第6話
俺が悩みを打ち明けてから十日。メンバーに対して複雑な思いを抱いたまま、夏生の誕生日当日を迎えた。俺は決戦日当日、すぐに脱退の話がまとまるものだと考えていたために、夏生へのプレゼントも用意できていないし、そもそもどんなテンションで夏生をお祝いしてあげればいいのか、分からなくなっていた。誕生日に暗いままでいるのは、メンバーに迷惑をかけることぐらい分かってる。だからと言って、わざと明るく振る舞うのは自分のキャラにも合わないし、かえってメンバーに心配をかけてしまうだろう。その白黒思考のせいで、俺は平然を装うことができなくなった。でも、そういうテンションでいるのは俺だけ。三人は今日の主役を祝う気満々でいた。
*
凉樹、咲佑、桃凛の三人は会社四階にある会議室にいた。夏生と朱鳥、二人の合流予定時間はまだ先なのに、暑さのせいで外に出る気にはならず、冷房の効いたこの会議室で、特に何かをすることもなく、ただ待つことにした。ブラインドの隙間から差し込む、眩しいほどの陽の光。天井の空調から送り出される、どこか埃っぽい冷気。普段と変わらない感じで話をする凉樹と桃凛。会議室の外から聞こえてくる、会社関係者同士の楽しそうな会話。いつもと同じ感じなのに、なぜか咲佑にはこの会議室の空気は明らかに重く沈んでいるようにしか感じられなかった。
この十日間、仕事がなかったのは咲佑だけで、ほかの四人は個人仕事をこなしていた。その間、メンバーがどんな思いで過ごしていたのか、咲佑は全くもって知らない。かと言って、改めて聞いてみたいとも思わなかった。そもそも、咲佑はそのことを聞く勇気を持ち合わせていなかった。聞いてみたいと思えば思うほど、震える拳。誰にも見られないように、咲佑はテーブルの下で拳を反対の手で握る。でも、この一連の動作を見ていたのか、それともやはり咲佑の普段とは違う雰囲気のせいか、凉樹は気が気じゃない様子で、桃凛との会話の途中で咲佑に声を掛けた。
「咲佑、ちょっといいか」
「何?」
平然を装うとするのに、咲佑の声はオドオドしているのか震えていた。
「今日、夏生の誕生日だろ?」
「あぁ、うん」
「メンバーに会うのが十日ぶりで、しかも、あんな話をした後だから、より気持ち的に暗くなってるんだろうけどさ、もっと明るくいてくれよ。せっかくの誕生日が泣くだろ?」
「誕生日が泣くって…」
「そこ突っ込まなくていいところだから」
「あ、ごめん」
凉樹が咲佑のことを和ませようと言った冗談が、今の咲佑には届かなかった。謝られたことに対し、凉樹はちょっとだけ笑みを零す。
「今、咲佑が気持ちでいるかも分からないし、まだ知りたくない。でも、咲佑の精神が不安定なことぐらい、俺には分かる」
「…だよな」
咲佑は、凉樹の少し強めともいえる口調に思わず項垂れる。会話が途切れてしまったためか、どんよりとした空気を察してなのか、桃凛は二人の会話が途切れたタイミングで徐にスマホを取り出し、画面を注視していた。
「それに、今の咲佑には夏生の誕生日を、二十歳をお祝いしてあげる権利がある。でもさ、俺が見ても、ってか誰が見ても暗い雰囲気ってのが如実に現われてるこの状態でお祝いされても、夏生は嬉しくないだろうし、そんな気持ちで祝う咲佑だって嬉しくないだろ? だからこそ、いつもの咲佑でいて欲しい」
凉樹の的を得た発言に、咲佑はもう頷くしか、納得するしかない。反論する余地はない。
「分かった。…ごめんな、凉樹。俺のせいで会議室の空気を変な感じにして」
「おう。まぁ、俺もはっきり言い過ぎたよな。なんか咲佑の身になれば、その気持ち分からなくもないからさ、つい」
「ううん。逆にはっきり言ってくれてありがとう」
「おう」
「桃凛もごめんな。凉樹と会話してる途中だったのに」
「大丈夫です。ゲームに集中してたのでぇ」
桃凛は咲佑にプレイ中のゲーム画面を見て、にっこりと笑った。その罪のない笑顔を見て、咲佑は後悔した。自分のせいで凉樹だけでなく、年下の桃凛までにも気を遣わせてしまったことを。
空調の音と、桃凛が画面を連打する音が共鳴する会議室。凉樹はゲームに集中する桃凛との会話をやめ、鞄から小説を取り出し、一人の世界に没入していた。咲佑はそんな凉樹の真剣な表情を見つめ、抱きしめてキスをしたい、なんてことを思い始めていた。儚くも、滑稽で、叶うはずもない夢を、咲佑は見続けていた。
つい二十分前まで晴れていた空も、黒く、分厚い雲に覆われ始めていた。まるで咲佑の心模様を表しているかのような、そんな空だった。
十四時を過ぎた頃、朱鳥と夏生が一緒に会議室へと入ってきた。夏生は茶色い紙袋を大事そうに手に抱え、ニコニコしていた。一方の朱鳥は額から汗を滲ませ、それを服で拭っている。二人の行動は夏生の誕生日と、外の暑さを体感させる。
「二人ともお疲れ様。外暑かっただろ?」
小説に栞を挟みながら気遣う凉樹。二人の目を見ていないのに、優しさが滲み出ている。
「暑かったっす。今は雲が出てきて幾分マシになった気もするんすけどね。それに、会議室のエアコンが効いてるんで、暑さはだいぶ」
背負っていたリュックを置いた朱鳥は、今度は服の下の方を持ち、ぱたぱたと音を立てながら扇ぐ。そんな朱鳥が着ている服は、昨年夏生が誕生日プレゼントとして朱鳥に渡したものだった。
「夏生も、暑い中のドラマ撮影大変だろ?」
「いえ。前に凉樹くんと一緒だった撮影に比べれば全然。ドラマだって主演じゃないし、そこまで外での撮影が詰まってるわけじゃないんで」
凉樹の気遣いに、夏生もそれらしく気を遣う。話に一旦の区切りがついたとき、咲佑は平然を装い、夏生に声をかける。
「夏生、誕生日おめでとう」
「ありがとうございます」
「嬉しそうな顔してるけど、もしかして現場で」
「はい。お祝いしてもらいました。それにプレゼントまでいただいちゃって」
数回軽く頭を上下に揺らした夏生。その視線の先には、夏生が大事そうに持っていた袋があった。中からは、夏生のメンバーカラーである緑色の包装紙が顔を覗かせている。その中身が気になったのか、桃凛が夏生に話しかける。
「夏生くん、誕生日おめでとうございます!」
「ありがとな、桃凛」
「何もらったんですかぁ?」
「まだ開けてないから知らないんだ」
「そっかぁ。そういうのって一つの楽しみですもんねぇ」
「うん。だから家帰ったら開けようと思ってる」
「いいですね!」
桃凛はこの場で開けさせようとしたみたいだが、夏生に軽く流される形になり、すんなりと諦めた。それで正解だと思った。
「夏生、おめでとう」
「ありがとうございます、凉樹くん」
「プレゼントは今用意してるところだから、待っててくれ」
「はい。楽しみに待ってます」
凉樹も祝福の言葉を伝え終わった。朱鳥も祝うのかと思ったが、ここに来る途中で先に伝えたのか、ここでは何も言わなかった。そのせいで会話はストップ。時間が止まったように感じられた。
当たり前だが、時間が止まることはない。五人の状況なんて知る由もない時間は、刻一刻と進んでいくだけ。それを思った咲佑が口を開く。
「いい時間だし、そろそろ始めるか」
そう言うと、返事をしないまま朱鳥と夏生は椅子に腰かけ、桃凛はプレイしていたゲーム画面を終わらせ、ズボンにスマホを忍ばせる。凉樹は咲佑の目を見て頷いた。そしてまた咲佑も凉樹の目を見て頷いた。
七月三十日、十四時十三分。最初の会議を開くときが訪れた。五人が醸し出すそれぞれの気合を感じ取ったのか、エアコンも一段と強く冷気を送り出す。過ぎた時間はもう戻らない。でも、今から過ごすこのときは自分たちの手で変えられる。そう信じて、咲佑は、五人は前進する。
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