19:私は魔王じゃない。マオって名前の、ただの少女です

 谷底から脱出するため、マオとエナは歩み続ける。

 息を切らしながらも、二人の足は止まることを知らない。


「マオさん。この辺りの地理について、魔王の記憶に何かありませんの?」


 エナが尋ねる。


「そっか。もしかしたら、何か手がかりがあるかも。ちょっと待ってね……」


 マオは目を閉じ、過去の記憶を探り始める。


 すると、彼女の脳裏に鮮明な情景が浮かび上がってきた。


「――えっ!?  これって、まさか……!!」


 驚きに満ちた表情で、マオはエナを見つめる。


「どうしたんですの?」


「エナっち! この土地……伝説の剣が眠ってるかもしれない!」


 マオの声は興奮に震えている。


 今はぬかるみと化した谷底。かつてはここに、栄えた城下町があった。

 その町に、ひときわ目立つ建物があった。教会と呼ばれる施設だ。


 そして、その教会には一振りの剣が祀られていた。

 魔王をも倒すことができるとされる、伝説の剣――エクスカリバー。


「その……きょうかい? とかいう施設はよく分かりませんけど……」


 顎に手を当てて考え込むエナ。このまま地上を目指すのも悪くない。


 だがマオの武器は失われ、エナの銃だけでは心もとない。ヴァリアと再び相まみえれば、逃げ切れるかも分からない。

 伝説の剣に興味を抱いたエナは、ある種の賭けに出ることにした。


「行ってみる価値はありそうですわね」


「うん。探しに行こう!」


 二人は意を決し、マオの記憶を頼りに歩みを進める。

 道中、マオは軽快な口調でエナに話しかけた。


「もしかしたら、本当にエクスカリバーが手に入るかも……!」


「マオさん。魔王が倒れてから何百年経ってると思ってますの?」


「ん? んー……どのくらいだろ……」


 この問いには、魔王の記憶を使っても答えは出ない。

 首をかしげるマオに、エナは呆れ顔で言い放つ。


「そんな大昔の剣ですわよ。錆びて使い物にならないはずです。いえ、そもそもこんな場所に放置されているわけがありません。勇者の末裔が徹底的に管理しているはずですわ」


「でもさ、こうして探しに来てるってことは、ちょっとは期待してない?」


 マオがからかうように尋ねる。


「……ま、まあ。少しは、ですけど」


 エナは照れくさそうに答える。


「えへへっ、やっぱりエナっちもそう思うんだ! 私、嬉しいな!」


 マオは無邪気に微笑む。


「――あれじゃありませんこと?」


 エナが指さす先。そこには、古びた建物が佇んでいた。


 マオやエナから見れば、明らかに時代遅れの代物だ。

 屋根は剥がれ、窓ガラスは割れて、荒れ果てている。


「……教会、だね。間違いない」


「でも、こんな廃墟になるまで放置されてたなんて……」


 二人は言葉を失う。

 伝説の剣がここに眠っているとは、とても思えない。


 それでもマオは、諦めきれずにいた。

 ここまで来たのだ。確かめずには引き下がれない。


「中を探してみよう。もしかしたら、手がかりくらいは……」


「ええ。せっかく来たんですもの。入ってみましょう」


 意を決し、マオとエナは教会の扉に手をかける。

 錆びた金具が、不吉な音を立てる。


「……へ?」


「どういうこと……?」


 二人の目の前に広がるのは、予想外の光景だった。

 古びた教会の内装に似つかわしくない、一振りの美しい剣。


「これって、まさか……」


「エクスカリバー……!?」


 祭壇に鎮座する剣。煌めく刃、宝石をちりばめた装飾。

 それは紛れもなく、マオの記憶にある伝説の聖剣だった。


「信じられない……本当に、ここにあったなんて……!」


「錆びてませんわ。これが聖剣の力なんでしょうか……」


 震える手で、マオは剣の柄に触れる。

 その瞬間、二人の脳裏に声が響き渡った。


『――触るでない』


「!? 誰っ!?」


 エナは咄嗟に銃を構え、辺りを見回す。

 だが教会内に、二人以外の姿はない。


「エナっち、もしかしてこの声は……」


 マオは聖剣を指差す。

 直接脳内に響くその声。それは剣から発せられているのだ。


『我は、貴様らのような小娘が触れていい代物ではないぞ』


 聖剣の威圧的な口調に、マオは怯むことなく問いかける。


「あの……エクスカリバー。質問してもいいですか?」


『……なんだ』


「勇者の武器として、魔王と戦ったのはあなたで間違いないですよね?」


『その通りだ』


「だったら、どうやって魔王に勝ったんですか?」


 剣との会話に、エナは黙って耳を傾ける。

 マオは剣の真贋を見極めようとしているのだ。


 この世に広まる歴史。魔王は勇者一行の奇襲で即死し、残党は泣き寝入りした。

 だがマオの問いかけは、その真偽を問うているようだ。


『高潔な勇者は、我と共に魔王に立ち向かった。勇者一人で魔王城へ赴き、一騎打ちの末、壮絶な戦いを制したのだ』


 聖剣の言葉に、マオの瞳が輝く。


「――やっぱり、そうだったんですね」


 マオの夢に見た光景。それこそが真実の歴史だったのだ。

 この剣は紛れもない本物。勇者と共に戦った、伝説の聖剣。


 ならば、マオの願いはただ一つ。

 この聖剣が、勇者の末裔であるヴァリアを救う手がかりになるかもしれない。


 エナを斬ったヴァリアを許せはしない。しかし、同時に彼女の苦悩を理解し、救いたいという思いもあった。


「聖剣よ、どうか力を貸してください。勇者の時と同じように、私と共に……!」


『断る。小娘ごときに扱える代物ではな……いや、待て。微かに感じる、その気配は……貴様』


 聖剣の問いに、マオは頷く。


「はい。私は……魔王の生まれ変わり。たぶん」


『なんと……』


 聖剣の声色が変わる。

 驚きと、些かの怒りが混じっているようだ。


「わ、私は魔王の生まれ変わりかもしれない……でも、今は平和に暮らしたいだけなんです! 誰かを傷つけるつもりは……」


『黙れ!』


 鋭い言葉に、マオは口をつぐむ。

 まさか拒絶されるとは。絶望が胸を締め付ける。


『生まれ変わろうと魔王は魔王。そんな貴様に、我が力を授かる資格はない』


「そ、そうですか……です……よね」


 聖剣の拒絶に落ち込むマオ。

 一方で、エナはため息をついていた。


「聖剣さん、でしたわね。私とマオさんは、あなたのご友垣の子孫に谷底に叩き落されましたのよ?」


『勇者の末裔がそのようなことを? 信じがたい』


「事実ですわ。挙げ句の果てには、私たちの友人をハーピーに攫わせて……」


『……そこの娘の言葉は本当のようだな』


 人の心を読む力を持つのか、聖剣はエナの訴えを真摯に受け止める。

 勇者の血が腐敗した現実を、認めざるを得なかったのだ。


「お願いです、エクスカリバー! 私はレイレイを助けたい。……ううん、勇者の末裔だって、救いたいんです!」


 マオは必死に訴える。


『魔王のお前がか?』


「私は魔王じゃない。マオって名前の、ただの少女です」


『……なるほど』


 聖剣には、マオの真摯な想いが伝わる。


 友を想う純粋な心。魔王でありながら、人の心を宿す彼女。

 その行く末を、見守ってみたい。


 朽ち果てるがままに時を過ごすのは、もう終わりにしよう。

 聖剣は、新たな決意を固める。


 だが沈黙が続く聖剣に、マオは拒絶を感じ取っていた。

 肩を落として、背を向けようとする。


「ごめんなさい、お時間を取らせて……」


『待て、マオ』


「え……?」


 再び聖剣に向き直るマオ。

 その瞳には、かすかな希望の光が宿っている。


『今の貴様は、確かに人の心を宿している。それは認めよう』


 聖剣の口調が和らぐ。

 その言葉に、マオの胸に温かいものが広がっていく。


『貴様が、かの魔王とは違うと証明できるのなら、我が力を貸そう』


「証明、ですか?」


『そうだ。弱き者のために我が刃を振るえ。それができれば、貴様も勇者に相応しい』


 力強い聖剣の言葉。

 マオの背筋が、ピンと伸びる。


「……はい! 必ず証明します! 私は、みんなを守るために戦います!」


『ならば、我が刃はかつての魔王たる貴様の力となろう』


「よろしくお願いします、エクスカリバー!」


 力強く剣を抜くマオ。

 聖なる光に包まれ、剣はマオの手の中で煌めきを増す。


「凄い輝き……これが、聖剣の力なんですのね……」


 エナは感嘆の息を漏らす。


「さあ、行こうエナっち! みんなを助けに!」


「ええ! レイレイさんの待つところへ!」


 二人は剣を携え、教会を後にする。

 聖剣の加護を感じながら、谷間を駆け上がっていく。


 魔王の生まれ変わりが聖剣を手にする。

 それ自体が、奇跡とも呼べる出来事だ。


 だがマオにとって、今はそんなことを考える余裕はない。

 ただひたすらに、仲間のもとへ急ぐことだけを願っていた。


「待ってて、みんな……! 必ず助けに行くから!」


 真っ直ぐな瞳で前を見据えるマオ。

 その隣で、エナも強い意志を宿している。


 希望の光を胸に、二人の冒険は加速していく。

 聖剣を携え、共に戦う仲間を信じながら。

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