17:命懸けの奇跡

 暗闇に呑まれながら、マオとエナは谷底へと落ちていく。

 このまま地面に叩きつけられれば、二人に待つのは死だけだ。


(ダメ……! せめてエナっちだけでも助けなきゃ!)


 必死に考えを巡らせるマオ。


 先ほどヴァリアに放った衝撃波。あれを再現できれば、着地の衝撃を和らげられるかもしれない。

 だが迷っている暇はない。刻一刻と過ぎる時間は、無情にも二人の命を奪おうとしている。


 自分の身を顧みることなく、マオはエナを救うことだけに意識を集中した。

 覚悟を決め、片手を地面に向ける。


「地面に激突する寸前に、全力の一撃を放つんだ……!」


 ヴァリアから言われた真実。しかし、それでもマオは自らの意思で魔王の力を引き出そうとしていた。

 命を賭けた、決死の覚悟。


「今だ――!」


 二人の身体が地面に触れる瞬間、マオは渾身の力を解き放った。


 闇の力が凝縮された衝撃波が放たれ、ぬかるんだ谷底の地面を抉っていく。

 そしてその力は、落下の衝撃をも吸収し、消し去ったのだ。


 奇跡的にも、マオとエナは地面に転がり落ちるだけで済んだ。


「よかった、無事で……。でもっ……!」


 転落による傷がないエナを見て、マオは安堵の息をつく。

 最悪の事態は免れた。だが安心するのは早い。

 エナの意識はまだ戻らない。


「エナっち、しっかりして……!」


 倒れたエナに駆け寄り、マオは癒しの魔法を唱え始める。


 普段なら自分の怪我にしか使わない、些細な魔法のはずだった。

 平和な日常が続くと信じていたマオにとって、それ以上の意味はなかった。


 だが今、この魔法こそが友の命を救う頼みの綱になる。

 地味な努力を重ねてきた自分を、マオは心の中で褒めた。


 優しい光に包まれるエナの身体。

 傷口が塞がり、皮膚が再生されていく。


「……ん……」


 かすかにまぶたが動いた。

 生命の息吹を感じ、マオの胸は高鳴る。


 だがまだ意識は戻っていない。

 油断は禁物だ。エナが目覚めるまで、魔法を止めるわけにはいかない。


(絶対に助けるから……!)


 輝く魔法陣に魂を込めるマオ。


 夜風に髪をなびかせながら、必死に集中力を保つ。

 エナの表情から、苦痛の色が徐々に消えていく。


 まるで安らかな眠りに落ちていくようだった。

 その時、マオの意識が遠のいた。


 限界を超えた魔力の使用に、身体が悲鳴を上げる。

 目の前が揺れ、平衡感覚が狂う。


 それでもなお、エナを癒そうと魔法を続けるマオ。

 自分の命が尽きても、友を助けると心に決めていた。


(エナっち……!)


 その執念が、奇跡を起こした。


 眩い光が二人を包み込み、温もりが全身を包む。

 エナの傷が目に見えて塞がっていく。


 苦痛の色は跡形もなく消え去り、生気を取り戻していく。

 感謝の言葉を告げる間もなく、マオは力尽きて倒れ込んだ。


 だがその顔は、安堵に満ちていた。

 大切な友を、守り抜けたのだから。


 そう。マオは命を懸けて、エナを救ったのだ。

 崖下に横たわる二人の少女。

 まるで穏やかに眠っているかのようだった。


 時間が過ぎ、東の地平線が白み始める。

 朝日が二人の身体を優しく照らし出す中、エナがゆっくりと目を開いた。


「……ん……ここは……?」


 自分の無事を喜ぶ間もなく、エナの意識はすぐ隣のマオへと向かう。


「マオさん……! しっかりして!」


 全身の力を振り絞って、マオの肩を揺する。


 しかし返事はない。ただ安らかに、眠り続けているだけだ。


「そんな……どうしてこんなことに……!」


 自分を助けるためにマオが魔力を使い果たした事実に、エナは嗚咽を漏らす。


 悔しさと申し訳なさで、涙が止まらない。

 マオの胸に耳を当てる。


「……心音が、聞こえる……よかった……!」


 かすかな鼓動を感じ、エナは安堵の息をつく。


 だがマオはまだ目覚める気配がない。

 このまま動かずにいるのは危険だ。

 ヴァリアとハーピーが、まだ探し回っているかもしれない。


 だが、むやみに動くのも賢明ではない。谷底の地理は分からず、頼れる仲間は眠ったままなのだ。


「……」


 エナは岩壁に背中を預け、座り込む。

 そっとマオの頭を自分の膝に乗せ、安楽な姿勢になるよう調整した。


「まったく……可愛い寝顔ですこと……」


 穏やかな寝息を立てるマオ。


 魔王の生まれ変わりだろうと、この子が悪事を働くはずがない。そうエナは信じていた。

 だからこそ、危機の際に身を挺することができたのだ。


「あの時、銃で脅した方が良かったかもしれませんわね……」


 とっさの判断で最適解を導くのは難しい。

 マオならどうしただろう。そんなことを考えながら、エナはマオの髪を優しく撫でる。


 谷間に朝日が差し込み始めた。

 光に照らされて、マオの寝顔がより一層眩しく見える。


「ほら、早く目を覚まして。心配になりますわよ?」


 エナは微笑んで、マオの目覚めを待った。

 いつまでも友の傍らにいると、心の中で誓いながら。


 遠くでハーピーの羽音が響いているような気がした。

 だがもう、恐れることはない。


 目の前で眠る勇敢な親友。

 彼女の努力に報いるためにも、エナは強くあろうと決意した。


「一緒に耐え抜きましょう、マオさん」


 そう呟いて、エナはマオの手を握りしめた。


 どんな困難が待ち受けていようと、二人なら乗り越えていける。

 確かな絆を胸に、エナは新たな一歩を踏み出す覚悟を決める。


 朝靄が谷間を包み込む中、静かに時間は流れていく。

 二人の少女の絆は、この試練を乗り越えて、さらに強くなるだろう。


 マオの目が覚めた時、どんな言葉をかけようか。

 穏やかな微笑みを浮かべながら、エナはその時を待ち続けるのだった。

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