第8話

 雪の華がちらつく二月十七日。メンバー五人はいつもの会議室に集まった。あの日から半年間続いた話し合い。その答えが出されるときが今日、訪れようとしていた。


 夏生の仕事が終わるのを待つ間、四人は普段と変わらない様子で過ごしていた。咲佑は自分の固い決意を胸に秘めつつも明るく振る舞い、凉樹、朱鳥、桃凛の三人は咲佑の口から何が発せられるのか分からず、内心ドキドキしているものの、それを隠して振る舞う。仮面を被った者同士で繰り広げられる会話は、仕事のことやプライベートのことなど様々だった。


 天井からは暖かい空気が送られてくる。先週掃除されたばかりのエアコンからは埃一つ落ちてこない。咲佑は思った。もう埃に意志を託すことはないと。



 十五時を過ぎた頃、夏生は颯爽と会議室に現われた。「お疲れさまです」と声を掛けてから、首に巻かれたネイビーのマフラーを軽やかに取るその姿からは、スターのオーラしか感じられなかった。


「お疲れ。仕事は順調か?」

「はい。凉樹くんにアドバイスいただいてから更に良くなった気がしてます」

「なら良かったよ」

「はい。あ、来週から新曲の振り入れに力入れることにしてるんで、お願いします」

「分かった」


夏生はマフラーを丁寧に折りたたみ、リュックに入れる。パンパンに膨らんだリュックの中に、付箋がいっぱい貼られた紙の資料が入っていた。


「夏生、お疲れ様」

「咲佑くん、久しぶりに会えましたね」

「だな。もう一か月ぐらい会えてないもんな」

「そうですよ。でも今日久しぶりに咲佑くんの顔が見れて良かったです」

「そう言ってもらえて、俺も嬉しいよ」


 今年の秋に放送予定のドラマのオーディションを受けている夏生は、この一か月、新曲に関する仕事に顔を出していなかった。その間にも咲佑が脱退することについての話し合いは数回行われていたが、夏生がいないと話もうまくまとまらず、五人揃わないなら意味がないという判断となり、ただの現状報告会だけが開かれていた。そして夏生がオーディションを受けているときにも、凉樹、朱鳥、桃凛はそれぞれ個人仕事をしたり、学業に勤しんだりしていた。そんなこともあって、五人がこうしてちゃんとした形で顔を合わせるのは、おおかた二か月振りだった。


「揃ったし、そろそろ話し合い始めるか」

「そうですね」


五人は椅子に腰かけ、互いの目を見合ったりする。久しぶりの会議にこの場にいる全員が違う緊張感を持っていた。


「誰から話しますか?」


朱鳥の軽めの問いかけに、「俺から」と胸元で手を挙げて答えた咲佑。凉樹は咲佑の醸し出す雰囲気を感じ取ったのか、その雰囲気を切り裂くようにこう話しかけた。


「咲佑、決断したこと話そうとしてないか?」


凉樹の瞳は一瞬たりともブレることなく咲佑を追い続ける。


「よく分かったな」


咲佑はこう答えることしかできなかった。誰よりも落ち着いたその声で。


「分かったも何も…。それより、まだ決断したこと言わせないから」

「は? いや何で言わせてくれないんだよ」

「五人でちゃんと話し合いするのは二か月ぶりだろ? 朱鳥や桃凛の意見はつい先週聞いたばかりだ。でも、夏生の意見はずっと聞けてない。だから、まずは夏生の意見を聞いたほうがいいんじゃないか。な、そうだろ?」


凉樹は優しそうな視線を夏生に送る。飛び火を受けた夏生は、どこか気まずそうに椅子に座っていて、一方の朱鳥と桃凛は凉樹と目を合わせないように俯いている。


「そうかもしれないけどさ」


凉樹の圧に負けそうになる咲佑。その視線の先には、黒系のアーガイルニットの服を着ている桃凛がいた。


「だったら、咲佑くんの意見を聞いてから話し合いをするのでもいいんじゃないですか」

「桃凛は、どうしてそう思う?」

「凉樹くんの言いたいことも分かります。でも、すぐに夏生くんにすぐ意見を求めるのは可哀想って言うか、ちょっと違う気がして。夏生くんは今の僕らがどんな状態でいるかもあまり知らないと思うんです。だから先に咲佑くんの決断を聞いて、そのあとまた五人で話し合いをすればいいんじゃないかなぁって」


同情するわけでもなく、だからと言って反対の意見を言うわけでもない感じの発言をした桃凛。一番賢い切り抜き方をする。そんな桃凛の肩に朱鳥はそっと手を置いた。


「ったく、桃凛にそう言われるなら仕方ないな。じゃあ、もうこうする。咲佑の決意を先に聞く。それから五人で話し合い。それでいいな」


四人とも言葉を出さずに頷くだけだった。凉樹は年下の意見に追いやられて、折れた。が、その口調からはまだ根に持つ怒りとはまた違う感情が隠しきれていなかった。


「じゃあ、先に言わせてもらう。まぁ、これは前置きに過ぎないかもしれないけど、俺は今から言うことをたった今決意した。もう、何を言われても揺るがないから」


 咲佑が身に着けているネックレスは、ある一部分だけが欠けていた。でも、それを咲佑は捨てたり、形を変えたりすることはなかった。それは、今まで築き上げてきたものが壊れる気がしていたから。咲佑の決意は固くもあり、時に脆くなるダイヤモンドそのものだった。その決意を変えられるのは、大事な仲間から瞬間的に与えられる刺激だ。


 咲佑の発言とともに静まり返る会議室。暖房の稼働音だけがうるさいほどに響く。


「NATUralezaを脱退する」


咲佑が紡いだ言葉。たった二つのキーワード。その言葉に、キーワードに、四人は解せないままでいた。


「……、あ、いくらなんでもストレートに言い過ぎた…か。でも、今言ったことが、俺の決意でもあり、もう決断したことだから」


 場を取り繕うように言った咲佑だったが、既に手遅れだった。その発言が凉樹の琴線に触れてしまった。


「お前、やっぱり変えなかったのか」

「あぁ。そういうことだ」

「そういうこと…、って。咲佑くん、ちょっと待ってくださいよ」

「夏生、俺は何を待てばいい? 夏生の意見がまとまるまでか?」


咲佑は鋭い眼光を夏生に向ける。そういうつもりじゃないのに。気持ちじゃないのにと思いつつも、なぜか強く当たってしまう。夏生は咲佑のことが直視できず下に視線を逸らす。凉樹はただ静かに咲佑のことだけを捕らえ続ける。


「咲佑くん、怖いですよぉ。ちょっと落ち着いてください」


桃凛が宥めるように言うが、今の咲佑に気を収めるつもりは全くない。むしろ、さらに気を強めていく一方だった。


「咲佑くん、夏生はそういうつもりで言ったんじゃないと思うんすけど」

「じゃあ朱鳥は、なんで夏生が待ってって言ったか分かるのか?」

「多分、夏生はNATUralezaのことが好きだから、だから、だから……」


言葉に詰まり始める朱鳥。夏生に向けられた眼光が今度は朱鳥に降り注ぐ。


「いや、だって咲佑くんがNATUralezaを脱退するって言って、それを凉樹くんが『決意が変わらなかったのか』って簡単に流している感じがしたから、もしかしたら咲佑くんの脱退を止める気でいるのは僕だけなんじゃないかって不安になったんです。それで…」


段々と涙声になっていく夏生。唇も、身体も小刻みに震え始める。何かに怯えているみたいに。


 凉樹はゆっくりと椅子から立ち上がり、そのまま俯く夏生に近づき頭を優しく撫でる。その様子を見て、咲佑はなぜか胸が締め付けらる感触を覚えた。


「ごめんな、夏生。簡単に流したつもりはなかったけど、そう聞こえたんだな。悪かった。不安な気持ちにさせてごめん」


優しい声のトーンに耐えきれず泣き出した夏生。そんな夏生に釣られたのか、朱鳥が「ダメだ。もう我慢できねぇ」とボソッと呟き、パーカーのフードを被って、声を出さずに静かに泣き出した。


「凉樹くん、教えてください。咲佑くんがいないNATUralezaが存在する意味を」


語尾を伸ばすことなく、真剣な口調で凉樹に問う桃凛。凉樹は夏生の頭を撫でながら、ゆっくりと話し始める。


「米村咲佑、石井凉樹、水森朱鳥、田村夏生、葉山桃凛。この五人でNATUralezaだと思ってる。誰か一人でも欠けたら五人のNATUralezaではなくなる。当たり前じゃねえかって言われそうだけど、人数のことだけで言えば、咲佑が抜けたのなら四人のNATUralezaとして新たな物語を歩み始めるだけだ。こんな言い方をしたくはないが、朱鳥も、夏生も、桃凛も、そのことを受け入れられていないだけだと思う」

「じゃあ、凉樹くんはそのことを受け入れてるってことですか?」

「俺は受け入れてる。咲佑の決意はもう変わらないと思う。何を言っても、どんな刺激を与えようとも。これは何年も咲佑と過ごしてきたから分かること。俺にしか分からないことだ。だからそう簡単に朱鳥、夏生、桃凛は事を受け入れられないかもしれない。でもな、咲佑のことを想ってやれる気持ちがあるんなら、脱退を認めてやるのもいいんじゃないか。俺だって辛いけどさ、ここまできたらもう咲佑の背中を押してやることしかできねぇんだよ」

「そんな…」


凉樹の発言に、桃凛も遂に戦意喪失したという様子で佇む。


 夏生が合流した頃には、まだ太陽は優しい陽の光を会議室内に届けてくれていたが、今は山の向こうに沈んでいこうとしている。太陽が沈んでいくように、その場にいる五人の気持ちも沈んでいく。それによって再び静寂の世界に包まれた会議室。椅子に掛けていた咲佑のコートがドサッという音を立てて床に落ちる。そのコートを手に取り付着した埃を払うその背中に、凉樹が問いかける。


「咲佑、脱退したいっていう話は、俺ら四人以外に話したか?」

「いや、まだ」

「だったら、まさっきぃ呼んでもいいか? 意見をもらうわけじゃないけどさ」

「おう」

「分かった」


そう言ってから凉樹はすぐに会議室から出て行った。そこに残された朱鳥、夏生、桃凛の三人は、とても今の咲佑には話しかけられないでいる。そんな咲佑の心境は、三人に話しかけてもどうせ怖がられて、宥められて、相手にされないだけだ、というものだった。


 マネージャーである正木には、会議室の外で待機してもらっていた。今まで何度も重ねられてきた会議。しかし、どのときも正木が会議に加わることはなかった。それに加え、正木がいる空間では誰一人として咲佑が脱退したいと言っていることについて話さなかった。咲佑に口止めされていたからではない。自分たちで考えて、そのような行動を取っていた。


唐突に連れて来られた正木。どんな話をしているか知らないはずなのに、内容の重さに気付いているのか、神妙な面持ちをしていた。


「まさっきぃ、ごめんな」


咲佑はまず謝った。ラフな感じで。正木は小さく頷く。


「俺はたった今、凉樹に声をかけられてここに来た。それでも、咲佑が言いたいことは分かる。でも、あえて口にはしない。俺はNATUralezaのメンバーじゃない。マネージャーだからな」

「うん」

「それに凉樹に意見を求められたが、今から言うことは、ただの感想だと思って聞いて欲しい」

「うん」

「俺は誰の味方もしないからな」

「分かった」


五人は正木の動向だけを静かに追った。


「俺はマネージャーとしてNATUralezaを三年間見守ってきた。デビューしてからずっと、誰一人として欠けることなくよく走ってきたと思う。ただな、やっぱり長年一緒にいるとその関係性が突然崩れてしまうことがある。まるでジェンガのように。でもそれは、メンバー一人ひとりに原因があるわけじゃない。時間とともにヒビが入り、それが裂けていく。その時を迎えようとしているだけだと思うんだ。それに、今のNATUralezaは、前方に大きな岩があって、その先に行けなくなっている状態だ。でもその原因が解消すれば通れる。そしてその先には新たな道が続いているんだ。その道だって決して通りやすいものばかりじゃないと思う。五人が今まで歩んできた道は楽なものだけじゃなくて、時に厳しいものもあっただろ? でも、乗り越えたから今がある。その道は必ず残されている。苦しくなったらその道を振り返って、また歩き出せばいい。それだけだ」


五人は正木の発言を聞いて言葉を失っていた。宣言通り誰かの味方をするわけでもなく、かと言って批判するわけでもない。あくまで中立の立場での発言。


「俺からの話は以上だ。どういう結末を迎えようが俺は受け入れるからな。五人にとって最善の選択をしてくれ。そういうわけで。俺は外で待ってるから。終わったら声かけろよ」

「ありがとな、まさっきぃ」


咲佑はそう伝えることしかできなかった。四人は何も言えなかった。マネージャーという立場から紡がれる言葉の魔力に引き込まれていたから。


 最後までマネージャーとして会議室を出て行った正木。


「やっぱり、どこまでいってもまさっきぃは最高のマネージャーだな」


凉樹が笑いながら言った。何で笑っているのか咲佑には不明だったが追及しなかった。


「まさっきぃ、いいこと言ってましたね」


夏生が当たり障りのないテンションで言うも、凉樹以外頷かない。


「だな。で、まさっきぃの話聞いて、朱鳥はどう思った?」

「俺は、まさっきぃの言ってたことも一理あると思いました。確かに、ずっと五人でいられるなんて確証はどこにもないんですもんね…」

「まぁ、そうだな。夏生は何か感じたか?」

「僕は、もう咲佑くんが脱退するっていう決断をしてるなら、その決断を尊重してあげたいです。これ以上、話をしても埒が明かないと思うんです。言い方変かもしれないですけど、咲佑くんの決意は、もう変わることが無いと感じて。だから、これからは四人で…」

「夏生の言う通りかもしれないな。これ以上話しても、五人のNATUralezaのことを壊すだけかもな」


凉樹の言うことに頷く朱鳥と夏生。そして桃凛は小さく頷いたあと、凉樹から聞かれる前に先に口を開いた。


「僕も、そう思います。これ以上、五人のNATUralezaに傷を付けたくないです。やっぱり五人が四人になるのは寂しいですけど、新たな道を進むべきなのかもしれないです」

「そうか。桃凛がそう感じたのなら、俺らは四人で再出発するべきなのかもな」


桃凛の発言を一言ずつ噛みしめながら頷き、腕を組む凉樹。朱鳥は桃凛の肩に手を回し微笑みかける。その様子を咲佑はひっそりと、どこか親目線で見てしまう。


「咲佑、お前は本当に脱退という道を選ぶんだな」

「あぁ」

「それで合ってるんだな?」

「合ってる。正しいよ。俺はNATUralezaを脱退する」

「そうか。じゃあ報告に行くぞ」

「え、誰に」

「社長に。五人で」


全員が強く頷いた。この瞬間、もう誰も咲佑の意見に反対しないことを誓い合った。どんな結末になるか分からない恐怖に怯えながらも俺たちは進み続ける。やがて来る明日を信じて。

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