第3話 大陸からの余計なもの
この時期に、体調を崩す人は結構いる。その理由にもかなりあるのだろうが、一つとしては、
「この時期に伝染病が流行りやすい」
ということがあるだろう。
「空気の感想」
これが一番である。
そのせいもあってから、大陸からいろいろなものが飛んでくる。
「黄砂」
「PM2.5」
なるものだけではなく、空気に乗ってくるわけではなく、人間によって、媒介するといわれる、
「伝染病」
というものが、流行ってくるのである。
特に、ここ20年くらいの間に、どれだけの伝染病がやってきたか。
日本で大流行はしなかったが、全世界で大流行したものだけは、どうすることもできず、
「世界各国を大パニック」
に巻き込んでしまったではないか。
それを思うと、
「ここ数年で、世界も変わった。そして、自分の目で見える範囲の世界も、まったく違った世界に変わってしまった」
といってもいいだろう。
昔であれば、神経質な人間のたとえ話として、
「友達が自分の机に触れたというだけで、アルコール消毒をした」
という、極端な神経質な人間のたとえであったが、最近であれば、
「そんなのは当たり前、アルコール消毒だけではなく、換気から、触ったものすべてを消毒する。さらには、それに伴う人間も、細菌防護服を着ての、厳重さ」
というものであろう。
誰もが、マスクをしていて、表情を見ることができない。誰が、こんな世界が来ようなどと想像したことであろう。
こんな世の中になってから、約3年があったのであるが、その間に約10回くらいの感染者急上昇という波があり、何度ともなく、
「医療崩壊」
を起こしておいて、しかも、その途中で、
「オリンピックの強硬開催」
あるいは、
「感染レベルを、特殊感染症というレベルから、季節風インフルエンザレベルまで引き下げる」
などということを、政府は、勝手に行おうとしてるではないか。
それを考えると、
「政府と、国民の間に、どこまで乖離的な距離があるというのか?」
ということを考えさせられる。
オリンピックも、
「やってよかった」
と国民が、
「その成功に意見を変えるだろう」
などという、いかにも、国民をバカにしたような発想のソーリが、オリンピックのスローガンとして、
「伝染病に打ち勝った証として」
といっていたが、正直、
「何をバカなことを言っているんだ」
としか、国民の誰も思っていない。
しかも、一番ひどかった時期で、
「医療崩壊」
は起こる。
さらには、
「国民の8割近くの人間が、オリンピックに反対しているにも関わらず」
の強行突破である。
これは、
「多数決」
というものを基本理念とする、
「民主主義への挑戦」
であり、
「冒涜」
というものではないだろうか?
しかも、内容が、
「打ち勝った証」
ということはどういうことなのだ?
医療崩壊が進み、受け入れ病院がなくて、ボコボコ人が死んでいくという中で、何が、
「伝染病に打ち勝った」
と言えるのだろうか?
そんな戯言を言っているから、案の定、オリンピックが終わってから、2カ月もしないうちに、退陣に追い込まれるのだ。
総裁任期が、満了という時期とも重なり、党内部から、反対指示が多かったせいで、出馬を断念することになった。
これ以上、どうすることもできないというわけである。
「さて、そんな時代から、今度は少し伝染病が収まってきた時にソーリになった人間がいるが、こちらがさらに最低のソーリ」
ということであった。
国内の苦しんでいる人を見殺しにして、戦争をしている国に。武器を買うための金をやるという理不尽なことをしているのだ。
いい悪いは別にして、事実として、
「平和憲法」
謳っている国なので、先制攻撃などのできない国である。
ということは、政府首脳は、
「戦争に巻き込まれたら、負ける」
ということを分かっているのだろうか?
要するに、戦争に巻き込まれるということは、
「相手に打たれるだけ打たれて、そこから守るための攻撃ができる」
ということであり、先制攻撃によって、
「制空権」
「制海権」
を奪われ、レーダーなどもすべて破壊された状態で、どうやって戦うというのか?
そんなことができるわけはないだろう。
ということは、
「日本は、他の国で戦争がおこれば、我先にと、中立を宣言するべき国なのだ」
ということである。
金をやるということは、その金で、貰った国は、武器弾薬を買うのだ。食料品や医薬品を買うわけではない。そこのところを分かっていないのだ。
しかも、その武器を作っている国はアメリカ。そう、日本という国は、
「アメリカの植民地」
といってもいいだろう。
何があっても、アメリカの言いなり、アメリカの国債を買わされて、アメリカは、その金を返さなくてもいいことになっているという話を聴いたことがある。それこそ、
「まだ植民地の方がまし」
ではないだろうか?
日本という国は、世界各国が、植民地競争に開けるれ手いる時、
「植民地」
を持ったことはない。
そのかわり、
「傀儡国家」
と呼ばれるものを持ったことはあった。
これが、有名な、
「満州国」
である。
朝鮮や台湾は、併合はしたが、これに関しては、欧米列強は、ちゃんと承認している。この二か所を日本の併合と認めるという見返りに、日本も、
「アメリカによるフィリピン支配。イギリスによるインド支配を求める」
ということの、一種の、
「交換条件」
のようなものなので、どこまで承認しているということが言えるのかというのは難しいところであるが、満州国に関しては、国際連盟の会議場で、
「日本以外のすべての国は、満州国を未承認」
としたのだ。
日本は、腹を立てて、国連から脱退することになるのだが、これも、実は、
「計算済みの行動」
と言われているようだった。
満州国に限って、なぜそれほど反対があったというのか。
やはり、一つはあまりにも電撃すぎたということであろうか。
欧州では、ドイツが不穏な動きを見せている中で、日本が、孤立してしまうと、
「ドイツと結ぶ」
ということを考えていなかったのだろうか?
日本にとっての満州国は、
「国際安全保障上」
という問題と、
「食料、人口問題」
ということで、満州の死守は必至だったのだ。
日本国内では、不況や不作のために、食料が不足していて、国内の人口を養うことができなくなっていた。そこで、新たな土地を手に入れて、そこを、
「楽土」
といって、
「楽園のような土地」
と宣伝することによって、その土地に移民させることによって、食料、人口問題を一気に解決させようという腹積もりだったのだ。
満州国というと、広大な土地があり、石油や石炭などの資源もあるというような話を聴いていたが、実際には、あまり良品ではないようで、
「軍事にはなかなか使えない」
と言われているということであった。
実際に、日本政府は移民を募るのに、満州をいかにも、王道楽土だと宣伝し、五族共栄ということで、
「漢族、満州族、モンゴル人、日本人、朝鮮人」
という5つの民族が、ともに栄えていくということをスローガンとしていた。
だから、日本国で貧乏していたり、家を継ぐことのできない次男以下の兄弟が、こぞって、満州に楽園を求めて渡るのだった。
しかし、元々満州にいた人からすれば、土地を取られたような気がするだろう。
しかも、中国側にて、
「日本人に対して、土地を売ったり、貸したりすれば、売国奴扱いとなり、死刑に処せられる」
という法律までできたものだから、満州国ができる前の、中華民国領土の時は、日本人は不当な扱いを受けていた。
日本国の権益のあった満州鉄道の沿線に、中国側が線路を敷いて、そちらで営業を始めたものだから、一気に満鉄の売り上げは下降してしまう。さらに、中国人による日本人虐殺事件や暗殺事件が、どんどん増えてくるようになると、国内の人口問題が絡んできて、それらを一挙に解決する作戦として、
「満州事変」
が考えられたのだ。
確かに、日本軍による、
「自作自演」
だったのかも知れないが、果たしてそれを額面通りに受け取ってもいいのだろうか?
自作自演だとしても、そこまで追い込んだのは、当時の国民党政府ではないかということであった。
だから、日本国も満州全土を占領した時、
「満州国建国」
と行ったのは、
「満州国は、あくまでも独立国であり、主権は、満州国政府にある」
と言っていたのだ。
ただ、内情は、
「傀儡国家」
であり、決定権は満州国政府にはなく、最終的な決定権は、関東軍に一任されるということだったのだ。
特に満州国というのは、
「帝国」
である。
最初こそ、執政であったが、翌年からは、皇帝ということで、清朝最後の皇帝であった、
「愛新覚羅溥儀」
による、専制君主国のはずなのだが、その溥儀にも、決定権はなく、あくまでも、最終決定は、関東軍参謀本部によるものだったのであろう。
もっとも、軍のトップは、
「日本の天皇」
であるから、基本的に、
「日本の植民地」
といってもよかったのだろうが、結果として、
「日本国における傀儡政権」
ということに落ち着いたのだ。
日本は、朝鮮と台湾を併合したが、これは植民地と言えるのかどうか、難しいところである。
「外地における、日本の領土」
ということで、日本人国籍なのか、権利義務などはどうなるのか、そのあたりが、大きな問題となるのではないだろうか?
日本では、そもそも、今から150年前までは、鎖国状態だったのだ。その当時はちょうど、列強による植民地争奪戦が行われていて、明治日本が、乗り出すことができるようになった時には、世界各国は、欧米列強に占領されていたのだ。それを武力で奪うくらいしか、植民地獲得はままならない。それよりも、
「権益を強める」
ということで、中国をターゲットにして、いろいろ暗躍をしていたのであろう。
日本に、いわゆる、ペリー提督率いる、
「黒船来航」
によって、日本は、砲艦外交による脅しのような形を受けた。
それまでは、
「日本の窓口は長崎だから、長崎に行ってくれ」
ということで追い払っていたのだが、黒船は、
「大統領の親書」
というものを持参してきたので、そう簡単に引き下がれないということになったのだ。
そこで、
「1年間という猶予」
を貰って、再来航するまでに、国の行く末を決めなければいけなくなった。
結果、再度来航したアメリカに対し、
「江戸の町を焼き払う」
とでもいわれたのか、脅しに屈し、条約を結ぶことになった。
いくつかの港の開放と、アメリカの物資補給のために港を使うことを許したことで、事実上の鎖国は終わりを告げたのであった。
ついで、今度は、本格的な通商条約。といっても、完全な不平等条約まで結ぶことになったのだが、他の列強にも押されて、結局、他の国とも似たような条約を結ばされた。
それからは、国内は、外国を打ち払うという強硬派の、
「攘夷派」
と、外国に追いつけ追い越せの派とに分かれ、国を二分することになる。
そのうち、攘夷派にも、
「攘夷は無理で、日本の国を強くしなければいけない」
という発想から、
「尊王倒幕」
という、
「幕府を倒して、天皇中心の国家をつくる」
という方向に舵を切りなおしたのであった。
そんな時代において、なかなか不平等条約を改正できない。まずは、欧米化と、議会政治の確立が必要だったのだ。
欧米化には、さまざまな滑稽なこともあった。
キチンと血抜きもできていない状態での
「牛鍋」
であったり、作法も知らない状況で、
「鹿鳴館においての、欧米人のもてなし」
など、かなり、ちぐはぐなところもあったが、それなりに頑張っていたのも事実だった。
国家は、
「殖産興業」
「富国強兵」
という、
「国家を産業によって富ませて、兵役を儲け、強い国家体制を築く」
というスローガンによって、欧米での研究使節団などによって、政治体制を学び、議会政治の何たるか。さらに、憲法の明文化などというものを学んできたことで、いよいよ、近代明治政府の誕生となるわけだった。
憲法を発布し、帝国議会も開かれて、やっと、一歩前進したという形の日本が出来上がったのだった。
それでも、不平等条約改正までの道のりは少しあるようで、そう簡単にはいかないのも事実だったようだ。
それでも、明治時代の政治家は、今の政治家などと違い、しっかりと、国を憂いていて、国家の行く末を見据えていた。
中には、甘い汁を吸うという輩もいただろうが、今ほどひどいものではなかったのではないだろうか?
ハッキリとは分からないが、
「今ほど最低の国家はなかっただろう」
と言えるのではないか。
それは、戦争に突き進んでいった、大正末期から、昭和初期のあの動乱の時代でもそうであったに違いない。今の人はアメリカの押し付けられた民主主義のために、戦争を引き起こした政府に対していいイメージを持たないというような教育を受けているが、実際に調べてみると、そんなことはない。それこそ、
「知らない方が恥だ」
ということを、思い知ればいいと感じるのだった。
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