第7話 戦禍の意志


「置いていかれちゃった」


 ジンテール王子が飛び出したあと、広い石造りの神殿には、駆ける音がいつまでも響いた。


 白装束を纏ったスキンヘッドの人たちもジンテール王子を追って出て行ったので、神殿に残ったのは、私とゴリラン大司教だけだった。

 

 それよりも、これから私はどうすればいいのだろう。


 いっそこのまま逃げてしまえば——なんて、私が逃げる算段を考えていると、そのうちゴリラン大司教が沈黙を破った。


「ケイラ様はジンテール様のことをどうお思いですか?」


「なんですかいきなり!?」


 中性的な美しい顔に見つめられて、私は思わず視線を外した。性別はわからないけど、綺麗な人にじっと見られるのは慣れないものである。


 私が口籠もっていると、ゴリラン大司教は勝手に喋り始めた。


「ご存知かと思いますが、この世界には一つの国に必ず一人の聖女が存在します。聖女の始祖アコリーヌ様が世界に聖女の種を撒いたことで、人から厄災を遠ざけてきました」


「なんの話ですか?」


「まあ、聞いてください。——しかし、ある時期を境に爆発的に聖女が増えたことで、一つの国に複数の聖女が存在するようになり、国王は聖女の数を国力だと勘違いするようになったのです。すっかり政治の道具と化した聖女でしたが、民の未来を憂いた聖女は反乱を起こしました。そして圧倒的な神聖力を持つ聖女にただの人間が勝てるわけもなく、各国の王は聖女に屈しました」


「聖女に屈したってことは、聖女が王様になったってこと?」


「皮肉なことに、政治の道具とされるのが嫌で反乱を起こした聖女たちですが、聖女が国を掌握することによって、聖女が国力そのものになったのです」


「聖女がトップになったのなら、国交も平和になりそうね」


「それが、そうでもありません。聖女は確かに人格者ではありますが、慈愛だけで国を動かすことはできません。それを聖女もわかったようでして、結局聖女たちは、政権を王族に返したのです」


「何それ。結局、国のトップは国王に戻ったってこと?」


「はい」


「じゃあ、聖女の反乱は意味なかったの?」


「そうでもありません。聖女が奮起したことで、国王も敵にまわしてはいけない存在だと認識しました。ですから、国力が聖女そのものであることには変わりません」


「聖女は触れてはいけない抑止力ってことね」


「そうです」


「で、私にこの話をする意味は?」


「ジンテール様のことです。王城に向かったということは、最強の兵器とも言える、聖女と戦うことになるでしょう。ジンテール様はもう帰ってこない可能性もあります……あなたはどうなさいますか?」


「もちろん、逃げるに決まってるけど」


「そうですよね……」


「ジンテール殿下って、しぶとそうだし……大丈夫だと思うけど。私はこれ以上ジンテール殿下に振り回されたくないのよ」


「あの方は、お優しいお方だ。決して女性をペットにするなど、人の尊厳を踏みにじるようなことはしないでしょう」


「でも現に、私は尊厳を踏みにじられてるんですけど?」


「それにはきっと事情がおありなのです。ですが、これだけはわかってください。あなたはきっと、ジンテール様にとって光にもなれる存在なのです」


「意味がわかりません」


「あなたがまっすぐ進むなら、封印など必要ないかもしれませんね」


「封印? なんのこと? やっぱりよくわからないわ」


「王族と聖女の恋はいつの時代も叶わぬものですが、今のあなたでしたら——」


「聖女? なんの話?」


「おっと、ここが見つかってしまったようですね」


 その時だった。


 複数の足音が、神殿にわらわらとやってくるのが聞こえた。足音は私やゴリラン大司教のいる部屋に入って来るなり、ピタリと止まる。


 見れば、旗を掲げた兵士たちだった。


 ゴリラン大司教は真剣な顔をこちらに向ける。


「早くお逃げください、ケイラ様」


「もちろん、あなたも一緒にね!」


 私はゴリラン大司教に声をかけると、神殿のさらに奥へと進んだ。


 すると、背後から兵士の攻撃が飛んできて、至るところに矢が落ちるのが見えたけど、決して振り向いたりはしなかった。


「こちらです!」


 走ってる途中で、ゴリラン大司教に手を引かれた私は、連れていかれるがままに神殿の奥を進んだ。まるで迷路のようだった。


 きっと襲撃されることを見越して造られた場所に違いない。いくつも分かれる狭い道は、行き止まりも多数あるという。そんな入り組んだ道をまっすぐ進むと、そのうち森の中に出た。


 外の空気は、やけに焦げついた臭いがした。


「これは何? 火事なの?」


「兵士があちこちに火を放ったようですね」


「さっきの人たち、キウイ王国の兵士なのよね? どうしてこんなことをするの?」


「それはもちろん、侵略のため——と言いたいところですが、もしかしたら、他に狙いがあるのかもしれません」


「狙い?」


「キウイ王国の聖女が何をお考えなのかはわかりませんが、聖女が自ら旗を立てるなど、昨今の情勢ではありえないことですからね」


「国王に政権を返したって話?」


「ええ。あなたはこのまま国外に逃げた方が良いかもしれませんね」


「……え?」


「今なら、ジンテール王子から逃げられますよ」


「ちょっと待って! 逃げるのはいいんだけど、城にゴォフがいるのよね」


「ゴォフですって!?」


「どうかしましたか?」


「それは人の名前なのですか?」


「ええ、そうですけど」


「……そうですか。やはりあなたは……」


 ゴリラン大司教はゴォフという名前を聞いて、えらく驚いていたけど、そのうち顔つきを変えて私に告げる。


「そのゴォフ様をお連れになりたいのなら、一度王城に行ってみますか? 戦に巻き込まれるかと思いますが」


「……だったら、やっぱりこのまま逃げます。(ゴォフごめん)」


「でしたら、馬をお出ししましょう」


「え、乗馬とかできません」


「では、近くの小屋に潜伏していただいて、頃合いを見て馬車で迎えに行きます」


「は、はい」


 それからゴリラン大司教は山奥の小屋に案内してくれた。小屋には魔法がかけられているから、他の人には見えないらしい。


 私は小屋の中でひたすらゴリラン大司教が戻ってくるのを待った。


 けど——。


「外が気になるなぁ。そういえば、ジンテール殿下は大丈夫なのかな? 捕まったりしてないかな?」


 私は暖炉に薪をくべながらため息を吐く。


 夢の中なのに、何をやっているんだろう。夢なら何をしたって死にはしないだろうし。別にこうやって待たなくったっていいよね。

 

 ————なら、ちょっと外の様子を見に行ってみようかな?


 そんな風に思い立ってドアから出ようとしたその時、トントンとドアを叩く音がした。


「あれ? ここって、魔法がかかっているから、他の人には見えないんじゃ?」


 おそるおそるドアを開けてみると、外にはなぜかゴォフが立っていた。


「え? ゴォフ? どうしてここに?」


「ルーがケイラ様の元に行くと言って聞かなくてですね。連れて参りました」


「ルー!」


「ゲコゲコ」


 巨大なカエルの体を抱きしめた私は、匂いを嗅ぐように顔を埋めた。なんでこんなに安心するんだろう。やっぱりこの子を置いていくわけにはいかないよね。


「ありがとう、ルーを連れてきてくれて。まさかここが戦争になるなんて思わないわよね。早く国の外に行きましょう」


「そうですね。それが良いでしょう。王城はもう落とされたも同然ですし」


「……え?」


 王城と聞いて、私はグクイエ王子やリビのことを思い出す。彼らは無事だろうか? 決して悪い人たちではなかったから、戦に巻き込まれてほしくはなかった。


「……ジンテール殿下はどうしてるの?」


「王子ですか? 存じませんが」


「ていうか、今どういう状況なの?」


「それが……攻め込んできたキウイ王国の敵兵が、盗んだ聖女を返してほしいとおっしゃっているようでして」


「盗んだ聖女? どういうこと?」


「どうやら、キウイ王国の聖女がこの国に捕らえられているようでして」


「キウイ王国の聖女? って、色素——メラニンだっけ?」


「いえ。キウイ王国には他にも聖女がいらっしゃるとかで。敵兵が聖女を探し回り、城は混乱を極めております」


「聖女……その人を返せば、キウイ王国の聖女は撤退してくれるの?」


「おそらく」


「だったら、探さなきゃ」


「え? ケイラ様?」


「だって、この国の人たちが可哀想だもの」


 どうせ夢なんだし、好きなようにすればいいよね? 私は覚悟を決めると、王城の方へと視線を向けた。


 すると、道の向こうからちょうど馬車がやってきて——御者をしていたゴリラン大司教が私の存在に気づいた。


「ケイラ様! どうなさいました?」


 馬車を降りて駆け寄ってくるゴリラン大司教に、私は訊ねる。


「ねぇ、ゴリラン大司教。教えてほしいの。聖女様はどこにいるの?」


「聖女ですって? いったい、なんの話ですか?」


「実は、従僕フットマンのゴォフから聞いたんだけど——キウイ王国の兵士が、盗んだ自国の聖女を返してほしいと訴えているらしいの。きっと聖女様を返してあげれば、戦は終わるわ」


「なんですって!?」


「——で、聖女はどちらに?」


「……聖女、ですか」


「聖女が住んでいる場所とかあるんでしょう?」


「確かにございますが……現在は廃墟も同然です」


「どういうこと?」


「この国には残念ながら、聖女はいないのです」


「でも自国の聖女を誘拐したって……」


「それで、その話を告げた従僕フットマンはどちらに?」


「え? あれ? さっきまでここにいたんだけど」


 気づくとゴォフはいなくなっていて、巨大なカエルだけが取り残されていた。ルーは静かにゲコゲコと鳴きながら、私の頭に顎を乗せてくる。


「えっと、この生き物は?」


「可愛いでしょ? ジンテール殿下のペットをもらったの」


「そうですか。ですが、カエルは馬車には乗りそうにないですね」


「ううん。乗らなくていいの」


「どういうことですか?」


「私、この子を連れて聖女を探してみます。そして聖女様を連れて王城に向かいます」


「何をおっしゃいますか! 王城は今戦の真っ只中で——」


「大丈夫よ。私には秘密兵器だってあるんだから。それより、この戦をなんとかしておさめないと——そうだ!」


「?」


「いざとなれば、私が盗まれた聖女のふりをすればいいんだわ」


「なにを!? そんなことをしても、すぐにバレてしまいますよ」


「いいのいいの。それよりも、王子たちを助けるのが大事だよ。ペット扱いとはいえ、一宿一飯の恩があるしね」


「ケイラ様」


「だから聖女が住んでいた廃墟とやらを教えてください」


「お待ちください」


「え?」


「私も参りましょう」








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