第5話
ドリンクを注文して三分ほどが経ったとき、再び襖の向こうから店長の声がした。襖近くに座る夏生が開けると、両手にジョッキをガラスコップを抱えた店長が笑顔で立っていた。手分けしてドリンクを受け取り、テーブルの空いたスペースに乗せる。
「久しぶりの緋廻、楽しんでってよ」
「ありがとうございます、店長」
「おう。じゃあ、ごゆっくり」
襖が閉められた後に、店長の足音は遠ざかっていく。個室は静寂の世界に包まれる。
「料理もドリンクも来たことだし、話させてもらおうか」
机いっぱいに並べられた料理とドリンクを眼下に、咲佑は胸の内を明かすために呼吸を整える。
「俺、みんなに言わなきゃいけないことがあってさ」
「何ですかぁ?」
桃凛は咲佑の話に興味津々な様子でいる。が、朱鳥と夏生は黙り、咲佑が話すのをただ待つことにした。凉樹がそうであるように。
「俺はただのBLが好きな男じゃない。同性愛者だ」
「……」
咲佑がそう言葉を発したとき、桃凛の脳内からは興味という二文字が消え去った。一階から聞こえてくる客たちの騒ぐ声。まるで近くにあるスピーカーから流れてくるBGMのように大きく、はっきりと五人の耳に届く。
「咲佑くん、それってどういうこと…ですか?」
夏生が困惑の気持ちと疑問を抱いている口調で聞く。
「朱鳥が言ってたように、好きな人ができたんだよ」
四人は黙ったまま、誰が好きになったのかなどと深入りしようとしなかった。それが咲佑にとっては苦しかった。このままだと、ただ時間だけが過ぎていくだけ。料理が冷めてしまう。ドリンクも氷で薄味になってしまう。そんなのは、嫌だ。
「俺が好きになったのは、リーダー、石井凉樹だ」
「……、お、俺……?」
「そう。今まで黙っててごめん」
「え、でも、何で俺のこと、を」
「理由は分からない。でも、昔から意識してた存在ではあってさ。BL読んでるときに、主人公が俺で、相手が凉樹だったらいいのに、とか、凉樹とこんなことをしてみたい、とか思うようになったんだ。それに、凉樹がよく俺の些細な変化に気付いてくれたりするだろ? それが嬉しくて。気持ち悪いって思われるかもしれないけど、気付いたら四六時中、俺は凉樹のことばっか考え始めてるときもある。それぐらい、俺は凉樹のことが好きなんだよ」
咲佑の口から放たれる言葉ひとつひとつが、朱鳥、夏生、桃凛にとっては衝撃的で、現実として受け止めきれないといった様子でいる。対して凉樹はこのことを、リーダーとして、メンバーのこととして、大事な仲間として、受け止めようとしていた。そして、咲佑がまだ言えていない悩みを抱えていることを勘づいていた。
「咲佑、まだ何か言いたいこと、隠し持ってるだろ」
的を射抜かれた咲佑は、笑みを零す。
「ははっ、やっぱ隠すなんて、無理だよなあ」
あっけらかんとしている咲佑のことを、誰も笑おうとはしなかった。
「俺が本当に伝えたかったことは、NATUralezaを脱退したいってこと」
その場の空気は凍り付いた。ガンガンに効いている冷房から放たれる冷たい空気。料理から立ち上る湯気。ドリンクの氷が弾ける音。どれも幻覚や幻聴のように、美しくも儚く感じられる。
「メンバーのことを好きになった以上、俺はもうメンバーとして残る意―」
「咲佑くん、俺、咲佑くんに言いたいことあるんで、呑んじゃってもいいっすか。素面の状態じゃとても言えないんすよ」
朱鳥は既にジョッキに手を伸ばしていた。
「分かった。皆も飲んでいいし、料理も食べていいよ」
そう聞いた瞬間に、朱鳥は喉を鳴らしながらレモンサワーを呑んでいく。乾いた喉を潤すかのように。そんな朱鳥の様子を見ながら、子供のようにジュースを飲む夏生と桃凛。凉樹は目の前にあるジョッキから目を逸らし、一人箸を手に持つ。そして、鶏のから揚げを、少し控えめに一口齧る。
「唐揚げ、もうとっくに冷めてる。ん、でもまぁ美味いけど」
「ごめんな、もっと早く言えばよかったな」
「冷めても美味しいからいいっすよ。それに、俺は今からボルテージ上げてくんで」
「朱鳥くん、呑み過ぎないでよぉ」
「はいはい。心配してくれてサンキューな、桃凛」
唐揚げを一個だけ食べた凉樹は箸を置き、咲佑と目線を合わせる。
「なぁ咲佑。俺からも言いたいことがある」
「ん、何?」
「咲佑が、俺のことを好きになった。ってことまでは分かった。でも、それが理由で脱退したいっていうのは、俺には理解できない。それに朱鳥が遮る形でちゃんとした理由が聞けなかった。だからもう一回、脱退したいって考えてる理由、聞かせろよ」
「あぁ、そうだな。分かった。ちゃんと言うよ。メンバーのことを好きになった同性が、メンバーの一人としている。そんなグループ、ほかには無いだろ? 俺はもう凉樹のことを好きっていう感情でしか見れないし、朱鳥、夏生、桃凛のこともそういう目で見てしまうかもしれない。だから俺は脱退したいんだよ」
「咲佑くん、それは身勝手すぎますよ」
取っ付き難い雰囲気を醸し出す夏生。枝豆を掴み、口に運ぶ。
「夏生の言う通りだ。咲佑、脱退は自分のためを思って言ってるんじゃねえよな」
「当たり前だろ。メンバーのこと、まさっきぃのこと、俺たちを支えてくれてる関係者、ファンのことを一番に思ってるから、だからこの判断をしたんだ。こんなこと言うのも嫌だけど、十年も一緒に過ごしてきた凉樹なら、五年もの間一緒に活動してきたNATUralezaのメンバーなら、分かってくれると信じてるから、今俺はこうして話をしてるんだよ」
「だったら、脱退は違うんじゃないのか。グループに同性愛者がいてもいいんじゃないか。咲佑が言ってた言葉そのまま返すようになるけど、俺のことを好きになった咲佑がメンバーの一人としている。そんなグループ、ほかには無いだろ? だったら、俺たちがその代表になろうぜ。そういう気持ちでいようぜ」
「そうですよ、咲佑くん。個人的に思うんです。一人のメンズアイドルとして、世に発信できることがいっぱいあるって。それに、ファンは女性だけじゃなくて、男性も、もしかしたら中性とか無性の人とか、色んな方がいると思うんです。だから、このことを上手く宣伝すれば、NATUralezaのことをもっと知ってもらえるんじゃないですか」
凉樹の発言に乗る形で言う夏生。その間にレモンサワーを呑み終わった朱鳥は、酔いが回ったのか、頬を赤らめていた。
「咲佑くん、俺からもいいっすか」
「うん」
「今まで誰にも言ったことがなかったんすけど、俺、実は咲佑くんに憧れてこの業界に入ったんです。咲佑くんがゲストで出てたバラエティ番組を観て、歳も近いのに、こんなに面白い人がいるんだって思って。そんな人と同じグループになれて、デビューできて、今こうして同じ時間を共有できて、それが俺にとったら最高の幸せなんっすよ。俺は咲佑くんのファンなんです。だから、咲佑くんの話をメンバー目線からも、ファン目線からも聞いてたんですけど、俺は五人のNATUralezaのことを追いかけたいって思いました。NATUralezaは五人じゃなきゃいけないと思うんすよ。一ピースでも欠けたら完成しないパズルのように。部品が足りなかったら動かない時計みたいに……。それに、俺はメンバーの中に同性愛者がいても嫌じゃないっすよ。むしろ楽しくなるんじゃないかって。俺はいつまでも五人で、高校生みたいなノリでいたいんです。だから、咲佑くん、簡単に脱退したいなんて言わないでください。俺の憧れの存在として居続けてください」
朱鳥の、酔った状態だからこそ聞けた本心。感動したのかよく分からないが、夏生と桃凛が涙を流していた。
「朱鳥も、いいこと言うじゃん」
ボソッとした声で言う凉樹。朱鳥に向ける視線はメンバーという関係より、親として子供を優しく見守っているような、そんな感じだった。そんな凉樹の目にもキラリと光るものが浮かんでいた。周りに涙を誘わせた当の本人は、突然酔いが醒めたかのように目を開き、サラダを貪るようにして食べ始めた。頬は先ほどよりも赤らんでいた。
「凉樹くんも、夏生くんも、朱鳥くんも、咲佑くんに思いをぶつけてるので、僕も思ったことぶつけちゃってもいいですかぁ?」
「あぁ、もちろんだよ」
「僕は、咲佑くんが悩んで辛くなるんなら、脱退するっていう道もあるんじゃないかって思うんです。決して、同性愛者のメンバーなんていらないとか、そういうことを言ってるんじゃないですよぉ。僕が言いたいのは、咲佑くんがこのことで責められたりして、精神的に病んだりしないかが心配なんです。咲佑くんって、いっつもメンバーのこと優しく見守ってくれるじゃないですか。だから僕も安心してNATUralezaのメンバーとして活動できてるんです。でも、そんな咲佑くんが病んだりするようなことがあったら、僕は悲しいし、寂しいです。今の咲佑くんのことが好きだから、だから咲佑くんには自分自身のことを守って欲しいです」
咲佑は、一筋の涙を流した。
「桃凛、大人になったな」
「僕、来月で二十歳になるんですからぁ。もう子供扱いしないでくださいよぉ」
桃凛が口をわざとらしく尖らせる。その姿をみて四人の顔が綻ぶ。
「咲佑くん、これが僕たちの意見です。まぁ朱鳥くんは素面の状態で言ってないですけど」
「夏生、そこはいいじゃねぇか。俺もちゃんと伝えたんだからよ」
「ですね」
朱鳥と夏生は互いの顔を見合わせて笑っていた。
「咲佑、もう一度考え直してみろよ。俺らはいつだってNATUralezaのメンバーなんだから」
「あぁ、そうするよ。凉樹、朱鳥、夏生、桃凛、今日は変な空気にさせて悪かった。ちゃんと考え直すから。そのときはまた付き合ってくれよ」
「はーい」
「ってことで、今日は互いに涙して、笑い合って、最高の夜にしましょう」
「えー、それ朱鳥くんが言っちゃいますぅ?」
「確かに。朱鳥くんじゃないですね」
「言うの俺じゃないか」
「まあいいじゃねぇか。な、咲佑、お前も今までの話は置いといて、楽しむぞ」
「だな」
歓声が上がり、楽し気に盛り上がる中、咲佑だけは静かにメンバーのことだけを見続けた。人知れず滲んでいく視界で。
なみだの決戦日。どんな終わりを迎えようとも受け止める。咲佑は頬を伝ってきた涙をのみ込んだ。
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