第23話 #会いたい①

 徹夜明けでいつもより五時間早くダンジョンに臨んだ清巳は、中層一階の地面を踏んだ。

 本当は早いところ二人のもとに行きたいのだが、魔動装甲車が次に北東の都『みちのく』に向かうのは週明けになる。おおよそ五日に一度しか『みちのく』行きの便がなく、それまでは動きようがないのである。

 家で大人しく過ごす、という選択肢は清巳の中に存在しない。最愛の弟妹がいるならば、掃除をしたり庭の手入れをしたりして帰ってくるまで時間を潰すのだが、いないと分かっている家にいるほうが苦痛でならなかった。

 配信を開始した清巳は、首を掻きながら軽やかに口を開いた。


「先月、妹の誕生日を無事に終えてな。妹の希望でパスタを二種類作ったんだが、二人とも美味しそうに平らげてくれてな。やっぱり成長期食欲はすごいな。このまますくすく健やかに育ち続けてくれたらなにも言うことはない」


  [兄、早くない? 早すぎない? 朝五時だよ?]


 ぽつりとコメントが一つ視界の隅に浮かぶ。


「月日が経つのが本当にはやい。あんなに小さかったふたりが今やねえ」


 清巳はしみじみと呟いた。

 七年という月日は子どもが成長するには一瞬で、とても貴重な時間だ。探索者であることに固執したことで、思い出が少なくなってしまったことは、今でも惜しい。


「今年は嬉しいことにな、誕生日プレゼントに簪を希望されてな。ようやく簪の特注を受けてくれる人と話しがついて、デザイン詰めで話が弾んだ結果、良い感じに決まって」


 前方で待ち構えていたオーグルが棍棒を振り抜いた。後方へ飛び退いたそこへ、オーグルの背後から火球が飛ぶ。

 地面を蹴って火球に自ら突っ込んだ。炎を切り裂き、オーグルの懐へと潜り込む。突き出したオリハルコンの剣。硬い反動が手に返った。

 切っ先を棍棒で受け止めたオーグルが、力で剣を押し返してくる。力相撲から距離を取った清巳の足下に矢が突き刺さった。

 二対の赤い眼が爛々と輝いている。

 なるほど。変異個体の、しかも二体の連携は少々めんどくさい。


「あれを身に着けた妹の可愛さは倍増するに決まってるから楽しみで楽しみで」


 惚気を垂れ流していると、弓を番えたオグレスの首が落ちた。


「ギャ……⁉」


 オーグルの背後で放たれた殺気。一瞬、敵の意識が逸れた。

 その隙に間合いを詰め、頭部目がけて剣を振り下ろした。

 縦に二つに割れた敵。少しばかりの緊張感を、気の抜ける奇抜な笑い声が打ち破った。


「ぬへっ、ぬへへっ」


 一気に脱力した清巳は、欲望丸出しな声の持ち主を半目で睨む。すりすりと深い青色の魔鉱物に頬ずりしている静の顔はでれでれと溶けていた。

 無言で立ち上がって彼女に近づき、頬ずりしているのとは反対の、右の頬を指で摘まんだ。


「んにょっ⁉」


 みにょんと伸びる頬をさらに伸ばす。


  [テレレン。座敷童子ちゃんが現れた!]

  [……イツメンがいないのむなしー……]


 ぺしんと手をはたき落とされて清巳はひりひりと痛む左手を一瞥する。


「何するの」


 不機嫌そうに目を細めて静が睨み上げてくる。


「これについては礼を言うが、それはそれとして、紙に書いて押しつけるのではなく俺の予定も確認しろ。あと、受け取るだけとはいえ、事情も分からないまま人を放り出すな」

「予定の確認ってなに?」


 小首を傾げた静に清巳はため息を飲み込んだ。


「先方が忙しい人っていうのが分かってたから仕方がないけどな、俺だって弟と妹とお出かけ予定だったんだよ。二人に会えない足りない弟のご飯食べたいのに食べられないの」

「いないの?」

「お泊まり旅行だからな。いないの。会えないの。いい機会だし旅行に行こうって思って決めたのに」


 口にしているうちに悲しくなってきて清巳は力なくうな垂れた。


「ついでに簪の注文できたからいいんだけどな。会えない……」

「会えないから寝てないの?」

「寝られるかよ。通話で声は聞けるし顔も見れるけどそこにいないんだよ弟のご飯食べられないし妹のお菓子食べられないし、なんで俺今ここにいるんだろう……」


 無性に悲しくて深々と息を吐き出してしゃがみ込んだ。

 もういっそこのまま穴に埋まって消えたい。なんで弟と妹がそばにいないんだろう。


  [起きたらなんか兄がめそめそしてるんだが]

  [きよ兄、また寝てないの?]

  [朝っぱらから何してんだよクソ兄貴。寝ろ]


 長期休暇中とはいえ、早起き習慣が身についている弟妹のコメントに少しばかり心が浮上する。


「二人の気配ないから寝られないだけで、大丈夫だ」


 もともと眠りが浅く、熟睡できているとは言えないのだ。徹夜の二日や三日や五日や十日、たいしたことではない。


  [いやそれ大丈夫ではないのでは?]


 冷静なコメントが虚しく視界の隅を流れる。


「二人のところ、行かないの?」


 不思議そうに尋ねる静に、清巳はふて腐れた声で答えた。


「毎日便が出てたら速攻行ってたよ。ないからまだ動けないだけで。次は週明けだ。それまで動けない会えない無理。……むり……」


 かなり心がぐらぐらと揺れている。四年前に二人に大泣きされて以降、学校以外で長いこと離れたのは初めてだ。自覚している以上にかなり精神的に参っている。

 はは、と口からこぼれ落ちる乾いた笑いがひどく虚しい。


「ごめんなさい」


 清巳の前にしゃがんだ静が、両手を地面について頭を下げた。

 僅かに顔を上げてその後頭部を見つめた清巳は剣を地面に置いた。顔を上げた静の頬を両手で包んでこねくり回す。


「にゅ?」


 奇妙な声を上げながら、けれども静はされるがままになる。

 ぐるぐると回して、摘まんで、揉んで、清巳は無心で静の頬を弄ぶ。


  [兄、それはセクハラ]


 しばらく大人しく頬を揉まれていた静が、止まる様子のない清巳に尋ねた。


「楽しいの?」

「……妹のほっぺは柔らかくて気持ちいいんだよな……って。弟は触らせてくれないんだけど」

「そっか」

「今頃、朝ご飯を食べてるんだろうな。いいな、食べたいな俺も食べたいな……美味しそうに食べてるだろう妹のほっぺつつきたいな……」


 乾いた笑いを浮かべながら虚ろな瞳で静の頬を揉み続ける。


  [アニマルセラピーじゃないんだから]

  [今北産業。早くない? なにしてんの?]

  [それな。兄の目が死んでるんだが]

  [家族旅行の予定が兄だけ後追いに→座敷童子ちゃんで癒やされてるなう]

  [おけ、いつとは違った見守りだな]

  [ふたりがいないとメンタル溶けるのか]

  [今日の朝ご飯は卵焼きと魚のホイル焼きだよ]


 妹のコメントに目元を和めた。


「卵焼きとホイル焼きか。朝からしっかり食べててえらいな、かわいいな」


 伊地知家の卵焼きは甘くない。克巳の気分で甘くなることもあるが、作り手の好物であるだし巻き卵が並ぶ。ホイル焼きは鮭だったり白身魚だったり、季節の魚で作られる。味付けは簡単にバターや醤油で、どちらもご飯が進む一品だ。


  [きよ兄はなに食べたの]


 妹の問いに今朝のことを思い返して、清巳は視線を彷徨わせた。静の両頬をつまんで引っ張る。


「うん、なにかは食べたぞ」


 すぐに手を離してやさしく撫でるように再び揉む。


  [察し]

  [食え]

  [食べてないんかーい]


 その手を静は手首を掴んで引き剥がした。手のひらを上に向けさせて、その上に空間収納から取り出したものを置く。


「ご飯あげる」


 そう告げて渡されたものに、清巳は表情を強ばらせた。





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