#2-1 『フロールヴ・クラキと魔女シグルド』前編


 フロールヴ・クラキ。


 デンマークにおいて、古代の王で最も優れた者だと語られる伝説的な王ですね。

 彼が実在した証拠はありませんが、6世紀頃の人物であると解釈されることが多いです。北方一と謳われる名剣スコフヌングの使い手としても知られていますね。


 彼が古代最高の王と讃えられる理由は、その武勇とカリスマ性に加え、己の財を惜しみなく臣下に与えたからだと言われています。

 これは当時の北欧社会において、重要な王の資質とされていました。欲を掻いて宝を溜め込むのではなく、王のため命を懸けて戦う勇士たちの忠義に報いることを第一とする。その度量の大きさがあるからこそ、多くの勇士たちは彼に心からの忠誠を誓い、我が身を顧みずに死地へ赴くのです。


 さて、フロールヴ・クラキは彼の名を冠した『フロールヴ・クラキのサガ』をはじめとする数多くのサガに加え、13世紀アイスランドの詩人スノッリ・ストゥルルソンが著した吟唱詩の解説書『新エッダ第二部「詩語法」』、12世紀デンマークの学者サクソ・グラマティクスの歴史書『デンマーク人の事績ゲスタ・ダノールム』、そして古英語で書かれた最古の叙事詩『ベーオウルフ』などに登場します。

 もっとも『ベーオウルフ』における出番は時代背景を説明するための顔見せに等しいですが、それだけフロールヴ・クラキという英雄が当時の人々にとって重要な存在だったということでしょうね。


 しかし少なくとも、我が国においてはマイナーな英雄であるというのが現状です。

 これは彼の伝説の軸となる『フロールヴ・クラキのサガ』の完訳が出版されていないのが大きいでしょう。加えてスノッリの『詩語法』の邦訳版も入手困難で、『デンマーク人の事績』は歴史書としての体裁を取っているためサガとの食い違いが激しく、残念ながら国内では物語の全貌が把握しづらい状態となってしまっています。


 そこで今回は『フロールヴ・クラキのサガ』の英訳版を軸にしつつ他文献で補う形で、出来るだけ矛盾が少なくなるよう物語を再話風に纏めてみようと思います。

人名は文献ごとに表記揺れがありますが、基本的『サガ』での呼称で統一します。


 前置きが長くなりましたが、ベルセルクの王の足跡を追っていきましょう。


                ▼  ▼  ▼


 フロールヴ・クラキという英雄がいかにして生まれたか。


 それを語るためには、まず彼の忌むべき血統について触れねばなりません。

 そのため、物語は彼の父親の代から始まります。

 父の名はヘルギ。北欧伝承では同名の人物が何人も登場し、特に竜殺しの英雄シグルドの異母兄弟で戦乙女シグニューとの悲恋で知られる「フンディング殺しのヘルギ」が有名ですが、この物語のヘルギは彼らとは別人です(『デンマーク人の事績』では同一視されていますが時代的にかなり無理があります)。


 ともかくフロールヴの父ヘルギは豪胆にして勇猛な王でしたが、非常に好色な人物であり、気に入った女は力づくで我が物にしなければ気が済まないところがありました。ヘルギ王の好色さは物語に暗い影を落とし、フロールヴの運命を生涯にわたって狂わせ続けることになります。


 ヘルギには兄弟がいました。『デンマーク人の事績』では兄一人、『フロールヴ・クラキのサガ』では兄一人姉一人、『ベーオウルフ』では兄二人姉一人ですが、ここは『ベーオウルフ』の四人きょうだい説を採用しましょうか。

 もっともサガに登場しない長兄へオロガールは『ベーオウルフ』でも幼い息子を残して早逝し、物語には直接関わりません。彼の息子ヒョルヴァルド(『ベーオウルフ』での名はヘアロウェアルド)がサガの重要人物となるのは物語の最終盤なので、ひとまず置いておきましょう。


 話を戻しましょうか。

 ヘルギの歳の離れた姉シグニは地方領主に嫁ぎ、ヘルギは2つ年上の次兄と共に育ちました。兄の名は『フロールヴ・クラキのサガ』ではフローアル、『デンマーク人の事績』ではロエ……しかし伝説に詳しい人にとっては、フロースガルという名が一番馴染みがあるでしょう。そう、『ベーオウルフ』で悪鬼グレンデルの襲撃を受けていた牡鹿宮ヘオロットの主、老王フロースガルその人です。つまり今回の主役であるフロールヴ・クラキは、フロースガル王の甥ということになりますね。実際に『ベーオウルフ』内でも王妃が甥のフロールヴ(作中では「フローズルフ」表記)を称賛する場面があります。フロースガルは弟ヘルギとは対照的に勇敢ながら思慮深い人物ですが、サガの描写を見るに兄弟仲は良かったようです。


 さて、幼い頃に父王を叔父に謀殺された兄弟は姉シグニの助けを借りて仇を討ち、共に王族として成長しました。国外から王女を妻に迎えて地盤を固めつつ陸を統治したフロースガルに対し、ヘルギは海の支配者となります。彼はその勇猛さを示してヴァイキングに勤しみ(物語の舞台はいわゆるヴァイキング時代より400年以上は前で、航海と征服と略奪は国を挙げての大事業でした)、多くの領地と富と名声を得ました。しかし好色なヘルギは、世界随一の美女を得れば己の権威を更に高められると考えたのです。


 その頃、サクソランド(当時のドイツ周辺)には類稀な美貌と男を寄せ付けない武勇を誇る高慢な女王オーロヴがいました。その噂を聞いたヘルギは軍を率いてサクソランドへ向かい、不意を打たれた相手が兵を集められずにいるうちに、自分を宴で歓待するようオーロヴ女王に伝えました。そして宴の席でヘルギは女王に婚約を迫ります。その場では承諾してみせたオーロヴですが、夜になると酔い潰れたヘルギに眠りの茨を刺し、髪を剃って袋詰めにして部下の元へ送り返しました。

 恥をかかされたヘルギはひどく恨みに思い、必ず復讐してやると考えました。国に帰ったヘルギはオーロヴが財宝に目がないのを利用し、金銀の詰まった箱で彼女をおびき出します。女王が宝の場所を訪れるとヘルギは正体を現し、彼女を自分の船へと連れ去って、そこで数日にわたり陵辱したのです。


 解放されたオーロヴは既に妊娠していました。彼女は女の子を産みますが、娘への愛情などあるわけもなく、自分が飼っている犬と同じユルサという名前を与えます。

 女王の娘であることを知ることなく羊飼いの子として美しく成長したユルサに、ある日求婚する者が現れました。それは再びサクソランドを訪れたヘルギでした。ヘルギはユルサが何者であるかを知るわけもありませんが、しかしその美しさに惚れ込んで彼女を自分の国に連れ帰り、王妃にしたのです。好色なヘルギですがユルサへの愛情は本物だったようで、二人は仲睦まじい夫婦となり、やがて子供が産まれました。英雄フロールヴ・クラキは、ヘルギ王とユルサ王妃の息子として誕生したのです。


 さて、ここまで読んでいただいたなら、フロールヴに流れる血の宿業についてもお気付きのことと思います。ユルサはヘルギの妻ですが、同時に彼女はオーロヴ女王の娘。そしてオーロヴ女王を妊娠させたのはヘルギです。つまりユルサはフロールヴにとって母親であると同時に、血の繋がった姉でもあるのです。


 このスキャンダルを表沙汰にしたのは、オーロヴ女王でした。女王は虐げていた自分の娘がこともあろうにヘルギと幸せな生活を送っていることが許せず、ある日ユルサの元を訪れて、ユルサが自分の娘であること、そしてユルサが実の父親と近親相姦の関係にあることを暴露します。ショックを受けたユルサはヘルギの元を離れ、やがて遠くスウェーデンの王からの求婚を受け入れたのでした。


 最愛の人を失い塞ぎ込んでいたヘルギはやがてユルサがスウェーデンのウプサラにいることを知り、彼女の元へ向かいました。ユルサと久々に会って話が出来たことを心から喜んだヘルギでしたが、その帰り道、大軍に襲撃されます。彼は勇ましく戦いましたが多勢に無勢で、再びデンマークの地を踏むことなく戦死しました。追手を差し向けたのは、ヘルギを殺して名を上げようとしたスウェーデン王でした。


 こうして『フロールヴ・クラキのサガ』においてフロールヴ最大の仇敵となる、スウェーデン王アジルスが物語の表舞台に立ちます。

 フロールヴにとってアジルスは父ヘルギの仇であると同時に、ユルサの夫である以上は義父であり義兄でもあるという複雑な関係。しかしアジルスは、勇敢で人望厚く物惜しみをしないフロールヴとあらゆる面で対象的な人物として描かれます。

 アジルスは優れた支配者であると同時に卓越した魔術師でもありますが、その本性は狡猾にして残忍。ヘルギ王を殺した時のように騙し討ちを好む一方、自分で進んで前線に立とうとはしない小心な面があります。

 権威欲だけでなく金銭欲も強い吝嗇家で、自分のために戦う配下に十分な財宝を与えないせいで求心力は決して高いとはいえません。その性根の卑劣さが明らかになったのに加え、ユルサ王妃にとって今でも最愛の人であったヘルギを謀殺したことで彼女との仲も急速に冷え込んでいきます。

 しかしそれでもアジルス王の支配力は他に並ぶものなく、彼はフロールヴの前に強大な敵として立ちはだかるのです。


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 この後『フロールヴ・クラキのサガ』ではいよいよフロールヴ王の時代へと移るのですが、その前にひとつサガに含まれていない挿話を語りましょう。

 これは北欧で『犬の王』と呼ばれている伝承です。

 ヘルギ王を失い統治者の存在しなくなったデンマークに(ちなみに兄のフロースガルはヘルギより先にこの世を去っていることからフロールヴの治世は『ベーオウルフ』第一部より後の時代であることが分かります)、スウェーデンのアジルス王は一匹の犬を送りました。そしてその子犬をデンマークの王とすると宣言します。ただの子犬に跪いて服従を誓う屈辱をデンマーク人に与えてやろうという、アジルスの性根がよく分かるエピソードですね。最終的に子犬は犬同士の喧嘩で死に、後を継いだ人間の王も短命に終わったため、フロールヴが玉座についたというわけです。


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 さて、成長したフロールヴは、誰もが認める偉大な王となりました。

 寛大で気前が良く財を惜しまず他人に与え、悪は決して許さないが自身の敵でなければ誰に対しても分け隔てなく接する謙虚な男。屈強なベルセルクたちの中にあっては小柄でほっそりした体格のように思えるが、ひとたび名剣スコフヌングを握れば類稀な勇気をもって果敢に戦い、打ち倒すのは困難です。

 その人柄を慕い、誰もが彼に士官したいと思っているのです。


 ここでスコフヌングについても話しておきましょうか。

 このフロールヴの愛剣は北方に並ぶものなしの切れ味と頑丈さを持つ魔法の剣と謳われ、フロールヴの死後も複数のサガに登場します。その中の『ラックス谷の人々のサガ』等において、スコフヌングを女の前で抜いたり剣の柄に陽の光を当てたりすると剣の魔力が消えてしまうこと、そしてスコフヌングで付けられた傷は剣に付属する特別な石で擦らない限り治らないことが説明されています。

 なおフロールヴがどのようにしてこの魔法の剣を手にしたのかは一切語られておらず、謎に包まれています。


 そんな名剣を携えたフロールヴの元には、数多の勇士が集いました。

 その中で最も名高いのがベルセルクです。ベルセルクとは狂戦士(バーサーカー)の語源にもなった存在で、その名は「熊の衣を纏う者」を意味し、戦場においては獣のごとく暴れ回る命知らずの戦士です。

 フロールヴ配下のベルセルクは全部で十二人。かつてはアジルス王に仕えていた隻眼のスヴィプダグと、その弟ベイガズとフヴィートセルクの三兄弟。臆病な農夫の倅だったが無類の勇気を身に着けてフロールヴ王から名剣グリンヒャルティを賜った勇敢なるヒャルティ。堅きフロムンド、速手のフロールヴ、ハクラング、ハルドレヴィル、果敢なるハキ、剛力のヴォット、スタロルヴ……そして呪われた熊人間の子にして十二人中最も名高き勇士であるボズヴァル・ビャルキ。彼ら十二人のベルセルクこそが、フロールヴ王が誰よりも頼りにする無敵の勇士たちなのでした。


 さて、そんな命知らずのベルセルクを率いるフロールヴ・クラキは、いかにして因縁深き仇敵アジルス王と決着をつけるのか。フロールヴの腹違いの妹、魔女スクルドの呪いと策謀とは。そして偉大なるフロールヴ王と十二人のベルセルクはいかなる最期を迎えるのか。


 物語の佳境はこれからではありますが、今回の解説は前後編。

 英雄譚の続きはひとまず後編をお待ちくださいね。

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