43:魔王の力じゃない。自分の力で救いたいんだ
ヴァリアの眼前には、かつて最も信頼していた兄、デサイスが立ちはだかっている。
彼の手には、鋭い刃が光る剣が握られていた。
その剣は、ヴァリアの命を奪うために向けられている。
デサイスがギルドを壊滅させ、両親をも殺したことを知ったヴァリアの心は、深い悲しみと怒りに揺さぶられていた。
しかし、マオの元に向かうためには、その感情を押し殺してデサイスを退けなければならない。
ヴァリアは目を閉じ、深呼吸をした。
脳裏に浮かぶのは、幼い頃の思い出だ。
優しく微笑む兄の顔、一緒に剣を振るった日々。
その温かな記憶が、今は血塗られた現実と重なる。
(私が知っている兄様なら……親しくても、この狂気を止めるはずだ)
「……兄様。あなたは私が止めます」
「ヴァリー、貴公に可能かな?」
「私に勇者の素質があるのなら!!」
金属がきしむ音を立てて、ヴァリアは剣を構えた。
デサイスもまた、構えを整える。
二人の間には、張り詰めた緊張が漂っていた。
走るヴァリア。待ち構えるデサイス。
ヴァリアの脳裏に、在りし日の模擬戦の光景がよぎる。
幼いヴァリアは、稚拙な動きで兄に剣を振るった。
だが、その小さな剣は、いとも簡単にデサイスに防がれてしまう。
ふてくされるヴァリアを、デサイスは愛おしそうに見つめていた。
――そんな光景が血で染められた。
「現実は変わらない」
「……ガハッ!」
「例え勇者の素質があろうとも、ヴァリーの技量では、余に勝てるはずがないのだ」
一瞬の交錯、そしてヴァリアの剣が宙を舞った。
丸腰になった彼女に、デサイスの剣が容赦なく迫る。
鋭い痛みと共に、ヴァリアの腹部が貫かれた。
デサイスはそのまま剣を横に薙ぎ払う。
まるで意思を持っているかのように、傷口から血液が勢いよく噴き出した。
腹部をおよそ半分ほど切断されたヴァリアの体が、力なく地面に倒れ伏す。
血溜りが、彼女の周りに広がっていく。
「ヴァリー。あの時、ベルカナンと共に来ていれば、或いは……」
妹の血に塗れた剣を向けるデサイス。
意識が遠のいていくヴァリアに、彼はとどめを刺そうと剣を高く掲げた。
「……終わりだ」
その言葉は、自分に向けたものだろうか。
デサイスの剣が、無情にも振り下ろされる。
「――させぬぞ!」
次の瞬間、ドラシアの姿がヴァリアの前に現れた。
炎の魔法を足に纏わせ、彼はデサイスの剣を受け止める。
魔力の差は明らかで、デサイスの剣は弾き飛ばされた。
「貴公はこの辺りに住む龍族か」
「この森で勝手な真似はさせぬぞ」
マオはドラシアの腕から抜け出し、血溜りの中のヴァリアに駆け寄った。
「ヴァリア先輩!! だ、大丈夫!?」
「マオ……か……」
かすかな声が、ヴァリアの口から漏れる。
死の色が、彼女の顔を覆っていた。
「ダメだよ先輩……! しっかりしてよ! 助けを呼ぶから、それまで持ちこたえて!」
涙があふれ出るのを感じながら、マオは必死に語りかける。
どんな言葉をかければ、ヴァリアが生きようとしてくれるのだろう。
ドラシアは、マオの嗚咽を背中に感じながら、デサイスを鋭く見据えた。
「目的は何じゃ?」
「魔王復活。そのためには、その女の感情を揺さぶる必要があった」
「復活……か。また混沌の時代を迎えて、何の意味がある?」
「勇者の家系は腐敗し、人間は堕落した。助け合いの心を失った人類はもう一度、過去へ戻らなければならない」
デサイスの言葉は、一見もっともらしく聞こえた。
だが、ドラシアは鼻で笑う。
「腐敗し、堕落したのはおぬしの方じゃ。真の勇者たる者、己の信念を貫く強さを持つ。おぬしのような卑怯者には、それが理解できぬのか」
怒りに震えるドラシアの声が、森に木霊した。
しかし、デサイスはドラシアの言葉を無視し、背を向ける。
「おや? 堕落した勇者は退散するのかの?」
「貴公と剣を交える気はない。それに、今は分が悪い」
この場にいない人物。ユクト、レイレイ、エナを感じ取っているのか。
「ほう。腐っても勇者の末裔、ということじゃな」
「そして、ヴァリーの命もあと僅かだ。魔王の復活は確実に前に進む。余の目的は果たした」
闇によぎるデサイス。
体を覆った闇は即座に彼の姿を隠す。
闇が失せると、デサイスはこの場からいなかったかのように消え去っていた。
(なら、すぐに治療に取り掛かる必要があるようじゃな)
ドラシアは、デサイスの敵意が完全に消失したことを確認する。
そして、振り返ってヴァリアの容態を確認する。
森の中で会った時より、ヴァリアの顔は青ざめていた。
温かみのある肌の色が、冷たく死を引き寄せる色へと変化していく。
もう、彼女の命は燃え尽きようとしていた。
「マオ……私は……もう……」
自分自身で死期を悟ったヴァリア。
せめて、目の前のマオにだけは感謝の言葉を伝えたい。
だが、もう数回口を開けば、自分の意識は永遠に無くなるだろう。
言葉を選ぶ暇もなく、ヴァリアはマオに何かを告げようとした。
「――ううん。絶対に死なせない」
だが、マオはヴァリアが口を開くよりも早く、その言葉を口にした。
こぼれ落ちた涙が頬を伝わりつつも、マオの表情は固く真剣な眼差しを送る。
そして、マオはヴァリアの千切れそうな腹部に手を合わせた。
「マオ。まさか……」
嫌な予感。
ドラシアはマオを止めようと駆け寄る。
彼女が何かを覚悟した。つまり、魔王の力を使おうとするに違いない。
先ほどマオと戦った時、ドラシアは見たマオの変化。
魔王の記憶に侵食され、苦悩するマオを見ているからこそ、『マオ』を守りたいという気持ちが芽生え始めていた。
「待つのじゃ! また魔王の力なぞ使ったら――」
「――使わない!! 先輩は『私』が助ける……!!」
先ほどマオの脳裏によぎったベルカナンの言葉。
『ほら、あなたの力じゃ足りないでしょう? 魔王の記憶を使わなければ、なーんにも出来ないお荷物』
その言葉をただ、否定したかった。自分の力で、目の前の人物を救いたかった。
「魔王の力じゃない。自分の力で救いたいんだ!!」
「おぬし……」
「ザネルヴィエル」
マオが呪文を唱え始めると、彼女の手のひらから温かな光が漏れ出す。
「――ライヴレボス」
続く彼女の呪文。
光はヴァリアの切断された腹部へと集まっていく。
(これは上級呪文じゃな。どうして学生程度の者がそんな呪文を。まさか、やはり魔王の力を使って……)
その考えを、ドラシアは否定する。
自分の力で彼女を救う。
その言葉に嘘偽りは無かった。
マオの表情は決意に溢れており、この場だけは、魔王の力を使わず救いたいという意思が感じられた。
継続的に光はヴァリアの腹部を癒やす。
そして、次第に切断された腹部が結合、復活していく。
塞がっていく傷。
安堵するマオ。彼女の治療により一層の力が入る。
そうして数分が経ち、ヴァリアの傷は完全に塞がった。
(良かった……ヴァリア先輩……)
マオは、力尽きて地面に突っ伏すが、まだ意識は消えていない。エクスカリバーのことを考えて、辛うじて意識を保っているのだ。
自分を見下ろしているドラシアに向けて、マオは悲痛な声を上げる。
「お願い……ドラシア。私たちから……エクスカリバーさんを……取らない……で」
(この少女……魔王の力に頼らず、戦おうと努力しておるのか。だから、この少女はエクスカリバーを自分たちの力だと……)
フッと笑うドラシア。
運命に反抗しながら、戦い、生き抜いていく。
自分に出来なかったこと。
そこにエクスカリバーは希望を見出したのか。
そして、それは自分も同じこと。
「バカじゃな。おぬしは」
「良く……言われるかも……でも……」
「だが、エクスカリバーが好意を持つ理由は分かったぞ」
「それ……じゃあ……」
「しょうがないの。暫し、エクスカリバーはおぬしに預けることとする」
「あ、ありがと……う……」
ドラシアは地面に倒れたマオを優しく撫でる。
今の彼女はすでにつきものが落ちたような表情を浮かべていた。
「ワシが礼を言われる資格はない。すまぬな。おぬしを傷つけてしまった」
「気にしてない……ですよ……えへへ……」
マオは安堵の表情を浮かべ、ようやく意識を手放した。
(――向こうの方もそろそろ結果が分かった頃合いじゃのう)
レイレイの方も結果が出ただろう。
果たして、ユクトはレイレイの素質を開花させることができたのか。
ヴァリアの傷の手当も必要だ。
マオの魔法によって一命は取り留めたが、予断を許さない状況なのに変わりはない。
(……まあ、どちらにしても、招待してやるかの)
ドラシアの心は決まっていた。
自分の住まいである聖樹村。そこに彼女たちを案内することを。
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