第8話 二人の聖女

 


「我らもここまでか……ジンテール、お前だけでも逃げなさい」


 老齢のグレープ国王は、敵兵に囲まれた王座で、傍にいる王子に告げる。


 長い平和の中の、予期せぬ急襲とあって、城内は混乱に満ちていた。


 それでも抗うつもりでいるジンテールは静かに剣を抜いた。


「いやです。どうして私が逃げなくてはならないのですか、父上。私も最後まで戦いますよ」


「僕は死にたくないけどね」


「グクイエ」


 咎めるように名を呼ぶジンテールだったが、グクイエもその場で剣を抜いた。


「だからって、ここで逃げても夢見が悪いよね」


「お前たち、命を粗末にするでない」


 国王の言葉も聞かず、剣を構える二人だったが——その時、国王たちを囲んでいたキウイ王国の兵士たちが道を作り始める。


 ジンテールとグクイエが顔を見合わせる中、道の向こうから白い装束を纏った女性がゆっくりと歩いてきた。その美しさたるや、同じ生き物とは思えないほどであったが、ジンテールたちは彼女の美しさよりも、そこに現れた意味が気になった。

 

 そして白い装束の女性は、国王に向かって言い放った。


「お初にお目にかかります。グレープ国王陛下」


「そなたは……キウイ王国の聖女か?」


「ええ。わたくしはキウイ王国の聖女、メラニンです」


「この戦は、そなたが企てたことか? 戦を嫌う聖女が、どうしてこのようなことを——」


「我が国の聖女を返していただきにまいりましたの」


「聖女だと?」


「あなたがたは、我が国の大事な聖女をかどわかしたでしょう?」


「馬鹿なことを言うな。我が国に聖女がいないことは、周知の事実であろう」


「あくまでとぼけるおつもりですね。でしたら、陛下を人質として連れ帰りますわ。あなたたち、グレープ国王陛下を捕らえなさい」


「待て! 連れていくなら僕を連れていけ!」


 国王をかばうようにして前に出たグクイエ。長距離の移動にすら耐えられるかどうかわからない国王の体を気遣ってのことだったが、聖女は首を縦には振らなかった。


「ダメよ。第二王子を捨て駒にされても意味がないもの。やはりここは国王陛下の首を持ち帰らなければ、国を取ったことにはならないわ」

 

「人質として連れ帰るんじゃなかったのか?」


 ジンテールの指摘に、聖女は高らかに笑う。


「この世界には平和条約なるものがありますので、理由もなく攻め入れば、我が国が同盟国に潰されますもの。ですから、聖女が盗まれたという話を作りましたの。今頃周辺諸国には、グレープ王国の悪行が広まっている頃ですわ。この状況なら、聖女奪還のために攻め入ってもおかしくはないでしょう? 聖女が聖女を奪還しにやってくるなんて、美談ですもの」


「どうして我が国を狙った?」


「これはまず手始めですわ。いずれは私があの方のために大陸を掌握しますわ」


「なんと野心に満ちた聖女だ……そなたは本当に聖女なのか?」


「でしたら、その身を以って知るといいですわ。わたくしの力を」


 そして聖女が長い杖を掲げた瞬間、城は光に包まれ、グレープ国王も王子も、彼らを守っていた兵士たちも動けなくなる。


「聖なる光……これは間違いなく聖女のものだ」 


 暴虐な所業を前に、聖女の資質を疑っていたジンテールだったが、キウイ王国の聖女は間違いなく聖女だった。


「こちらにおいでなさい、グレープ国王」 


 聖女の言葉に従うようにして、前に出る老齢の国王。その足取りはおぼつかないものだったが、決して足を止めようとはしなかった。


 ジンテールやグクイエは国王を止めようとするもの、体が動かず、ただ手を伸ばすのがやっとだった。


「父上!」


「無駄よ。この聖なる光を浴びて、私の言うことが聞けない人はいないもの」


 再び高らかに笑う聖女だったが——その時だった。


「待ちなさーい!」


 のっしのっしと重い地響きとともに聖女の前に滑りこんだのは、巨大カエルの背に乗ったケイラだった。 






 ***





 ———時間は遡る。


 ジンテール王子が王城に向かってから、三時間ほど経った頃。

 カエルに乗った私——けいことケイラは、聖女が住むとされる神殿に向かった。盗まれた聖女を返せば戦争がおさまると聞いて、聖女の住処すみかにやってきたのだけど——神殿には聖女の銅像しかなくて、本物の聖女なんて存在しなかった。


「どういうこと? ここに聖女がいるんじゃないの?」


 つたが巻き付いた神殿は、大司教の神殿よりもさらに立派だったけど、中は雑草で荒れ放題だった。


「聖女がいるなら、この場所で保護するはずです。聖域はここしかありませんから」

 

「聖域って何?」


「聖なる場所です。聖女は清められた場所の方が長く生きられますから」


「そうなの?」


「ええ。ですから、この国には聖女なんていないということです」


「じゃあ、なんでキウイ王国は喧嘩を売ってきたの?」


「戦争の大義名分かもしれませんね。聖女が奪われたとなれば、他国も干渉してこないでしょうし——むしろキウイ王国を助ける方向に進むでしょう」


「そんな……なんて国なの!」


「でもおかしいですね。いくら隣国とはいえ、この国は魔法の国ですから。そう簡単には入ってこられないはずですが」


「どうして?」


「この国には魔法で結界が張ってあるんです。いくら姿を隠す魔法を使っても、結界は突破できるものじゃありませんからね」


「じゃあ、もしかして、この国に手引きした人間がいるとか?」


「そうとしか考えられません」


「その結界は、どうすれば解除できるわけ?」


「解除の呪文があるのです。それは国王の書斎に管理されています」


「管理されるっていうことは、書類なの?」


「いえ、魔導書の類です」


「じゃあ、忍び込めば誰でも読めるってこと?」


「ですが、国王の書斎にそう簡単に忍び込めるものでは……それより、これからどうなさるおつもりですか?」


「聖女がいないんだったら、作るしかないんじゃない?」


「作る、ですって?」


「言ったでしょう? 私が聖女のふりをするのよ」


「なんですって!?」




 そして私は聖女の衣装を借りて、カエルで城に突入したわけだけど——これはどういう状況なのだろう。


 よぼよぼの国王陛下が、白い装束の女性に向かって歩いていて、ジンテール王子とグクイエ王子が国王陛下に手を伸ばしたまま固まっていた。


 まるで動けないみたいに。


「あなたはいったい——」


 白い装束を着た女性が、私を見て眉をひそめる。きっと彼女がキウイ王国の聖女なのだろう。


 どこかで見たことのある顔だけど、その時はすぐに思い出せなかった。


 けど、カエルから降りた私を見て、聖女は驚いた顔をする。


「あなたは……ケイラ様?」


「なんのことでしょうか」


「あなた、ケイラ様ですわよね?」 


 聖女は顔を輝かせて何度も私の名前を呼んだ。


 そういえば、この人……キウイ王国の王子に罵倒された時、私を助けようとしてくれた人じゃない? メラニンって言ったよね?  

 

 ……ていうか、顔見知りがいたら、私の計画が丸潰れじゃん。


 でも、ここで退いたら、グレープ王国がヤバいもんね。やっぱり私が出るしかないわよね。


「人違いです。それより、これはどういうことですか?」


「なんのことですか?」


「聖女が戦争を起こすなんて、とんでもないです」


「グレープ王国が聖女を盗みさえしなければ、こんなことにはなりませんでしたわ」


「おかしいですね。私は私の意志でこの国に来たのに」


「あなたの意志?」


「ええ。聖女の私は、私の意志でここにいるんです。ですから、攻め入る理由にはなりません」


「聖女って、どなたがですか?」


「私です」


「……でしたら、聖女の証拠をお見せください」


「えっ」


 それは考えてなかったな。聖女には聖女の証とかあったりするのかな? タトゥーみたいなものがあったり? そういうのゴリラン大司教は教えてくれなかったし。


 私が汗をかいて狼狽えていると、キウイ王国の聖女——ええい、キウイ聖女でいいか。キウイ聖女は、見下すような目で笑った。


「あらあら、聖女の証もないのに聖女だなんて……」


「だったら、聖女を誘拐した証拠を見せてください」


「は?」


「なんなら、然るべき機関にお願いして、聖女が存在するか確認してもらいましょうか? 私の嘘が露見したと同時に、そちらの嘘もバレることになりますよ」


「……小賢しいですわね」


「ケイラ、やめなさい」


 ジンテール王子の声が聞こえて、私は振り返る。相変わらず、手を伸ばして固まっていたけど、どんな姿もサマになる格好良さである。無駄に顔とスタイルが良いご主人様に、私は笑顔を向けたあと、再びキウイ聖女と向き直る。


 ここで退いたら、私の夢は終わる——そんな気がして、退けなかった。


「お互いの嘘がバレたら、国の信用はガタ落ちですよね? だったら、ここは退いていただけないでしょうか」


「あらあら、あなたはこの状況をわかってないようですのね。戦圧してしまえば、聖女のことなんてどうにでもなりますわ。それよりも、ケイラ様——あなたには我が国でやってもらいたいことがありますの。ですから戻ってきてくださいまし」


「やってもらいたいこと?」


「あなたには度胸も才覚もありますわ。ぜひ私の良きパートナーとして、国内の制圧をお願いしたいものです」


「国内の制圧? それってまさか」


「そう、纂逆さんぎゃくでしてよ」


纂逆さんぎゃくって、国王を討つってこと? そ、そんなこと、こんなところで言って言い訳!?」


「かまいませんわ。どうせ、聖女の私に逆らえる人間なんていませんもの。それより、私と一緒に来てくださらないかしら? あの方もそれをお望みですわ」


 聖女が私に向かって手を差し出した。その慈愛に満ちた笑顔は、とうてい纂逆さんぎゃくを目論んでいる顔には見えない。ていうか彼女絶対サイコパスだよね!?


 ジンテール王子にペット扱いされるのも困るけど、迷うことはなかった。


「私はどこにも行きません。だって、ジンテール王子のペットですので!」


「まあ、殿方に丸め込まれたのですね。おかわいそうに。私が目を覚まさせて差し上げますわ! みなさん、やっておしまいなさい」


 聖女の一言で、控えていた兵士たちが槍や剣を構え始める。剣先はジンテール王子に向いていた。


「ダメ!」

 

 一触即発の雰囲気の中、私は国王や王子たちに背中を向けて手を広げた。


 どうしてそんなことをしたのかは自分でもわからないけど、今ここで彼らを守れるのは自分しかいないと——そう確信していた。そして兵士たちがいっせいに掛け声とともになだれ込む中、私は大声を上げた。


「ジンテール殿下、私の首輪を外してください!」


 私がジンテール王子に向かって叫ぶと、ジンテール王子は苦しそうな声で告げる。


「だめだ。今は動けないんだ。……魔法が使えない」


「だったら、他に首輪を外す方法はないんですか?」


「キスだ」


「え?」


「全ての魔法はキスで解ける」


 その言葉を聞いて、私は迷うことなくジンテールの元に向かった。そしてジンテール王子の唇にそっと触れた。


 すると首輪が弾けて消える。


「——よし、外れた!」


 それから、私は盛大に歌った。


 私のダミ声は効果抜群で、周囲の兵士たちはいっせいに膝を折って、その場でうずくまった。


 聖女も顔を歪めて私を見ていた。けど、聖女は長い杖を持ち上げて、呪文を唱えると——広間が光で溢れて、兵士たちが次々と立ち上がる。

 

「なんて声かしら。これで聖女とはよく言ったものね」

 

「くっ、無効化されちゃった」


「おやりなさい! 兵士たちよ」


 呆然と立っていたその時、目の前に来た兵士が私に向かって剣を振り下ろした。けど、そこにジンテール王子がやってきて、兵士の剣を剣で跳ね飛ばした。


 どうやら私の声のおかげで、王子たちが自由に動けるようになったらしい。見ると、グクイエ王子もいつの間にか参戦していた。


「ジンテール殿下!」


「君は国王陛下やグクイエと一緒に逃げろ」


「え? ジンテール殿下はどうするんですか?」


「魔法で時間を稼ぐ。私もすぐに行くから、早くしろ」


 私は頷いて、踵を返した。すると、不安そうな顔をしたルーがジンテール王子を見つめていた。


 ルーは何が起きているのかわかっていないようだけど、なんて悲しい顔をしているのだろう。


 私はグクイエ王子の手を借りて国王をルーに乗せる。そして国王を外に連れていくようにルーにお願いした。ルーがのっしのっしと走り去る中、グクイエ王子は再び剣を抜いた。


「グクイエ殿下?」


「僕も戦ってくる」


「どうして? ジンテール殿下の気持ちを無駄にする気?」


「兄さんを一人で戦わせるなんて、僕にはできないよ」


「大丈夫、ジンテール殿下は一人じゃないわ」


「え?」


「私がいるもの」


 どうせ夢なら、私の都合に合わせてもらわなくちゃ。 



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