9:先輩との会話

 マオたちがフォレストゴーレムを倒してから数日が過ぎた。

 先生の推薦状には何の反応もなく、結果は分からないままだ。


 だがあの異常な体験の後、マオは日常の安心感を感じていた。


 (もう、あんな思いはしたくない。)


 命の危険を感じながらも逃げられない恐怖。

 友を助けなければならない義務感。

 眼前のモンスターと対峙する緊張感。


 放課後のひと時、マオはベンチに一人で座り、たそがれ時の静けさを味わっていた。

 今日はもう、誰とも会わないだろう。

 そう思ったマオは、読書に時間を費やすことにした。


 普段は勉強を嫌うマオだが、ふとした気まぐれで本を手に取ることもある。

 今日がその日だった。


 一枚一枚のページを指でめくりながら、彼女は深い洞察力を瞳に宿す。

 静寂が広がる空間で、孤独を感じるどころか、落ち着きを見出していた。


 微笑みをほのかに浮かべる顔は、普段のマオからは想像できない。

 ただ読むだけでなく、言葉の奥に隠れた意味を汲み取り、自分自身と対話する。

 今の彼女は、文学的ですらあった。


 それは、重大な問題に直面した時のマオなりの整理法だった。


「……あれは?」


 そんなマオを見つけたのは、上級クラスのヴァリアだった。


 普段からマオやレイレイを気にかけるヴァリア。

 魔法の指導をしたり、特訓に付き合ったりもする。

 だからこそ、二人も彼女に心を開いているのだろう。


 本日も例に漏れず、静かに読書に没頭するマオが気になっていた。

 いつもと違う様子に、ヴァリアは戸惑いを覚える。

 ベンチに座って本を読むマオは、どこか品のあるお嬢様のようだった。


 声をかけるべきか迷ったが、今日はマオに用事があった。


「――マオ」


「……あっ」


 振り向いたマオは、小さな声を上げる。


「ど、どうしたのヴァリア先輩! 嫌だなぁもぅ! いるなら早く声かけてよー!」


 ヴァリアの姿を認めたマオは、すぐにいつもの元気な表情に戻った。

 そのことに、ヴァリアは安堵する。これぞ、彼女の知るマオだ。


「すまない。声をかけるべきか迷ってね……少し、いいかな?」


「少しどころか、いつでもどうぞ!」


 一人でベンチを占領していたマオは、隣にスペースを作る。

 ヴァリアは礼を言い、ゆっくりと腰を下ろした。


「今日、スレインは?」


「他の友達とお菓子作りなんだ。だから、今日は私フリー」


「一緒に作らないのかい?」


「私が行っても迷惑かけるだけだし。料理下手だし……」


 自分の手を見ながら語るマオ。


「そうか。他にも友人がいるのは良いことだね。マオも、その子たちと仲良しなのかな?」


「うん。レイレイと同じくらい、大切な友達だよ」


 (って、これエナっちに聞かれたら、からかわれそー。内緒にしとかなきゃ……。)


「あ、これ秘密にしてね! レイレイとエナっちには言っちゃダメだよ!」


 慌てるマオに、ヴァリアはクスリと笑う。何度も頷き、マオを安心させた。


「分かった分かった。二人だけの秘密、ということだね」


「うん! ありがとうヴァリア先輩。やっぱり先輩は話が分かるなぁ」


「実は今日、マオに用事があるんだ」


「私に用事? 何だろ……」


「これは噂で聞いたんだけど、フォレストゴーレムを倒したというのは、本当なのかな?」


「あ……うん! 本当だよ! 私とレイレイとエナっちの三人で倒したんだ!」


「本当だったのか……すごいね。どうやって倒したの?」


「それは……えーっと……」


 言葉に詰まるマオ。悩みを人に打ち明けるのは、勇気がいることだ。

 彼女はヴァリアの瞳をじっと見つめる。そこには曇りひとつない。


 だから、マオは勇気を出せた。


「――あの、ヴァリア先輩」


「何かな?」


「先輩だから、相談したいことがあるの。相談……乗ってくれる?」


「私で良ければ、喜んで」


 マオは語り始める。夢の話を。


 勇者と魔王の戦い。臨場感があり、自分がそこに『いる』かのような現実感。

 夢の後から湧き上がる、自分が『魔王』だったかもしれないという奇妙な感情。


 興味深そうに耳を傾けるヴァリア。そして、ある疑問を口にした。


「勇者ではなく、魔王なのはなぜかな?」


「――だって勇者の末裔ですから、ヴァリア先輩は」


 ハッとして、ヴァリアは自分の失言に気づく。


 勇者の末裔として期待される彼女。期待に応えようと努力を重ね、人に優しくしようとする。

 だが結果は伴わない。家系に生まれた、悲しき運命だった。


「そうだったね……。ごめんマオ」


「あ、気にしないで! でね、それから……突然頭に閃きが浮かぶことがあるんだ。みんなを助けたい、守りたい、絶対に勝ちたい。そう思ったら『正解』を思い出すの。戦う相手の」


「正解?」


「その時は本当に助かるんだけど、何か、その、自分と違う何かに侵食されてそうで……後でいつも怖くなるんだ。えへへっ、何だかバカみたいだよね。私は私なのにさ」


 シリアスにならないよう、マオは笑顔を作る。

 しかしヴァリアには、その笑顔の裏に潜む葛藤や困惑が見えた。


 (力があるのに、どうして目の前の少女は嫌がっている?)


 一瞬、ヴァリアの中に綻びが生じる。慕ってくれる後輩――マオ――が本気で悩みを打ち明けてくれた。

 それは自分への信頼の証だ。だが、学園外のフォレストゴーレムを倒したこと。ヴァリア自身が倒そうと特訓していたのに、少女はそれを無に帰した。


 本当に自分を慕っているのだろうか?


 (どれだけ努力しても、自分には力が宿らない。)


「先輩? どうしたの?」


「――あっ、いや、何でもないよ」


「……ごめんなさい。やっぱり、こんなこと話すんじゃなかったかも」


「マオ。私から言葉を贈るとしたら……」


 次の言葉を待つマオ。

 ヴァリアは説得力のある言葉を、慎重に選びながら紡ぐ。


「突然目覚めたから、怖いのだと思う。『力』の使い方が分かれば、恐怖も薄れていくだろう。友のために使う力なら、悪さはしないさ」


 気休め程度の言葉しか浮かばない自分に苛立ちを覚えつつ、ヴァリアはマオの反応を伺う。


 マオは彼女の言葉にある程度納得できたようで、安堵の表情を浮かべた。


「そう、だよね? うん。安心した……。――ありがとう、ヴァリア先輩。やっぱり先輩は凄いよ……!」


 (自分は凄くない)


「私は……」


「先輩に相談して正解だったよ! 私、ヴァリア先輩に出会えて良かった!」


 マオの言葉は、純粋な思いから発せられたものだ。

 しかし今のヴァリアには、それさえも自分を嘲笑する皮肉にしか聞こえなかった。


「それは……私の台詞だよ、マオ」


「え?」


「君のような後輩に恵まれて、私は幸せ者だ」


 ヴァリアは精一杯の笑顔を作り、マオに向ける。

 だがその笑みの裏で、彼女の心は深く傷ついていた。


「フォレストゴーレムを倒したこと、他の人には内緒にしておいてくれ。特に先生方には」


「どうして? すごいことなのに」


「過度な期待をされるのは、君にとって良くない。ゆっくりと、自分のペースで力を育んでいけばいいんだ」


「……分かった。ヴァリア先輩が言うなら、きっとそうだよね」


「ああ。君なりのやり方で、前に進んでいってくれ」


 立ち上がり、マオに背を向けるヴァリア。

 歩き出す彼女の背中には、マオには見えない影があった。


「また話を聞かせてくれよ、マオ」


「うん! また相談するね、ヴァリア先輩!」


 二人の別れを惜しむように、夕陽が優しい光を草原に投げかけている。


 ベンチに一人残されたマオ。先輩の後ろ姿が見えなくなるまで、彼女はその場を動けなかった。


 ヴァリアとの会話は、マオにとって救いであり、同時に新たな不安の種でもあった。

 力を恐れる必要はない。だが、ならばなぜ。

 なぜ先輩は、力を求めながらも苦しんでいるように見えたのだろう。


 太陽が沈み、辺りが茜色に染まる中、マオは一人佇んでいた。

 先輩の苦悩を理解したいと願いながら。

 そして自分自身の力の在り方を、見つめ直そうとしながら。

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