#2-2 『フロールヴ・クラキと魔女シグルド』後編


 古代デンマークにおいて最も優れた王と讃えられるフロールヴ・クラキ。

 後編はまず、フロールヴとスウェーデン王アジルスの因縁がいかなる決着を迎えたのかを追っていきましょう。


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 フロールヴがデンマーク王となり、彼の元に十二人のベルセルクが集った頃。


 当時のノルウェーはアーリという王が治めていました。ある時ノルウェーとスウェーデンは戦争へと突入し、ヴェーネルン湖(現在のスウェーデン領最大の湖)の氷上で激突することになりました。

 スウェーデン王アジルスはデンマークへ使いを送り、援軍を要請します。フロールヴにとっては義理の父であるため無下には出来ず、またアジルスの提示した対価は「戦士には報酬を支払い、王にはスウェーデンが有する宝のうち三つを譲る」というもので、悪い条件ではありませんでした。そこでフロールヴは、自分の代わりにボズヴァル・ビャルキを筆頭とする十二人のベルセルクを派遣することに決めたのです。


 ボズヴァル・ビャルキという最強のベルセルクについては前編で僅かに触れましたが、今回の解説で深く掘り下げることはしません。彼は『フロールヴ・クラキのサガ』で準主役級の扱いを受けており、彼の生涯を語るだけで紙幅が尽きてしまうからです。ここでは、彼が呪われた熊人間となった王子と人間の娘の間に生まれた子であること、生涯に三度しか抜けないが抜けば必ず相手を殺す魔剣を所有していること、そしてボズヴァル・ビャルキの伝承にはかのベーオウルフとの共通点が多く、同じ伝承から派生した英雄ではないかと考えられていることなどを挙げるに留めましょう。


 さて、ベルセルクたちの活躍もあって合戦はスウェーデン側の有利に運び、ノルウェー王アーリとその家臣の多くは戦死しました。勝利を収めたベルセルクたちはアジルス王に報酬と三つの宝を要求します。しかしアジルスは宝の引き渡しを拒否し、十分な報酬すらも与えないままにデンマークへ追い返しました。これは『新エッダ第二部・詩語法』のみに採録されているエピソードで、『詩語法』ではこの事件が引き金となり、フロールヴ・クラキは兵を挙げることを決意しました。一方『フロールヴ・クラキのサガ』ではアジルスに奪われたヘルギ王の宝と名誉を取り戻すためというのが理由となっていますが、いずれにしてもフロールヴ王は十二人のベルセルクと兵たちを率いて、スウェーデンのウプスラへと進軍を開始したのです。


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 スウェーデンへの遠征は順調に進みましたが、途中で奇妙な出来事が起こったと伝えられています。一行が農場のそばを通った時、フラニと名乗る老いた農夫が現れて一行を歓迎し、今夜はここで泊まっていくようにと言いました。ですがその夜、戦士たちは酷い寒さで目を覚ましました。フロールヴとベルセルクたちは耐え忍ぶことが出来ましたが、兵士たちはそうはいきません。そして翌朝になるとフラニが「昨夜は眠れなかった者もいるようですが、それではアジルス王の試練を乗り越えられないでしょう」と言うのです。感銘を受けたフロールヴは寒さに負けた兵士を国に送り返し、農夫に別れを告げて馬に跨り旅路を急ぎました。


 しかしその晩も、その次の晩も、一行は農場の前を通りかかって農夫フラニに歓待されたのです。そして二日目の夜は喉の渇きが、三日目の夜は炎の熱が、戦士たちを襲いました。三日目の夜が明け、フラニが言います。「アジルス王の元へは夜を耐え抜いた十二人の勇士だけを連れて行かれるといいでしょう」と。フロールヴは助言に従って残りの兵を送り返し、ベルセルクだけを伴ってフラニと別れました。ところでこのフラニという老人は隻眼だったのですが、この時点でその意味に気付いた者はいませんでした。


 こうして王とベルセルク合わせて十三人となった一行は、遂にアジルスの居城に辿り着きます。かつてアジルス王に仕えていたスヴィプダグの助言で、フロールヴは身分を隠したまま広間へ向かいました。フロールヴとアジルスは直接顔を合わせたことがなく、誰が王かを知られるのは危険だと考えたのです。


 アジルスは表向き歓迎する素振りで一行を招き入れました。しかし広間に足を踏み入れた途端、垂れ幕の裏から刺客が襲いかかります。ですがフロールヴが身分を伏せていたのが功を奏して刺客は王を見分けられず、大暴れする十三人の勇士を前にただ死体の山が築かれていくばかり。騙し討ちが失敗に終わったと見たアジルス王は「賓客に刃を向けるとは何事だ」と場を収め、広間から死体を運び出させました。


 次にアジルスは「勇気あるフロールヴ王は火を恐れないというのは本当か」と尋ね、配下に命じて広間に火を焚きます。フロールヴの顔を知らないアジルスは、熱さに耐えかねて真っ先に逃げ出す者が王に違いないと考えたのです。しかし炎が彼らを焼き殺さんばかりに燃え上がったその時、ベルセルクたちは「ならば更に火勢を強めてやる」とアジルスの兵を掴み、炎の中に投げ込みました。勢いを増した炎を前にしてもフロールヴは臆することなく「火を飛び越える者は火を恐れることなし」と宣言し、炎を越えてアジルスの玉座へと迫ります。肝を潰したアジルスは魔術を使い、広間から逃げ出しました。


 行方を晦ませたアジルスの代わりに、一人の従者を引き連れたユルサ王妃が一行を歓迎しました。ヴォッグという名の従者はフロールヴを前にして「この方はまるでクラキのようだが、本当に王様なのか」と口にします。クラキとは当時の言葉で枝や棒切れを意味し、要するにフロールヴの体つきが華奢に見えたということです。フロールヴが自分に名前を与えた礼にとヴォッグに褒美を与えると、彼は感激して「もしも王が命を落とすことがあれば自分が必ず復讐する」と誓いを立てました。そしてそれ以降、フロールヴ王は「フロールヴ・クラキ」と呼ばれるようになったのです。


 ユルサ王妃はフロールヴに財宝を手渡しました。その中にはスウェーデン王家伝来の黄金の腕輪スヴィーアグリースもありました。フロールヴは宝物を受け取ると、魔性の猪の襲撃や焼き討ちを潜り抜け、馬に跨って仲間と共に城を脱出しました。


 しかし広野を走る彼らの元へアジルスの追手が殺到します。それを知ったフロールヴは母から受け取った財宝をばら撒くと、追手は我先にと宝を拾い、一行を取り逃がしてしまいました。怒り狂ったアジルスは遂に自分が先陣を切って追跡します。アジルスの愛馬スロングヴィルはいかなる馬よりも足が速く、遂に一行に追いつこうとしたその時、フロールヴは黄金の腕輪スヴィーアグリースを投げ捨てました。強欲なアジルスが思わず槍の穂先で腕輪を拾おうと身を屈めたのを見て、フロールヴ・クラキは馬の向きを反転させ、こう叫びます——


「スウェーデンで最も権勢ある者を、豚のように屈ませてやったぞ!」


 名剣スコフヌングが閃き、アジルス王に容赦ない斬撃を与えました。

 フロールヴはスヴィーアグリースを拾い上げると彼の最期を見届けることなく立ち去りましたが、どうなったかは明らかでしょう。スコフヌングによる傷はスコフヌングの石でしか癒せないのですから。

 こうしてフロールヴ・クラキは、父の代からの因縁に決着をつけたのです。


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 最大の敵を倒したことでデンマークには平和が訪れました。

 フロールヴは勇士たちと共に穏やかな時を過ごしました。

 しかし、崩壊の足音はすぐそこまで迫っていたのです。


 きっかけはフロールヴ一行がアジルスを倒した、あの遠征の帰路でした。

 デンマークへと馬を走らせる彼らの前に、あの農夫フラニが現れたのです。フラニは一行をもてなし、ここに最高の武具一式がある、是非受け取ってほしいと言いました。しかし帰路を急いでいたフロールヴは荷物を増やしたくないと思い、武具一式も宿の提供も断ったのです。


 フラニは大いに機嫌を損ねました。

「王よ、貴方は自分で思っているほど賢くはないようだ」。

 気まずい雰囲気のまま農夫と別れた一行は、今更ながらに気付きます。

 あの隻眼の男は主神オーディンだ。

 彼の機嫌を損ねたことで、我々は神の加護を失ったのだ、と。


 こうしてフロールヴ・クラキの運命は破滅へと向かいますが、王に直接の滅びをもたらしたのは彼の身近な人物でした。


 その者の名はスクルド。亡きヘルギ王の娘で、フロールヴの異母妹にあたります。


 彼女はヒョルヴァルドという王に嫁ぎ(『ベーオウルフ』によればヒョルヴァルドはヘルギの兄ヘオロガールの息子なので、スクルドとヒョルヴァルドはいとこ同士ということになります)、王妃として国を治めていました。

 しかし彼女には、自在にガルドルを操るセイズ魔術師という一面があったのです。


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 ここでセイズ魔術とは何かを説明する必要があるでしょうね。

 北欧の魔術で最も有名なのは呪力を持つ文字を介して魔法をかけるルーン魔術ですが、セイズ魔術はルーンとはまた異なる系統の魔術です。

 セイズは一種の降霊術であると解釈され、トランス状態でその身に精霊を降ろすことで神秘を実現するとされます。一般的にセイズは予言などシャーマン的な儀式に用いられたとされますが、北欧サガにおいてはもっと大規模な魔術として描かれることもあります。魔術に用いるガルドルとは音階と拍子を持った呪文、つまりは呪歌。セイズ魔術師はガルドルを歌い、時には踊りを交えて魔術を行使したのです。


 なおセイズ使いはほぼ女性に限られますが、これは独特のマッチョイズムが浸透していた古代北欧では「セイズは女々しい」という認識が一般的だったからで、男性のセイズ魔術師はそれだけで迫害されたといわれています(北欧神話で最も有名なセイズ使いは女神フレイヤですが、オーディンはルーンだけでなくセイズも習得しており、そのためロキに『女のようにセイズを使う』と罵倒される場面があります)。


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 さて、どうしてスクルドはセイズ魔術の才に恵まれていたのか。

 それは彼女の出生に理由があります。


 時計の針を王妃ユルサがアジルスと再婚した後、ヘルギがスウェーデンを訪れる前にまで巻き戻しましょう。その年のユール(古代ゲルマンの冬至祭。のちにクリスマスと融合する)の夜は酷い嵐でした。ひとり眠りに就こうとしていたへルギ王でしたが、ふと寝室をノックする音が聞こえました。


 扉を開けるとみすぼらしいボロ布を纏った人物がおり、王様と同じベッドで寝かせてくれと言います。あまりの汚らしさに吐き気を催しながらもヘルギが渋々ベッドの片隅を与えると、その人物はボロを脱ぎ捨てて、この世のものとは思えないほど美しい女性に変わりました。先程までの汚い姿は継母に掛けられた呪いで、王の寝室に招かれたことで呪いが解けたのだというのです。礼を言って立ち去ろうとする彼女をヘルギは引き止めます。ヘルギ王の悪癖、その好色な一面が顔を出したのです。


 ヘルギは彼女をベッドに連れ込み、一夜を共にしました。


 翌朝、彼女はヘルギに告げます。私たちには子供が出来た。来年の今頃、必ず子供の顔を見に来てください。そうしなければ代償を払うことになるでしょう、と。


 彼女は何処かへ去りましたが、ヘルギはそんな約束など忘れてしまい、三年の月日が流れます。しかし三年目の冬、あの時の女性が幼い女の子を連れて王の元を訪れ、こう言いました。「約束を守りませんでしたね、王様。その代償は貴方の親族が支払うことになるでしょう。ですが貴方は、私の呪いを解いたために代償を免れます。そして、この子はスクルド。私たちの娘です」と。女はスクルドを王に託して去り、二度と見つかりませんでした。女は人間ではなく、エルフだったのです。


 北欧伝承におけるエルフは、古くはアールヴとも呼ばれ、人間と同じ背丈と美しい外見を持った超自然的存在とされていました。現代のファンタジー作品と共通するイメージですが、これは現代ファンタジーの源流である指輪物語のエルフが北欧伝承を元に創作されたからです。スクルドは人間とエルフ(アールヴ)の子、現代風に言えばハーフエルフで、母親の超常的な力を受け継いでいたのでしょう。


 成長したスクルドは邪悪な野心を抱いていました。それが生まれつきなのか育ちや環境によるものかは分かりませんが、いずれにせよ、王妃となったスクルドは夫ヒョルヴァルドを「貴方は兄フロールヴの臣下として貢ぎ物を献上する立場のままで良いのですか」と唆しました。ヒョルヴァルドはフロールヴを敵に回すことを躊躇いますが、スクルドは一計を案じ、貢ぎ物の献上を三年に一度に纏めるという約束を兄に取り付けて財産を蓄え、奸計とセイズ魔術を駆使して十分な兵力を用意したのです。


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 ヒョルヴァルド軍が兵を挙げたのはユールの夜でした。フロールヴの城で冬至祭の宴が開かれている時を狙ったのです。スクルドは邪悪な野心家ですが、兄を軽んじているわけではありませんでした。だからこそ時機を狙い、城の守りが手薄になったところを大軍をもって包囲したのでした。


 ヒョルヴァルドの兵が迫っていることに気付いたのは、たまたま城とは別の場所にいた十二人のベルセルクのひとり、ヒャルティでした。彼は大軍に包囲されていることを知ると武装して城に乗り込み、王と仲間たちに事態を伝えて鼓舞します。王とベルセルクたちは宴の最中でしたが一斉に立ち上がり、鎧を纏うと最後の酒を飲み干し、城から飛び出していきました。


 やがて激しい戦いが始まります。

 王とベルセルクたちは死力を尽くして大軍を相手に戦いますが、最強のベルセルクであるボズヴァル・ビャルキだけがそこにいません。彼はひとり城に残り、遠くから熊の精霊を操ってヒョルヴァルド軍を薙ぎ払っていたからです。

 この力についてサガでは説明されていませんが、恐らく彼が熊人間の呪いを受け継ぐことに由来するのでしょう。しかし仲間に剣を取って戦うよう促され、ボズヴァルはやむを得ず出撃します。すると熊の精霊は消え、彼らを守っていた霊的な護りも解けてしまったのです。


 その時、スクルドは本陣の天幕の中でひとり座り、時を待っていました。

 ボズヴァル・ビャルキの熊が消滅したと知った彼女は、魔術で巨大な猪を召喚します。その猪の灰色の毛はその一本一本が矢となり、熊の護りを失ったフロールヴ軍の兵士を瞬く間に射殺していきます。それだけではなく、フロールヴのベルセルクたちは、どれだけ倒しても敵の数が減らないことに気付きます。スクルドの魔術によって死人が蘇り、無尽蔵の兵力となって襲ってきているのです。


 ボズヴァル・ビャルキは「ここにあの薄汚い裏切り者のオーディンがいるならネズミのように捻り潰してやるのに」と吐き捨て、仲間と共に王のため最後まで戦い抜きました。しかし勇士たちは次々と倒れ、護衛を失ったフロールヴ・クラキは類稀な勇気を持って戦い続け、遂には誇りある死を迎えたのです。


 戦いは終わり、フロールヴの配下はほとんどが命を落としました。ヒョルヴァルドとスクルドは僅かな間デンマークを支配しましたが、やがてボズヴァル・ビャルキの二人の兄が復讐のため兵を挙げ、ユルサ王妃の援軍と共にヒョルヴァルド軍を打ち破りました。援軍を率いたのは、かつて王に誓いを立てたヴォッグだったといいます。スクルドは魔術を使う間もなく捕らえられ、拷問の末に殺されました。王国はフロールヴの娘が継ぎ、王の墓には愛剣スコフヌングが共に葬られたのでした。


 こうしてフロールヴ・クラキとその勇士たちの物語は終わったのです。


 いかがだったでしょうか。

 元のサガがかなりの文量なので、ところどころ省いたとはいえ説明も長文になってしまいました。

 冗長な語りではありましたが、このファイルがフロールヴ・クラキとベルセルクたちの伝説に思いを馳せる一助となれば幸いです。

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