11:妬みの渦、闇に蠢く脅威

「――ハッ!」


 夜の修練場に、風を切る音が鳴り響く。

 小さくとも圧の強い音は、不規則なリズムで中央の影の動作と連動する。

 時折光る銀色の閃光は、彼女の剣の軌跡だった。


 修練場という言葉は聞こえがいいが、柵で区切られた単なる土地でしかない。

 しかしヴァリアはこの場を畏敬し、自身の糧としようとしていた。


 無心で身体を動かしてこそ、訓練となる。

 だが、ヴァリアの心には憂いがあった。


(マオがフォレストゴーレムを倒した? 本当なのか……?)


 先日、ヴァリアはマオに問いただした。

 彼女は「三人で」と少し訂正しながらも、肯定した。


 納得したはずだった。

 しかし、ヴァリアの心は晴れない。


(お世辞にも、マオが太刀打ちできる相手じゃなかったはず。魔王の記憶で攻略したと言うが……本当にあるのか?そんなことが……)


 雑念が募る。

 上級クラスでも強力と噂されるフォレストゴーレム。

 それが底辺クラスによって倒されたという。


 噂はすでに上級クラスにも広まり、信じる者と疑う者に二分されている。

 だが誰も本気にはしていない。話のネタ程度の認識だ。

 ただ一人、ヴァリアだけが真偽を確かめようとしていた。


(駄目だ。こんな調子では上手く動けない)


 動きを止め、振り回していた剣を鞘に収める。

 深呼吸をし、大きく息を吐く。


(本当なら、学園周辺の治安維持のため、私が倒すべきモンスターだったのに……)


 手柄を取られたことが気がかりなのではない。

 マオが突然『強くなった』ことを、ヴァリアは懸念していた。


 いつも後ろを歩き、愛想の良い可愛い後輩。

 それが一瞬で、自分の前を行くようになった。

 遠ざかっていくマオ。追いつけない距離感。


「――違う!」


 嫌な妄想を振り払うように、ヴァリアは頭を振る。


「マオがそんなことするはずがない。……いや、疲れているんだ。今日はもう休もう」


 修練場の出口へと向かうヴァリア。

 扉に手をかけた時、一つの影が佇んでいるのに気づいた。


 その影はローブをはためかせ、たおやかに微笑んでいた。


「勇者の末裔は大変なのですね」


 漆黒のドレスに身を包んだ女性。

 服は風に揺れ、流れに身を任せているかのよう。

 まるで彼女の性格を表しているかのようだ。


「学園の関係者ではなさそうだな……何者だ」


 事と次第によっては斬ることも辞さない。

 ヴァリアは敵意を隠さずに問う。


 しかし女性はフフッと笑い、ヴァリアに歩み寄る。


「心配無用。私はあなたの味方ですよ」


「それは言葉でなく、行動で示すものだ」


「手厳しいですね。真面目な方なんでしょう」


「当然だ。私は勇者の末裔。常に毅然とした態度が求められる」


「でも、そんなに強くないのでしょう? あの『勇者』の子孫にして、実力は無に等しいと言っても過言ではありませんよ」


「何……?」


「上級クラスでも中の下の成績でしたっけ? 勇者とあろう方がそれでいいんですか?」


「貴様……!」


「態度だけ取り繕っても、実力が伴わなければ阿呆の所業ですよ」


「よほど、私に嫌われたいらしいな」


「言葉でなく行動で示す。あなたの言葉ですよね?」


「――なら示そう。その口を斬ってやる!」


 瞬時に剣を抜き、女性へと斬りかかるヴァリア。

 普通ならローブの一つや二つ、容易く切り裂けるはずだった。


 だが女性はヴァリアの動きを看破し、一瞬で背後へ回り込んだ。

 四本の指をヴァリアの頬に這わせる。

 触れるかどうかのギリギリで、指を唇へと滑らせていく。


「もちもちしていて可愛いですね。勇者の末裔なんて残念な肩書きはやめて、踊り子にでもなったらどうです?」


「ふざけるな! ――な、何っ!?」


 手を振り払おうとするが、身体が言うことを聞かない。

 いや、手だけでなく全身が凍りついたように動かなくなっていた。


「少しの間だけ、大人しくしていてもらいます。こうすればゆっくり話せますからね」


 女性はフーッとヴァリアの耳に息を吹きかける。

 身体を震わせるヴァリアに、愉悦の笑みを浮かべる。


「マオに嫉妬しているんでしょう?」


「……ありえない。彼女は私の大切な後輩だ」


「あら? それなら何故、勇者には似つかわしくない妄想に耽っていたのかしら」


「何だと?」


「ずっと見ていましたよ、あなたのこと。マオが気になって仕方ない。おかげで今日の訓練も早めに切り上げた」


「…………」


「いけませんね。勇者たるもの、常に無心でモンスターを斬らねばならないのに。やはりあなたに才能はありませんね」


「くそっ! 動けさえすれば、貴様など――」


「マオさんはお上手ですよ? 魔王の記憶を引っ張り出して、自分の危機を救っているんですもの」


 ヴァリアの中に焦燥感が生まれる。

 いくら努力しても、実力は伸びない。これが自分の限界なのか。

 その疑問と向き合いながら、ヴァリアは鍛錬を重ねてきた。


 だが女性の言葉が、一つ一つヴァリアの心を蝕んでいく。


「あなたは勇者の末裔なのに、何も成し遂げていない。マオに抜かれるのも時間の問題ですよ」


「そんなこと……」


「ああ、忘れていました。マオさん、上級クラスへの編入試験を受けるそうですね。実力が認められたからでしょう。あなたと違って」


(自分とマオは、違う……?)


「マオは成功し、あなたは失敗続き。才能ある後輩を持つと先輩は苦労しますね。地位を脅かされるかもしれません」


(脅かされる? マオに?)


「反旗を翻されでもしたら、怖いですよね。マオさんが突如豹変して、あなたを見下すようになったら。魔王の生まれ変わりのあの子、調子に乗るきらいがありますし」


 通常のヴァリアなら、女性の言葉に惑わされることはない。

 だが今は違う。マオの急成長と、自分を追い越すのではないかという不安。

 うだつの上がらない自分の現状。家族からの重圧。焦燥と恐怖。


 魔法のように、女性の言葉がヴァリアの心に浸透していく。


「嫌でしょう? マオに抜かれるのは」


「……ああ」


「いい方法がありますよ。マオを殺しましょう。邪魔なんですもの」


 殺害。その言葉に、ヴァリアは一瞬我に返る。

 しかし女性の甘言は続く。正気を取り戻す隙を与えない。


「あなたがケリをつけるんです。マオを殺せば、きっと努力は報われる」


「……そうか。マオを殺せば、私の方が強い……? 努力が実る……?」


「実りますとも。今のマオはあなたより強いかもしれない。そんな彼女を倒せば、確かな証明になりますから」


 自ら選択したことだと思わせる。

 動機付けを強め、ヴァリアに強い納得感を植え付けようと、女性の口調は饒舌さを増していく。


「あなたが世界を変えるんです。マオは魔王の生まれ変わり。宿敵でしょう? 勇者なら殺さねばなりません」


「……そうだ。私は勇者……マオは、敵だ……」


「なら、目的は一緒。私は――」


「味方、だ」


「嬉しいですね。私たち、仲良くなれそうです。ベルカナンと申します。以後、お見知りおきを」


 漆黒のドレスをはためかせる女性――ベルカナン。

 妖艶な微笑みを浮かべながら、ヴァリアに手を差し出す。


 揺らぐ心を巧みに操られ、ヴァリアはその手を取った。

 復讐心と嫉妬に塗り潰された瞳は、もはや正気の輝きを失っている。


「さあ、始めましょう。マオ討伐の計画を」


 ベルカナンの唇が、不吉な笑みを湛えて歪む。

 闇に呑まれたヴァリアの心。

 彼女はもう、後戻りできない道を進み始めていた。


 マオへの妬みが生んだ、悲劇の幕開けである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る