2.他人のせいにするな


「この魔法のピアス、あげるよ。あんたにぴったりだ」


 深夜の街をふらふらと歩いていた俺に、占い師の老婆が声をかけた。


「魔法のピアス……? 何だ、それ」


「別に悪いもんじゃないよ」


 小柄な老婆は、占いに使うのだろう小さなテーブルの向こうで、にかっと笑った。手の平には小さなピアスが一つ乗せられている。興味を惹かれた俺は、硬く乾燥した皮膚の上でころんと転がったピアスを指でつまんだ。小さくて丸い、シンプルなものだ。色は白。何も仕掛けなどはないように見える。


「普通のピアスじゃねえか。ま、もらっといてやるよ」


「右耳につけるといい。今はどうだか知らないが、昔はゲイの人間は右耳だけにつけていたらしいからの」


「……は? 婆さん、今なんつった?」


「昔、ゲイは右耳だけにつけてたらしい、と言ったんだ」


「……嘘だろ……、そこまでお見通しかよ。あんたこええな」


 すると老婆はまたにかっと笑った。今度は、もっと目を細めて。


「自分がゲイだって知ったのはつい最近なんだろう?」


「最近も何も……昨日、友達が『俺、彼女できたんだ』って」


 俺は昨日まで、大学で同じ学部の男友達二人とよくつるんでいた。いや、『友達』『つるんでいた』という言い方は正確ではないかもしれない。彼ら二人は気が合うようで仲が良いのだが、俺は並んで歩いたことなどなく、いつも一人で二人の後ろを歩いていた。振り向かれたこともない。完全に、どうでもいいオマケ扱いだったのだ。わかっていて、俺は二人にくっついていた。どこへ行くにも付いていこうとした。きっと鬱陶しかっただろう。


「その時やっと、そいつへの気持ちに気付いたんだ。それで、俺は異性を好きになれないやつなんだとわかった。家帰ってめそめそ泣いたわ。情けなさすぎて」


 一人だと寂しいから、俺は寂しがり屋だから、彼らが行く予定の店に俺も興味があるから、そんな後付けの理由を探して、なるべく三人でいようとした。本当は、二人のうちの一人に恋をしていたからだった。それを自覚したと同時に、失恋もしたわけだ。そんな笑い話にもならないエピソードを淡々と話す俺の声を、老婆は黙って聞いていた。


「ますますあんたに似合いだ。このピアスがきっと、助けてくれるよ」


「何を?」


「あんたの気持ちを、さ」



 ◇◇



 婆さんの姿は、その日以来見られなくなった。同じ場所へ足を運んでも、薄茶色のレンガ造りに似せた銀行の壁があるだけだ。もともと流しの占い師で次の場所へと移ったのか、はたまた、ものたぐいで忽然と姿を消したのか。どちらでも、ありそうだと思う。


「……あの、心配なので、恥ずかしいのはわかるんですけど、出てきてもらえませんか?」


「えっ、あ……、はい……」


 俺の言葉に、戸惑いながらも彼はゆっくりとトイレの個室のドアを開けた。身長は俺より五センチ低いくらいだろうか。客席のあるフロアより一段高くなっているレジカウンター越しだとわからない細かいことがわかって、うれしい。


『ライトピンク』


 そうだろうそうだろうと、俺は一人納得する。『ピンク』は恋愛関係で喜ばしいことがあると発する色なのだ。


「そ、その、すみませんでした。もう大丈夫なので」


「それはよかったです。あ、お友達、もう帰りましたよ」


 俺がそう言うと、彼は明らかにほっとした表情になった。いつも気を張って一緒にいたのだろうか。


「あの、こんなところで話すのも……。連絡先交換しませんか?」


「えっ?」


「え、っと、心配、なので。店の……決まりで……」


 こんなつたない俺の嘘を信じて、彼は「ああ、そうか」とすぐに名前と連絡先を教えてくれた。


千田せんだりつく……、様、あ、ありがとうございます。俺は真鍋和志まなべかずしって言います。あとで連絡します」


「はい、お世話になりました。ありがとうございました」


『ホットピンク』


 ああ、そうだろうな、そうだろうとも。礼儀正しい。素直。かわいい。かわいい。その笑顔がうれしい。


「いえ、お大事にしてください」


 俺がそう言うと、彼……律くんはぺこりと頭を下げてから、トイレを出ていった。


『ピンク』


 気になっている彼が来る金曜日、俺はこの魔法のピアスをつける。同性に恋慕の情をいだくなんておかしいと訴える綺麗事好きな理性なんか無視して、このピアスは俺の本当の心の色を教えてくれるからだ。


 この時も魔法のピアスの音声が教える色は、俺の心に添っていた。



 ◇◇



「……あれ? ピアスなんてつけてたっけ? 髪で隠れてるから気付かなかったのかな」


「あ、ああ、これ、前から」


「右だけ? へぇ、ピンク意外と似合うね」


 駅前の待ち合わせ場所で落ち合った律に覗き込むように見られ、俺の心拍数が上がる。耳が、少し赤くなった気がする。


『ピンク』


 耳の色だろうかと思うようなタイミングで、ピアスが囁く。こいつはいつも寄り添ってくれる。でも今はもうわかってるんだ、言う必要はなかったんだぞ。


「そうか? それよりさ、あいつら今何やってんの?」


「え?」


「ほら、前によく店に一緒に来てた二人」


「あー、ちょっと忘れかけてた……。ええと、ゲームに夢中になりすぎて大学留年したよ。僕が責められたんだ、その時。おまえから教えてもらったゲームのせいで、なんて」


「はぁ? つくづく失礼なやつらだな」


 俺と律は、並んで歩き始めた。誰かと並んで歩くなんて、子供の頃以来だ。


「いないも同然みたいに扱われてたし、本当に失礼だよ。ゲームの話するからおまえも来いよ、みたいにいつも誘われてたけど、つまらなかった。たまに奢ってあげたりしてたのがまずかったのかな」


「ああ、それはあったかもな。ま、縁が切れたならよかったよ」


「うん。和志くんと一緒だと楽しいよ」


『ディープピンク』


 ディープピンク……深いピンク。こんな色は初めてかもしれない。俺、そんなにうれしかったのか。本当は常に心の中に、心配なことがある。同性が好きだなんて知られたら、律は離れていってしまうかもしれない。しかし、ここは素直になるべきだろう。自分に素直に。たぶん、ピアスはそう言っているのだ。


「お、俺も、律と一緒で楽しいよ」


『レッド』


 レッドカードという意味だったら困るな、などと思いつつ、俺は予定していた海鮮丼の店へと足を速める。


「ちょっと、速い。そんなに空腹?」


「いやそういうわけじゃないんだがまあそういうことでいいやうんだいじょうぶ」


「和志くん、何言ってるかわかんない」


「律も早く来いよ」


 俺がそう言うと、律がこちらにたたっと駆け寄る。


『クリムゾン』


 頭が沸騰しそうなんだが、クリムゾンというのはそういう色なのだろうか。あとで調べてみようと思っていると、俺に追いついた律が言った。


「あれ、ピアス、濃い赤になってる……? きれいだなぁ。これ色変わるんだね、すごい」


 いつこのピアスのことを話そう。今がいいだろうか。いや、まだ勇気は出ない。せめて海鮮丼を食べてから――


「僕もほしい、こういうの」


 律の手が俺の耳に触れる。


「……じゃあ、穴開けないとな」


 心臓の鼓動をできるだけ抑えながら言うと、律は「うん!」とまた笑顔になった。

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【BL】魔法のピアス 祐里(猫部) @yukie_miumiu

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