38:森の試練

 翌日、マオたちは指定された森へと足を踏み入れた。

 一歩中に入った瞬間、太古の木々が放つ圧倒的な存在感に呑み込まれる。

 樹齢百年を超えるであろう巨木が、うっそうと生い茂る奥深くまで続いている。

 葉の隙間から漏れる光は、魔力を帯びたように淡く輝いていた。

 そして、朝だというのに薄暗い。まるで、森全体が彼女たちの侵入を拒んでいるかのように。


「ドラシアさん……ちゃんと来てくれるかな?」


 マオが不安げに呟く。

 彼女の心には、ドラシアへの疑念がわずかに芽生えている。


「大丈夫。ドラシアさんは約束を守る人だと思うから」


 レイレイが微笑む。

 彼女の直感は、ドラシアを信じていいと告げているのだ。


「でも油断は禁物ですわ。何かあった時は自分で身を守らないと」


 エナは厳しい表情で言う。

 彼女の警戒心は、まだ解けていない。


「うん。みんなで力を合わせれば、どんなことでも乗り越えられるよね!」


 マオが力強く宣言する。

 その言葉に、仲間たちも力づけられる。


 ヴァリアは黙って三人を見守っている。

 彼女たちなら、必ず正しい道を歩んでいけるはずだ。

 彼女は周囲を警戒しつつ、ドラシアの登場を待つ。

 その間に、この森の違和感を感じていた。


「この森、魔力が不安定だ」


 ヴァリアが呟く。

 彼女は周囲の状況を観察し、一つの結論にたどり着いていた。


「え? 分かるの?」


 マオが驚いて尋ねる。


「木々を見てくれ」


 ヴァリアは大木の幹を触りながら説明する。

 彼女の手のひらから微力な魔力を吸収しているのが、感覚的に分かる。


「特殊な樹だ。魔力を吸収する能力を秘めている。こんな場所で魔法を使えば…」


「威力が弱まる…ですの?」


 エナが眉をひそめる。

 彼女の指先から放たれる炎は、不規則に明滅を繰り返している。


「その通りだ」


 ヴァリアが頷く。

 木々が魔力を貪欲に吸い取る光景。

 生命力に満ちた森が、一転して魔力を奪う脅威となる。


「え!? じゃあ、どうやってキツネ獣人を懲らしめればいいのかな?」


 マオが困惑する。


「それなんだが――」


 ヴァリアが言葉を続けようとした瞬間、木々の葉が騒ぎ出す。

 突如として、上から襲い掛かってくる脅威。その姿はドラシアだった。


 ドラシアの狙いはマオ。一直線に彼女を狙いに来ていることを理解したヴァリアは、

 すぐさま剣を抜き、ドラシアに向けて振りかざそうとした。


「ドラシアさん!?」


 レイレイが驚きの声を上げる。

 その一瞬の隙を突かれ、ヴァリアの動きが鈍る。昨夜の話を聞いていたための、彼女の油断だった。


「お主、ワシと来てもらうぞ」


「わ、わっ!」


 ドラシアは地面に着地すると、三人をすり抜け、瞬時にマオの眼前に迫る。

 そして、拘束魔法を使い、彼女を抱え込んだ。


「ちょ! な、なにこれ!?」


 マオが抵抗するが、ドラシアの魔法は強力で身動きが取れない。

 ヴァリアはマオを救出したいが、咄嗟に動けばマオを盾にされるかもしれない。


(――頼む、エナ!)


 ヴァリアはエナと目を合わせる。エナはその意図を理解した。


 彼女の行動を悟られないよう、ヴァリアはドラシアへ声を荒げた。


「待て! 何故マオを連れて行く!」


「見極めるためじゃ。お主らの安全のためでもある。案ずるな」


 ドラシアは冷静に答える。


「そんなことさせませんわ!」


 エナが銃を引き抜き、即座に発砲する。

 狙いは確実にドラシアの肩を射抜こうとしていた。唯一、ドラシアがそれ以上のスピードで回避しなければ、だが。


「っと! かなり正確じゃな。その骨董品をそこまで使いこなすとはの…!」


「外れた!? ならもう一度」


 エナが構える前に、ドラシアは空高く飛び上がり、大木の枝へと足を付ける。

 マオは拘束から逃れようとするが、ドラシアの魔法は強力でびくともしない。


「くっ! なら――!?」


 魔王の知識を使おうと心で念じるマオ。

 しかし、それを看破していたドラシアはマオを気絶させる。

 ぐったりと項垂れるマオ。彼女の意識は消失していた。


「お主らの相手はそこの獣人に任せてある。しばし、余興を楽しむと良い」


「獣人!?」


 もう一つの影が、森をかき分けてくる。ユクトだった。

 ふさふさとした茶色の毛並みに、ぴんと立った大きな耳が特徴的。

 くりくりとした瞳は、好奇心と知性に満ちている。


 思わず、エナは彼へ向かって叫んでしまう。


「ワルギツネですわ!」


「ワルギツネ!? ボ、ボクは悪いキツネじゃないのです! そんなこと言われるのは心外なのです!!」


 ドラシアお下がりの服を着ている彼。そのせいか、ヴァリアはすぐにユクトとドラシアの関係性について理解することができた。


「最初からそのつもりだったのか……!」


 ヴァリアが怒りを露わにする。


「ちと予定が狂った以外は、な」


 ドラシアは涼しい顔で答える。


「やっぱり信用するべきじゃ無かったですわね!」


 エナも憤慨する。


(本当に、信用しちゃいけない人たちなの……?)


 レイレイは心の中でそう呟く。

 強引な方法で、今まさにマオを連れ去ろうとするドラシア。

 だが、殺気は感じられない。自分たちを試そうとしている。そんな気がするのだ。


「レイレイ殿の魔法……とっても楽しみなのです!」


「え?」


 ユクトが人懐っこい笑顔で、レイレイに話しかける。

 その口調は幼く、まだあどけなさを残している。しかし、瞳には力強い意志の光が宿っていた。


「それではな。ゆっくり楽しむといい」


「待てっ! ドラシア!!」


 大木の太い枝を伝い、マオを抱えたまま遠くへ駆け出していくドラシア。

 それを追おうとするヴァリアだが、ユクトがその行く道を塞ぐ。


「ししょーの邪魔はさせないのです! お前たちの相手はボクがするのですよ!」


「くっ!」


 その小柄な体からは想像できない力強さ。

 ユクトは一瞬の内にヴァリアに近寄り、彼女に向かって蹴りをする。

 次々と繰り出される蹴りを刃で防ぎながら、ヴァリアは行動の選択を迫られている。


 このままユクトと戦っていれば、マオの姿が遠ざかってしまう。

 だが、ユクトを放ってマオを探そうとすれば、エナとレイレイが彼の相手をすることになる。

 戦い慣れしているユクトを相手にするには、荷が重い二人。


 その時、エナとレイレイの言葉がヴァリアを後押しした。


「ヴァリアさん! あなたはマオさんを追って!」


「うん! あのキツネさんは私たちで何とかするから!!」


「――エナ、レイレイ!」


 二人の力強い表情を見て、ヴァリアは直感する。

 彼女たちなら、きっと大丈夫だ。


 ユクトの視線はヴァリアへと向いていた。

 そして、エナの持つ拳銃は『骨董品』と師匠から揶揄されている。

 だから、ユクトは油断していた。エナの射撃の正確性を。


「ボクも甘く見られたものなのです。タダで通すと思ってるので――」


 エナは殺さないようにと配慮しながら、ユクトの腹部に照準を合わせ、トリガーを引く。

 放たれる魔力を秘めた銃弾。

 それはユクトの腹部へと吸い込まれるように、正確に被弾した。


 衝撃で吹き飛ばされるユクトの体。

 彼は地面を転がりながら大木へ背中を打ち付ける。


「――さあ! 早くマオさんのところへ!」


 エナが叫ぶ。

 ヴァリアは二人を一瞥し、頷くとマオとドラシアが向かった方向へと疾走した。


「……さてと。カッコいいこと言いましたけど、私たちであのワルギツネの相手ができまして?」


 額の汗をぬぐうエナ。

 不意打ちで隙を作ったにせよ、あれでユクトが終わるとは思えない。

 しかし、レイレイはヴァリアに見せていた強気な表情を崩さない。


「――できるよ。私だって、魔法が使える」


「……精霊魔法、ですわね」


「うん。まだ上手く使えないけど、やってみせる」


(そして、キツネさんとドラシアさんの目的が私なら……!)


 ある種の賭けをしながらも、レイレイは起き上がるであろう獣人の方向をジッと見つめていた。

 彼女の瞳には、強い決意の色が宿っている。


「うぅ……なかなかやりますなのです……!」


 苦しそうに呻きながら、ユクトが立ち上がる。

 頭に手を当て、彼は痛みに歯を食いしばっていた。


「でも、ボクはまだまだなのです! レイレイ殿の力、見せてもらうのですよ!」


 そう言って、ユクトは再び構える。

 彼の瞳に燃える闘志。

 レイレイとエナを見据える、鋭い眼光。


 森は静まり返っていた。

 木々は二人の少女と一匹の獣人を見守るように、その場に佇んでいる。


 はたしてレイレイは、自らの力を発揮できるのか。

 エナは、戦いを支えることができるのか。


 そして、マオの身に何が起ころうとしているのか。

 ヴァリアは、間に合うことができるのだろうか。


 今まさに、試練の幕が切って落とされた。

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