第一章 第7話

 静まり返る会議室。空調の音を掻き消すかのように降り出した雨。窓ガラスに水滴がついては、下に流れ落ちていく。


「咲佑、十日経ったうえで今どんな気持ちでいる?」

「正直言って心境に変化はない。話しておいてなんだけど楽になったとかも分からないし、苦しくなったとかもない。ただ、自分のことよりも、話を聞いたみんながどう思ったかが知りたいとは感じてた」

「そうか」

「それで俺の話を聞いてから今日まで、何か思ったことあるかを聞きたい。まず凉樹から、聞かせてくれ」

「そうだな。俺は、咲佑が脱退することには反対だ」


 凉樹の発言は、前ほどのパッションを感じられなくなっていた。何かまだ隠し持っている思いがあるんじゃないかと思えてしまうほどに。


「うん。じゃあ次は朱鳥の意見を」

「改めて考えてみたんですけど、俺は咲佑くんがどんな道を進んだとしても、憧れの存在であることに変わりはないんすよ。NATUralezaに残ってくれても、脱退したとしても、俺が憧れた咲佑くんが生きてくれてるだけでいいかなって。すごい馬鹿みたいっすよね、俺。でも俺にとっては、どんな咲佑くんでも憧れの存在なんです。例えば急に脱退とか言い出す、そんな人でも」


 朱鳥の視線は終始泳いだままだった。動揺しているとかそういう感じではなく、視線が合ったタイミングで意図的に逸らす。恐らく朱鳥は嘘をついているのだろうと咲佑は感じ取った。ただ何が嘘か分からないからこそ、これ以上何も追及しないことにした。


「うん。じゃあ次は夏生の意見を」

「はい。僕は、咲佑くんに明るい未来が訪れるほうを選んで欲しいです。だから僕は敢えて脱退がいいとか残って欲しいとか言いません。言っちゃったら何か分からないけど、何かが終わる気がするので」


 夏生の一歩引いた目線からの意見を聞いた咲佑は黙っていられなかった。それは多分夏生はもっと違う意見を持っているはずだと感じたから。


「夏生、まだ言いたいことあるんじゃないか?」

「えっと・・・」

「夏生は、いつも一歩引いた目線から意見を言ってくれる。そういう意見は夏生がいないと出ないから助かってる。でもさ今日は夏生の誕生日だろ? 今日ぐらい弱音を吐いてもいいんだよ。敢えて言わないっていう道を選んでるんだろうけど、俺は夏生の本音が聞いてみたい。だから抱いてきた思いを教えて欲しい」


 咲佑が全く視線を逸らそうとしないために、夏生は俯くしかなかった。唇は小刻みに震えていた。


「じゃあ誕生日の今日だけ、今日だけ弱音吐きます」


呼吸を静かに整える夏生。咲佑含めた四人は夏生が言葉を放つのをただただ待った。


「咲佑くんが脱退するなんて悲しすぎます。別に脱退を選ばなくてもいいんじゃないかって思うんです。まだまだ咲佑くんと一緒にNATUralezaで活動したいんですよ。メンバーが四人になっちゃう未来がくるのは怖いし、嫌なんです。凉樹くんと朱鳥くん、桃凛のことを信用してないってわけじゃななくて、僕は五人でNATUralezaだと思ってるので。それに咲佑くんがいることで僕らメンバーは安心して仕事ができてるところもあると感じてます。あと咲佑くん普段から仕事がないって嘆いてますけど、咲佑くんの恋愛対象が男性であることを公表すれば、また違う方面からの仕事の依頼が来ると思うんです。公表すればファンだけじゃなくて勿論関係者にも衝撃が走るだろうけれど、それでNATUralezaの仕事の幅を広げることもできるかと。あ、僕は決して咲佑くんを利用したいとかじゃなくて、どんば咲佑くんもNATUralezaの一員であることに気付いて欲しいんです。ただそういう思いで……」


 夏生がメンバーの前で初めて吐いた弱音と本音。その思いに感動したのか涙もろい桃凛は知らず知らずのうちに涙を零していた。


「何で桃凛が泣いてんだよっ」


朱鳥が空かさず突っ込みを入れる。凉樹は桃凛の泣き笑いの顔を見て聖母のように微笑む。


「だって、夏生くんの話を聞いてたら、つい感動しちゃってぇぇ」

「感動しても泣くのは桃凛じゃないだろーよ。ほんと、桃凛は涙もろいな」


朱鳥が少年のような笑みで言う。桃凛の目から零れた一筋の涙を朱鳥が優しく指の腹で拭う。自然体のままに。


「じゃあ最後は桃凛の意見を」

「僕はぁ、咲佑くんの背中を押してあげることしかできそうにないですぅ。十日間、必死に考えたんですけどぉ、やっぱり咲佑くん自身が傷ついたり病んだりしちゃうのは避けてほしいことですしぃ、悲しくなっちゃいますからぁ」


 泣き面で言うためかいつもより語尾を伸ばしているように聞こえてしまう。


「そうか。分かった」


  この十日間、何も考えていなかったのは咲佑だけだった。脱退する、しないの問題を議題に出したのは自分自身であるのに、解決に導くための糸口を見つけていない。完全に人任せにしてしまっていた。咲佑はメンバ―に比べてまだまだ子供で、自分に素直になれていなかったのだ。そう思えば思うほど悔しくて、自然と涙が溢れてきてしまう。そして誰にも見られることなく、咲佑は静かに涙を一滴、黒いTシャツに落とした。


「咲佑くんに聞きたいんすけど、咲佑くんってグループに残りたいって気持ち、どんぐらい持ってんすか?」

「あぁ、それ俺も聞いてみたかった」


 真剣な目つきで聞いてきた朱鳥と凉樹。咲佑は目を擦るふりをして涙を拭きとり、二人の目を見ながら、こう答えた。


「脱退したいっていう気持ちが六割、脱退したくない気持ちが一割、公表することで出てくる影響に抱く恐怖心が三割、って感じだな」


でも、これはその場でついた嘘だった。本当のことを言えば、公表してからの影響を恐れる気持ちが九割を占めている。でも、俺まで弱音を吐くことは許されないと思ったからこそ、そう答えてしまった。そうなれば、嘘をつき通すしかない。


「俺のこと助けてあげようとか、可哀想とか、皆にはそういう気持ちでいて欲しくない。ただ、やっぱり同性愛者であることとか理解されにくい現状があるから、周りから偏見の目で見られることも多々あると思う。俺自身は別にどんなことを言われてもいい。でも凉樹、朱鳥、夏生、桃凛の四人に酷い言葉とかが浴びせられたりするほうが怖い。そのことでグループの活動に影響があるんなら俺は脱退したほうがマシだと考えてる。皆に迷惑かけるのも嫌だし、そういうことが重い荷物になるんなら、俺がすべてを背負う。そういう覚悟でいる」

「咲佑くんがすべてを背負わなくてもぉ…」

「桃凛、ありがとな。でも俺のことでメンバーに迷惑をかけるのは違うと思ってる。だから―」

「咲佑!」


 咲佑が話している途中、凉樹の中のパッションが弾けたのか、突然目つきを変え、口調を変え、椅子から腰を上げ一人立ち上がった。そのことに驚いた夏生が小さく「えっ」と声を出した。


「咲佑、なんで全部自分が背負おうとしてんだよ! 自分が背負えばマシとかって考えてるんだろ? その考え間違ってる。それじゃ、お前のメンタルがやられて終わりだろ! 背負えるものを分け合ったら、それだけお前は楽になれる。朱鳥とか夏生とか桃凛に背負わせたくないなら、俺がその分背負ってやる。それぐらいの覚悟を俺も持ってる! 俺はNATUralezaのメンバーとして、リーダーとして、咲佑の友達として、どんな形になろうとも支えていく。咲佑の今までの苦しみとか俺には分からないことも多い。でも今からでも遅くないなら、俺にもその苦しみ分けて欲しい! 共有させてくれ! 俺が嘘を言ってないことぐらい、お前が一番分かってるだろ? なぁなんか言えよ。咲佑、お前の思い聞かせろよ! ぶつけてみろよ!」


 凉樹は息を切らしながら椅子に腰かける。朱鳥、夏生、桃凛の三人は、普段の凉樹なら見せることのない一面に、未だ驚いたままでいる。咲佑も凉樹がここまで熱くなっている姿を見るのは初めてで、嘘をついたことに罪を感じた。本音を言わなければならないと思い始めた。


「ごめん。俺、さっき朱鳥に聞かれた質問の答え、嘘ついてた」

「え」

「やっぱりな…」


溜息まじりに言う凉樹。咲佑の考えていることはお見通しだと言わんばかりに。


「本当は、俺は脱退したいとかしたくないとか、そんなことよりもメンバーへの影響のことを一番に心配してる。男を好きになるのは俺自身の問題だ。でも、そういうメンバーがいることによってファンが減ったり、皆の個人仕事が減ったりするんじゃないかって考えたんだ。俺がいることでどんな影響が出るかなんて、実際に公表してみないと分からない部分もある。でも、大体予想できるだろ? 俺の仕事が奪われるのはいい。元々仕事量も少ないし、母から芸能界に向いてないって言われてるぐらいだから。ただ、凉樹はバラエティ番組に出てるし、朱鳥は歌が上手いから音楽系の番組に呼ばれたりしてるし、夏生は主演映画の公開も控えてるし、桃凛は頭脳を活かしてクイズ番組に出たりもしてる。俺とは違って個々の能力を存分に発揮してる。だからこそ、いまここで影響が出て欲しくないんだ。俺やっぱりNATUralezaのことが好きだから、だから怖いんだよ」


 朱鳥がボソッとした声で何かを呟いた。誰にも聞き取れない声量で。


「咲佑くんにも凉樹くんにも抱えきれない荷物、僕にも背負わせてください。グループのことを二人だけに背負わせません。僕だってNATUralezaの一員なんですから」

「だったら! 俺も背負います」

「どうして」

「年下の夏生に背負わせるの、カッコ悪いじゃないっすか」

「そんな理由かよ」

「突っ込まないでくださいよー。いいじゃないっすか」

「ごめんごめん。ありがとな、朱鳥」


凉樹が朱鳥の頭を撫でる。朱鳥は恥ずかしそうに目を細める。


「朱鳥くんも夏生くんも背負うなら、僕にも背負わせてください」

「桃凛も?」

「はい。皆で背負えば一人で背負うよりも軽くなりますからねぇ」

「確かにな」

「やっぱり桃凛も大人になったなあ」

「だからぁ、揶揄わないでくださいよぉ」


 桃凛の浮かべる笑顔につられる形で夏生の頬も緩んでいた。心から笑えていないのは咲佑だけだった。俺は駄目な人間だと言い聞かせる咲佑の肩に、徐に手を伸ばす凉樹。それは、凉樹は咲佑の恋愛対象になっていることを忘れたことにして、ただ咲佑のことを想っての行為からだった。


「咲佑」


咲佑の瞳が捉えたのは凉樹の顔ではなく、Tシャツからはみ出した男らしい鎖骨だった。慌てて目線を逸らそうと左を向いた瞬間、既に凉樹の顔がすぐ横にあった。急にドキドキと音を立てて騒ぎ出す心臓。咲佑は高鳴る胸の鼓動を抑えることができないまま、「何?」と言ってしまう。凉樹は咲佑がドキドキしていることなど知る由もなく、耳元でこう呟く。


「お前なら大丈夫だ。俺が傍にいてやるから」


咲佑の胸はさらに鼓動を早くする。緊張のあまり凉樹の顔を直視できない。


「辛くなったらいつでも頼れよ」


耳元で発せられる凉樹の低くて甘い声。咲佑の体温は上がる一方で、下がる気配がない。行為をされた側の咲佑も、行為をした側の凉樹も、二人ともに妙な緊張感が走る。咲佑が感謝を言葉にしようとしたとき、凉樹のほうが先に口を開いた。しかも、さっきよりも咲佑の耳元に近づいて、さらに男らしい声を出して、こう言う。


「だって俺は―」

「え?」

「まぁ、そういうことだから。今言ったこと、俺と咲佑だけの”秘密”だからな」


凉樹が言ったこと。それは雷鳴に搔き消されてしまい、咲佑の耳に届くことはかなかった。それでも咲佑は何となく分かっていた。その聞こえなかった言葉を、静かに胸の中に仕舞い込んだ。


 凉樹は何事もなかったかのように、朱鳥たちが会話する中へと自然な形で合流する。朱鳥も、夏生も、桃凛も表情は笑っているものの、やはり目の奥は真剣そのものだった。自分のせいで雰囲気を壊していることに気付いてはいるものの、何と声を掛けていいか分からない咲佑は、少しだけ無理をして周りと遜色のない笑顔を見せる。


「ごめん」

「えっと…」

「みんなの言う通りだよ。悩みって誰かに相談しないと解決できないもんな。俺一人で解決しようなんて、まだ早かった。俺は馬鹿だ。もっと素直にならなきゃな…。ごめんな、俺のことでこんな暗い雰囲気にさせて。今日みんなが俺に言ってくれたこと一生忘れないから」


凉樹は赤らんだ耳を隠すように触りながら、今日一番の笑顔を見せる。


「あったり前だろ? てかやっぱり、俺らに暗い話し合いは似合わないな」

「笑顔が一番っすよ」

「そうそう。俺らは全員夏生まれなんですからぁ、太陽みたいな笑顔で過ごしましょうよぉ」

「どんなに暗い内容でも、自分たちが明るくいないと、ですね」


朱鳥、桃凛、夏生の三人は、凉樹に負けないほどの眩しい笑顔を見せていた。


「咲佑。お前は不器用な人間なんだから、そういうことは器用な俺らに任せてくれればいつでも解決してやる。年齢は関係ない。俺らはNATUralezaのメンバーで、唯一無二の仲間なんだからよ。咲佑が抱えてきた悩みは人一倍苦しいものだと思う。だからこそ今からでも遅くない。俺たちに教えてくれないか? 咲佑のこと、もっと知りたいから」


もっと知りたい。その言葉が咲佑の胸に潤いを与える。


「……だな。俺、ちゃんともう一回NATUralezaのメンバーとして話をしたい」

「そうとなれば決まりだな。よし、一旦休憩挟んでから、また話し合いするぞ」


凉樹の発言に、四人は大きく頷く。決意を新たに。


 咲佑は天井の空調をぼんやり眺める。小さな埃がエアコンから吐き出される空気によって揺らされながらも必死に耐えていた。咲佑はこの埃に自分の意思を託し、落下してくるまでに話を終わらせようと決めた。五人の間に生まれた溝は、絶対に自分の手で埋めてやる。

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