲った鎧。彼の者が持っていた剣は邪悪な魔力が滲み出ておった。その影響じゃ。かすり傷程度であれば、体内の魔力で浄化可能だったかもしれんが、あそこまでの大傷を負わせられた場合、体内だけでは浄化しきれぬ」


「そんな……」


 マオの瞳から、光が消える。絶望の色が浮かぶ。


「案ずるな。救う方法はある」


「本当!?」


 一転、希望の光が瞳に灯る。


「聖樹村の北方に位置する泉。その泉の聖水をヴァリアに飲ませれば、体内の魔力と合わさって回復するはずじゃ」


「だったら、早く行かなくちゃ! その場所教えて下さい!」


「まあ落ち着け、マオ。出発は明日じゃ。泉までの道中、魔物もそれなりに潜んでおる。それまでにゆっくりと力を溜めておくのじゃな」


「明日……分かりました」


 聞き分けの良いマオに、ヴァリアは微笑む。

 そして、ヴァリアの頬に手を触れる。

 温もりを感じるが、予断は許されない。

 いつこの温もりが消え去ってもおかしくないのだ。


「本当は、ワシが泉に行きたいんじゃが、ヴァリアに残った邪悪な魔力は一定の時間でこちらから魔力を送らなければ侵食が進んでしまうのじゃ」


「大丈夫です。私にはレイレイとエナっちがいます。二人とも、私の大切な親友で、力強くて頼れる仲間ですから」


「ああ。そして、エクスカリバーの力もあれば、乗り越えていけるの」


 頷くマオ。

 こんな少女に、魔王の力が宿っている。

 そして、彼女はそれに抗っている。

 その事実に、ドラシアは心を打たれる。


 ふと、ドラシアはマオの頭に優しく手を乗せた。

 まるで、孫娘を愛おしむ祖父のように。


「ドラシアさん?」


「マオ。魔王の力に飲まれぬよう……気をつけるのじゃぞ。おぬしのこと、応援しているからの」


 優しく頭を撫でるドラシア。

 マオは、彼女の優しさに改めて触れ、目を細めた。


「ありがとうございます。私、頑張ります。魔王の力に負けないよう……そして先輩を救うために」


「うむ。ゆっくり休むがよい。明日の朝、おぬしの仲間らとユクトで、泉に行ってもらうからの」


「はい!」


 力強く頷くマオ。彼女の瞳には、揺るぎない決意の炎が宿っていた。

 その炎は、彼女の心の中で燃え上がる。

 魔王の力に抗い、大切な人を守るために。


 マオは、ヴァリアの手を握る。

 その手は、まだ温かい。


(先輩。絶対に、助けるから……!!)

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