10:決意と影

「おはよう、レイレイ! エナっち!」


 翌日、マオは友人に変わらぬ明るい笑顔を見せる。

 ヴァリアに打ち明けた悩みを、彼女は友人には隠した。

 自分のちっぽけな迷いで、大切な仲間を心配させるわけにはいかない。

 自分の元気でみんなを励ましたい。そう思っていた。


 だが日常の中に、小さな変化があった。

 マオが挨拶する友人が一人増えたのだ。


「おはようですわ、マオさん」


「おはよう、マオちゃん」


 二人の友人は、それぞれマオに挨拶を返す。

 ちょうど寮から学園の入り口あたりで、三人の歩みが重なった。


(これでいい。ずっとこの時間が続けばいいのに)


 レイレイに抱きつき、その胸の中で頬ずりをするマオ。


「レイレイ~! 昨日の放課後は寂しかったよ~!」


「マ、マオちゃん!」


「あぁ……一日ぶりのレイレイを補給できる幸せ……」


「だったら、わたくしたちと一緒にお菓子作ればよかったじゃありませんか」


「えぇー、お菓子作りメンドーだもん」


(嘘。二人の仲がもっと深まるかもしれないんだよ。私なんかお邪魔なんだよ)


「まったく、本当に可愛げのない人ですわね」


「でも、昨日のエナちゃんはとっても可愛かったよ?」


「え゛!?  レイレイさん!?  な、何を言ってますの!」


 顔を真っ赤にするエナ。

 そのタイミングを逃さず、マオは彼女をからかい始める。


「おやおや? エナっちさん。昨日はどんなお楽しみだったんですぅ?」


「わ、わたくしはただレイレイさんとお菓子を作っただけですわ! あなたには何の関係もありませんわ!」


「気になるなぁ。教えてよレイレイ!」


「うーん。でも、これはエナちゃんから直接聞いた方がいいから。ごめんね、マオちゃん」


「うぅ……! は、早く行かないと遅刻しますわよ!お二人とも!」


 マオの追及から逃れるように、エナは教室へと足早に向かう。

 それをマオとレイレイは笑顔で追いかけた。


 マオの望んだ日常が戻ってきた。彼女の悩みも一段落し、少しだけ幸せな日々が訪れる。

 そう信じていた。朝のホームルームが終わるまでは。


「あー、いつもの三人。ちょっと先生について来なさい」


「いつもの三人って誰さ? まさか私とレイレイ、エナっちのことじゃあないよねぇ?」


 そんな雑にまとめられるはずがない。

 マオはわざと自分たちの名前を挙げて、先生に冗談を言った。

 そう、マオは『冗談』のつもりだった。


 だが先生は、感心したように彼女を褒める。


「その三人だ。さすがはマオだ。察しがいいな」


「んなっ!?  先生! 私たちはそんなに雑な生徒だったんですか!」


「雑なのはお前の勉強だ……マオ。戦闘以外も成績を伸ばせ」


「うぐぅ……」


 先生からの呼び出し。それは穏やかな話ではないことを意味する。

 普通なら、何をしでかしたのかとクラスメイトの興味を引くだろう。

 だがこの三人の場合は別だった。クラスメイトは何の感情も抱かず、各々の日常を始めている。

 マオ、レイレイ、エナが先生を困らせるのは、これが初めてではないのだ。彼らにとっては見慣れた光景だった。


 しぶしぶついていくマオ。いつものことと受け止めるレイレイ。そして先生の真意を測ろうとするエナ。

 三人三様の反応で、先生の後ろを歩く。


 先生は空き教室へと三人を案内した。


「ここならお前たち以外に聞こえないだろう」


「……で、目的は何ですの?」


「この前、お前たちの推薦状を書いたと言ったな。その続きを話せそうなんだ」


「ということは、もしかして……」


 レイレイの瞳が輝く。

 まさか自分たちが通るとは思っていなかった。それが叶うかもしれない。

 だが先生は、首を横に振った。


「いや、俺もまだ結果は見ていない」


 先生は懐から折りたたまれた手紙を取り出す。

 封が切られていないその手紙の宛先は、学園の上層部。推薦状の結果が書かれているのは間違いない。


「先生! なら早く開けようよ!」


「よし。あ、開けるぞ……」


 ゴクリと唾を飲み込む三人。

 先生が慎重に封を切り、手紙を広げる。

 記された内容に目を通す先生の表情は、不満の色を隠せない。


「先生。その手紙の内容、教えていただけます?」


「……ああ。貴殿の推薦状を拝見し、上層部で検討を重ねた。その結果を以下に記す。上級クラスへの昇格試験を許可する生徒は――」


「生徒は?」


「――マオ」


「……わ、私?」


 マオは耳を疑った。自分が選ばれるとは思っていなかったのだ。

 確かに戦闘技術は一定の水準に達しているが、それ以外の知識は乏しい。

『試験』の資格とはいえ、上層部から見込みありと認められたことに、彼女は驚きを隠せない。


「――エナ」


「当然ですわね」


 一方のエナは、自分の実力に絶対の自信を持つ。

 当然と言わんばかりに、堂々とした態度を見せる。


「エナっちもなんだ! 良かった!」


「そうですわね。これで三人で試験に挑めば、昇格は間違いありませんわ――」


 自分とエナの名前が呼ばれた。

 ならばレイレイも呼ばれるはずだ。

 マオは無意識に、全員で試験を受けられると思い込んでいた。

 だがそれは、甘い期待に過ぎなかった。


「――以上を受験の見込み有りとし、昇格試験の権利を与えるものとする」


「……あれ?」


 先生の口が閉じる。手紙に記された内容は、これで全てのようだ。

 だがマオは、まだ現実を受け入れられずにいる。


「せ、先生。一人忘れてるよー。レイレイもそこに書いてあるんでしょー?もー、先生ってば私たちを驚かすのが大好きなんだから♪」


「いや、手紙に書いてあるのはこれだけだ」


「嘘だよ。見せてよ先生」


 バツの悪そうな顔で、先生はマオに手紙を渡す。

 受け取った彼女は、一語一句見逃すまいと目を凝らす。

 しかし何度読み返しても、内容に変わりはない。

 昇格試験の権利を得たのは、マオとエナの二人だけだった。


「――こんなのおかしいよ。だってレイレイもいたから、フォレストゴーレムを倒せたんだよ!?」


「マオちゃん。私は大丈夫だよ」


「レイレイ! こんなの間違ってる! 私はイヤ!」


「マオちゃん、私は納得してるんだ。ダメだったんだなって」


「そ、そんなレイレイ!」


(ああ、ダメだよレイレイ。自分の悪いところを言いそうになってる。そんな言葉、言わせたくない)


 自分を卑下しかけるレイレイ。そんな彼女の言葉を遮るように、マオは自分に話題を向ける。


「私、昇格試験受けないよ」


「マオさん、何を言ってるんですの? またとないチャンスですのよ?」


「レイレイも一緒じゃなきゃ、イヤ。レイレイがいないなら、私は受けないもん」


「……マオさん。お気持ちは分かりますわ。けど、もう少し……大人になった方が……」


 この数日、マオやレイレイと打ち解けてきたエナ。

 以前ほどマオに冷たい言葉をかけられなくなっていた。

 だからこそ、慎重に言葉を選んで彼女を諭そうとする。


「いや、先生が悪かった。無理に期待させてしまって、すまなかった」


「先生は悪くないよ」


「レイレイ……」


「うーん。やっぱりちゃんと魔法を使えるようにならないとね」


 レイレイはこの結果を受け入れている。

 あの時魔法が使えたのも奇跡に近かった。自分は守られてばかりで、何もできなかった。

 仮に昇格試験の資格を得ても、合格は難しいだろう。ならば、また勉強すればいい。

 この学園にいる限り、チャンスはいくらでもあるのだから。


 この日、マオはいつも以上に勉強に身が入らなかった。

 昇格試験は五日後の水鏡の日。だが意思表示は、明日中に求められている。

 放課後、マオとレイレイは学園の庭のベンチに座っている。ここは二人の憩いの場所であり、いつも楽しげな会話が弾む空間だ。

 だが今日は、沈黙が流れていた。

 お互いを意識しすぎて、言葉を発することさえ躊躇ってしまう。そんな中、意を決して口を開いたのはレイレイだった。


「マオちゃん。試験、受けるよね?」


「……イヤ」


 首を横に振り、マオはレイレイの言葉を否定する。


「イヤだ。だってレイレイがいなかったら、私……この学園でやっていけないよ」


「マオちゃん……」


「……分かってるんだ。自分がすっごくワガママだって。分かってるけど、レイレイも一緒じゃなきゃ……。それに、私がいないとレイレイも……」


 この学園生活の中で、レイレイの存在がどれほど大きいか。

 マオにとって彼女はかけがえのない仲間であり、心の支えだった。

 レイレイと離れたら、その支えを失ってしまうかもしれない。そう思うと、マオは怖くなるのだ。


「――マオちゃん。さっきから言ってるけど、私は大丈夫。嫉妬もないし、自分の力不足が原因だって納得してるから」


「…………」


「ねえマオちゃん。私のことを考えてくれるのは嬉しいよ。でも、私なんかを理由にして、マオちゃんが上級クラスに行けないなんて……。マオちゃんの足を引っ張りたくないの」


「レイレイ……べ、別に足を引っ張られてるなんて思ってない――」


 レイレイは人差し指をマオの唇に当てる。


「私ね、思うの。大事なのは、自分の成長じゃないかって。私たち、お互いに別々の道を歩もうとしてるけど、悪いことじゃないよ。だって私たちは、友達だもの」


「私が昇格試験に受かったら……レイレイは……」


「そうなっても、私はマオちゃんを応援するよ。昇格試験に受かるってことは、マオちゃんの可能性はここじゃ限界があるってことだから」


 マオの胸が熱くなる。

 離れても、友は自分を想い続けてくれる。それは何よりの励みになるはずだ。


「ありがとう、レイレイ。でも、やっぱり私は……」


「大丈夫だよ、マオちゃん。私たちはこれからも友達だし、場所は違っても、一緒に成長していこう。どんな選択をしても、私はマオちゃんの味方。一緒に過ごした日々は、絶対に消えないから」


 レイレイの優しい声に、マオの心は温かく包まれる。

 自分の選択がどうであれ、友情は変わらず続いていくことを知って、マオの心の中の葛藤は少しずつ解けていった。


(大丈夫。レイレイはずっと私と一緒。距離は離れても、心は絶対に離れない)


「――分かった。受けるよ。昇格試験」


「マオちゃん!」


「だからレイレイ! 私が試験に受かるように、応援してねっ!」


「もちろんだよ、マオちゃん! 頑張ろうね!」


「そうとなれば、エナっちにも教えなきゃ! 三人で、なんか試験の対策考えよう!」


 レイレイやエナと共に昇格試験に向けて準備を始めるマオ。

 友情と成長の大切さを感じながら、彼女たちは新たな一歩を踏み出していく。


 ……だがその影で、怪しい影がマオたちを見つめていた。今の彼女たちには、その存在に気づく余裕はなかった。


「ふふふ……おもしろい展開になってきましたね」


 影は恐ろしげな笑みを浮かべ、静かに姿を消していった。


 新たな試練が、マオたちを待ち受けている。

 昇格試験への道のりは、予想以上に険しいものになるかもしれない。

 だが今のマオには、仲間と共に乗り越えていく力がある。

 レイレイの言葉を胸に、エナと協力しながら、彼女は難関に立ち向かう決意を新たにしていた。


「絶対に合格してみせるんだから! みんなの想いを胸に、全力で頑張るよ!」


 マオの瞳に、揺るぎない意志の炎が灯る。

 それは彼女の、仲間への愛と絆の証でもあった。


 太陽が沈み、夕焼けが校庭を染める中、マオとレイレイは肩を寄せ合って歩いていく。

 二人の友情は、色褪せることなく、これからも続いていくのだろう。


「明日からは、本格的に試験勉強だね」


「うん! 一緒に頑張ろう、マオちゃん」


 それぞれの想いを胸に秘め、二人は笑顔で学園を後にした。

 新しい一歩を踏み出す勇気を、お互いに与え合いながら。


 これからもマオたちの絆は、様々な困難を乗り越えて、より強く美しいものへと成長していくのだろう。

 彼女たちの冒険は、新たなステージへと進んでいく。

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